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三浦豪太の探検学校

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冒険心や探究心溢れる三浦豪太が世の中について語った日本経済新聞の連載記事「三浦豪太の探検学校」(2019年3月に最終章)の、リバイバル版。わずか11歳でキリマンジャロを登頂。フリ… もっと読む
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2021年4月の記事一覧

山頂から消えた氷河

2010年11月20日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  キリマンジャロ山頂を目指した僕の友人たちの挑戦はギルマンズポイント(5681㍍)までだったが、僕の目的はここから先にあった。ギルマンズポイントはルート上、ちょうど火山のふちにあたる。  30年前、僕たち家族は火口の中へ降りて氷河の上でスキー滑走をした。氷河が消滅したと聞いた僕は今でもスキーができるか知りたかった。しかしギルマンズポイントからだと視界が利かず足場も悪いので、遠回りになるが火口をぐるりと周ってキリマン

頂上=目標 大先輩の教え

2010年11月13日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  先週、僕は8人の友人とアフリカ大陸最高峰、キリマンジャロに登ってきた。  11歳の時以来、実に30年ぶりの登頂だ。この山の難しいところは、アプローチが長く、さらに途中の宿泊地がそれぞれ標高差千㍍もあることだ。通常、高所登山では1日の高低差を500㍍以内にとどめているのだが、キリマンジャロは最短3日間で標高5895㍍(ウフルピーク)の高度を登る。  この過酷な条件に耐えるために、参加者は事前にミウラ・ドルフィズにあ

11歳の山頂 挑戦の原点

2010年11月6日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  これは僕が11歳の時に家族と一緒にキリマンジャロに行くときに父が話した寓話。  キングソロモンとアフリカの女王シバとの間に生まれたメネリック1世は古代エチオピアの開祖の王だといわれている。世界の英知と財産を一心に集めたソロモン王の教育を受け、強力な軍隊を持ったメネリックはアフリカの各地を次から次へと征服して巨大な国家をつくり始めた。しかし彼は高齢になり死期が近づくと自らの死に場所を探し始めた。そし

22時間44分に感謝

2010年10月23日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  先週のコラムの続きとなるが、富士山登頂千回を目指す實川欣伸(じつかわ・よしのぶ)さんと行った村山古道からの富士登山。出発前から降り始めた雨はまるで僕たちと我慢比べをしているかのようにしつこく降り続けていた。9日、夕方6時に吉原駅をスタートしたが、暗闇のなか村山浅間大社(センゲンタイシャ)に着いたのは翌10日の午前2時だった。  村山浅間大社の浅間はもともとアサマと読む。南方系言語が語源とされ火や

1000回目の富士山

2010年10月16日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  村山古道は平安時代末期に開かれた日本最古の富士登山道である。修験道の修業の場として江戸時代までは使われていたという。  しかし、100年ほど前からその登山道の往来は途絶え廃道となる。10年前に、登山家の畠堀操八さんがその存在を知ることになる。彼は村山古道に興味を持ち、2年がかりで地元の資料と人々の協力により、苦労の末再発掘した。  このルートのすごさは古いだけではなく、日本一の山のスケールをそのま

「登る山は自分で作る」

2010年10月9日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  南アフリカで行われたワールドカップ(W杯)サッカーで日本代表が大活躍した。チームを率いた岡田武史前監督と先月、食事を共にする機会があった。  現在、岡田さんは環境とスポーツに大きな関心を持たれており、父、三浦雄一郎が理事長を務める特定非営利活動法人(NPO法人)、グローバル・スポーツ・アライアンス(GSA)の理念とその方向性に共感を抱いている。  1998年のW杯のころから、今回の開催国、南アのようにアフリカの子供

納豆キムチと祖父

2010年9月18日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  4年前、101歳で亡くなった祖父、三浦敬三の日記帳を僕は譲り受けた。   それは95歳の時の手帳で、最初のページにはスキーの技術的な目標が書いてあり、次のページからその目標に向かっていく様子が淡々とつづられている。そして後半部分は祖父が健康法として参考にしていた食事やトレーニング法などが几帳面に記されている。例えば、当時(1999年)あまり知られていない抹茶に含まれる抹茶カテキンが、がん予防や強い抗

自然体験、大人が見本

2010年9月4日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  今年で3回目の開催となる瀬戸内海の島キャンプ。海に浮かぶ余島と豊島で9~12歳のおよそ30人の子供らと5日間のアウトドア生活を楽しんできた。  今年のキャンプにはこのコラムで紹介した海洋冒険家の中里尚雄さんにもスペシャルゲストとして参加してもらった。プロのウィンドサーファーで選手として数々のW杯入賞や世界の過酷な大波や海峡に挑戦してきた経歴を持つ。昨年は650㌔に及ぶ鹿児島から沖縄の離島の子供たちへウ

「人間性と志」を磨く

2010年9月11日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  先日、フジサンケイクラシック・ゴルフトーナメントにおいて、石川遼選手(18)と薗田峻輔選手(20)が史上最年少の優勝争いを行った。2人は同じ杉並学院高の卒業生。2年後輩の石川選手が最終ホールで薗田選手に追いつき、プレーオフ4ホールの激戦を石川選手が制した。同世代の2人が大舞台で死力を尽くす姿はとてもすがすがしいものだった。  彼らを見いだし、指導してきた吉岡徹治さんも2人の戦いを感慨深く見守った。杉並学院高の元教員

「心と遺伝子」の研究

2010年8月28日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  先週、筑波大名誉教授、村上和夫先生主催の「心と遺伝子研究会」に参加させてもらった。  以前にもコラムで紹介したが、村上先生は高血圧を引き起こす「ヒト・レニン」の遺伝子配列やイネの全ゲノム配列の解読に世界で初めて成功した分子生物学者である。最近では心の動きが、暑さ、寒さ、飢餓といった環境ストレスと同様に遺伝子発現に作用することを研究している。  以前のコラムでは「笑い」が糖尿病患者の血糖値に対して良い影響があると書い

40周年、冒険なお途上

2010年8月21日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  先週も書いたが、今年は植村直己さんの日本人エベレスト初登頂40周年だ。これは同時に父、三浦雄一郎の世界初エベレスト8千㍍地点からのスキー滑降の40周年でもある。日本を代表する2人の冒険家の接点は1970年のエベレストにあった。  スキー隊として先にサウスコルからパラシュートを背負い滑り降りた三浦の模様を、植村さんは6400㍍の第2キャンプから見ており、そしてその後、彼は山頂を極めた。エベレスト日本人初登頂と世界初のス

植村直己さんの英知

 1970年、植村直己さんが日本人として初めてエベレスト登頂を果たした。今年はちょうどその40周年で、日本山岳協会設立50周年と重なり「ザ・植村直己デー」と称した記念イベントが開催された。僕は先月24日、記念イベントとして行われたトークショーに、若手登山家であり冒険家である天野和明さんや栗城史多さんと共に参加してきた。  植村さんは言わずと知れた日本が誇る冒険家の一人だ。エベレスト日本人初登頂をはじめ、モンブラン、キリマンジャロ、アコンカグア、マッキンリー単独登頂を行い、世