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「人と比べる」ことを辞めると 文章は書きたくなる

noteをのぞくと
天才たちの文章に惹かれる。

その文章には才能があふれ
到底、自分では思いつかないような
言葉のセンスを感じずにはいられない。

はたして、いつになったら
自分はこのような
人を魅了する文章を書けるのだろうか。


あなた自身が「書き手」を目指すとき、
ほかの人と比べて
上記のように考えたことはないだろうか。


「言葉を綴る」というフィールドに立つとき
すでに”追いつけるのだろうか”と
感じるような相手は存在し、絶望します。

すると、どうでしょうか。

あなたは
「書く」ことに意気消沈しませんか。

「わたしの文章なんて…」
「センスのない言葉を並べても…」
「だれに届けてればいいの…」

あなた自身の書く文章の価値に
疑問を感じてしまうはずです。


ただ…

わたしは、そうした負の感情を持つのは
前提条件が間違っているように感じます。



今回のテーマは
「人と比べる」ことを辞めると
文章は書きたくなる 
です。


どうして、人と比べると
書く気が失せるのか。

自分の書く文章の価値とは…


ぜひとも、読み進めて
考えを深めていただければ幸いです。

では、いってみましょう(^^♪



✔「人と比べる」とは?

「いざ、文章を書こう」と思うと
かならずといっていいほど、
他人の文章と比べたくなります。

「あの人みたいな文章が書けたら…」と
自分の文章と比べて
答え合わせしたくなります。

こうした状況におちいるのは
ごく自然なこと。

失敗したくない。
早く成功したい。
人から嫌われたくない。

だれしも、そうした感情が働き
なんらかの”正解”を求めたくなります。

そして、もっとも答えとなるのは
先人として活躍する人たちの姿でしょう。

また、自分の尊敬する人。
思い入れのある人の言葉や行動は、
あなたにとっての模範となる人物です。

とくに”文章”となると、
「自由に書ける」ようで…

書いてみると「自由に書けない」!

といった経験があるはずです。


だからこそ、自由の模範のために
他人と比べて文章を学習していきます。


ただ…

一定の基準(書く行為)を続けると
その”人と比べる”は、いつのまにか足枷になります。

正解を求めて人と比べるからこそ、
自分の才能の無さを痛感して
”文章が書けない”状態に陥ります。


では、どうすれば
そうした「文章が書けない」状態から打破できるのか。

答えはシンプルです。


人と比べるのを
辞めればいいんです。



✔「評価」の存在

人と比べるのは、答えを知りたいから。

答えとは
「あなたの書く文章の価値」を
評価されたいと考えるからです。

そもそも、評価とは
だれが判断するのでしょうか。

いや、そんなに
ヒネリはないですよ(;^_^A

もちろん、評価とは
自分ではなく他者がおこなう行為ですよね。

自分で自分を評価するのは、
評価ではなく”自己満足”です。


ようは、「他人から評価されたい」と思うから
他人と比べたくなります。

だとすれば、
他人の評価は無視していい。


だって、
考えてみてください。


他人の評価を気にして
文章が書けない。

よりも、

他人の評価を無視して
文章を書き続けるほうが
結果につながっていませんか。

前者と後者、どちらが
前に進んでいるでしょうか。

圧倒的に後者でしょう。



✔評価よりも
 大事なもの

評価とは他者が下すもの。

だとすれば、他者がおこなうべき判断には
あなたは介入できません。

どう評価し、どう決断するかは
他者に任せればいい。

大事なのは、
あなた自身が書き続けて
文章を残し続けること。


そう…

大事なのは”書き続ける”ことです。


周囲から
どのように言われようとも書き続けて、
自分のスタイルを確立した人こそ
あとから評価は付いてきます。

もしも、目の前で
たまたま成功した人がいたとしても
そこまでの過程には、あなたには見せていない
”続ける努力”が隠されています。


評価を気にして書くよりも
人と比べることを辞めて
自分の文章を書き続けるほうが
よほど健全で長続きしますよ(*´艸`*)

3年以上、毎日投稿し続けた
わたしが保証します✨







物書きの継続って、
どうしても評価が見えづらくて
焦りたくなりますよね。

その気持ち、痛いほど分かります。

わたしも投稿初期の頃は、
思った以上に反響がなく
ガッカリした記憶があります。

でも、それって、すでに
”誰かと比べていた”と言えますよね。

知らず知らずのうちに
「自分だったら…」と他人と比べて期待して
勝手に落ち込んで。

なんともムダな時間だったと
今では反省しています。

それでも、歯を食いしばって
わたしはステージに立ち続けています。

しだいに人と比べるのではなく
相手を応援して、
その人の活躍を期待するようになりました。

わたしは、そのほうが
自分の善良な心を鍛える意味でも
”合っている”と感じます。



ひとりでも多くの人が
”人と比べる”ことの束縛から逃れることを信じて。


では、また。
失礼します。


サポートしていただければ、あなたの習慣活動を全力で応援します!!