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「心と遺伝子」の研究

2010年8月28日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 先週、筑波大名誉教授、村上和夫先生主催の「心と遺伝子研究会」に参加させてもらった。
 以前にもコラムで紹介したが、村上先生は高血圧を引き起こす「ヒト・レニン」の遺伝子配列やイネの全ゲノム配列の解読に世界で初めて成功した分子生物学者である。最近では心の動きが、暑さ、寒さ、飢餓といった環境ストレスと同様に遺伝子発現に作用することを研究している。

 以前のコラムでは「笑い」が糖尿病患者の血糖値に対して良い影響があると書いたが、研究会ではさらに進んだ内容の発表が行われ、僕が特に面白いと思ったのは「笑うラット(ネズミ)」の研究だ。
 ネズミが笑うというのは面白い発想であるが、研究者らによると彼らは人間同様に集団生活を行う中で様々な周波数の鳴き声を放つという。例えば恐怖や不快な時は20kHz(キロヘルツ)の周波数を発する。そして快を表現するときに発するのは50kHzで、これをヒトの「笑い」の原型ととらえている。
 ヒトの可聴域の上限周波数は15~20kHzまでだ。ネズミが発する声は多くの鳥や捕食者の可聴域の上限を超えており、彼らが野生で生活するうえで身に付けた生存のための防衛機構ともいえる。

 ネズミの腹をくすぐることによって彼らが「快」を感じることから、研究者たちはこれらの刺激を与えて遺伝子発現解析を行った結果、「笑う」ことによって摂食調節、睡眠・覚醒(かくせい)、そして免疫機能をつかさどる遺伝子が上昇することが確認された。
 「笑うラット」の研究者らは、これらの研究をもとに「笑い」が心身の健康にもたらす効果があるのではないかと期待している。 

 そのほかにも発表された研究の多くは「心の在り方」が身体に対してどのような影響を与えるかというもの。これらの研究を行っているのは現役の医師や学者たちだ。彼らは現在の医療で行われている科学的視点に基づく西洋医学に対して絶大な信頼と技術を持っていると同時に、いまだ克服しきれない精神的な疾患やガンなどに西洋医学の限界も感じている。
 不安、怒り、笑いといった感情が疾患や病気の治療に対して大きな影響があるとすれば、医師が人として患者にどのように向かい合うか、その心の在り方が医療の現場を大きく変える。「心と遺伝子」はまさに人と科学が融合した最先端の研究なのだ。

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