バスケ部で経験した挫折と「スラムダンク」の安西先生から学ぶ、継続することの大切さ。
小学校の時に、漫画「スラムダンク」にドハマりました。
不良になった三井寿が泣きながら、安西先生に「バスケがしたいです」と言った有名なシーン。
これを見て「僕もバスケやりたい!」と思い、中学ではバスケ部に入部。
しかし、漫画のような華やかな経験はできず、苦肉を味わった経験となりました。
今回は、部活で学んだ継続力について話をします。
1.バスケ部入部
掛け声が響く体育館、初めて買ってもらったバッシュ、バスケットボールをキャッチした時の触感、すべてが新鮮。
「桜木や流川のようなバスケットマンになるぞ!」と意気込みながら、バスケに熱中していました。
僕は運動神経が割と良い方だったので、1年目でレギュラー入り。
そして、初めての練習試合にスタメンで出場することになりました。
2.初めての練習試合
バスで他校まで移動し、初めての練習試合。
知らない場所で、知らない人に囲まれてやることに緊張していました。
そして、とある事件が起きました。
それは、ユニフォームを渡された時のこと。
初めてみたユニフォームは、下は半ズボンで、上はランニングシャツのような服装。
思ったより露出度高めで、サイズも大きく、横から見ると乳首が見えるほどでした。
「これは、もしかすると、恥ずかしいかもしれない」
試合前の練習中、シュートを打とうとした時に、ゴールの向こう側の二階席に観覧者がいるのが見えました。
「え、脇丸見えじゃん!」
中学一年生の僕は、脇から毛が数本生え始めていました。
「ええ!恥ずかしすぎる!」
これを他の人に見られるなんて、耐えられませんでした。
脇が見えないように、脇を広げないように打ったシュートは、一発も決まりません。
そのまま迎えた、初めての練習試合。
緊張と恥ずかしさがMAXとなり、まったく活躍できませんでした。
3.一気に補欠へ降格
初試合でボロボロだった僕は、レギュラーから外されることに。
さらに、小学校6年生の時に一気に伸びた身長がピタリと止まり、センターからフォワード、フォワードからガードへとポジションが変わりました。
1年生の時にセンターで、ゴール下のポジションのみ練習していた僕にとって、ゴールから離れれば離れるほど、シュートの打率は下がる一方。
1軍から2軍へ、そして3軍、一番補欠のグループまで降格しました。
4.もう辞めたいと思う日々
ちなみに僕の姉は、女子バスケ部で大人気のキャプテンでした。
「三浦先輩の弟が来るらしいぞ」
期待の眼差しを受けながら入部した僕は、レギュラーから外された時点で、部活仲間から馬鹿にされるようになりました。
「ほんまに三浦先輩の弟かよ」
「期待外れだな」
「下手すぎやろ」
2年生のころには、本当に辞めたいと思っていました。
もう部活に行きたくない。
こんなに辛いの嫌だ。
毎日部活に行くのが億劫でした。
ふと、スラムダンクの安西先生の言葉が浮かび、こんなことを考えました。
「こんなところで諦めたら、これからの人生諦め癖がついてしまう」
「こんなところで負けてたまるか!」
それから、何が何でも3年間続けることを決めました。
5.無事、卒業へ
せっかくやるならと、誰よりも練習に打ち込み、外周も筋トレも、一回もサボらずにやりきりました。
バスケ部では居場所がなく、全く自分が出せなかったので、バスケのレベルアップはしませんでしたが、ものすごく基礎体力が付いたと思います。
そして無事、3年間のバスケ部を終え卒業しました。
6.まとめ
自分の居場所の無い環境の中で、3年間やり続けたことは、自信になりました。
何があっても「バスケ部時代より辛いことはない」と続けられる、継続力が身についたと思います。
それから高校生になり、俳優を目指し始めたのも、この時の経験は大きかったかもしれません。
どんな経験も、時が過ぎれば笑い話。
挫折のきっかけが「ユニフォームを着た時に、脇を見られることが恥ずかしかった」なんて、面白い話ですよね。
バスケのことを話していると、バスケがやりたくなってきました。
バスケ好きな方、今度一緒にバスケをやりましょう。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
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