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植村直己さんの英知

 1970年、植村直己さんが日本人として初めてエベレスト登頂を果たした。今年はちょうどその40周年で、日本山岳協会設立50周年と重なり「ザ・植村直己デー」と称した記念イベントが開催された。僕は先月24日、記念イベントとして行われたトークショーに、若手登山家であり冒険家である天野和明さんや栗城史多さんと共に参加してきた。

 植村さんは言わずと知れた日本が誇る冒険家の一人だ。エベレスト日本人初登頂をはじめ、モンブラン、キリマンジャロ、アコンカグア、マッキンリー単独登頂を行い、世界五大陸最高峰登頂に成功している。植村さんの冒険のユニークな点は登山のみならず、アマゾン川下り6000キロや北極圏犬ぞり1万2000キロを走破、また人類初の北極点単独行に成功するなど、地球をフィールドにしたボーダレスの冒険に挑戦したことだ。
 
 僕自身、植村さんと直接面識はないが、父、三浦雄一郎の2003年のエベレスト遠征の時に訪れた標高4300㍍のペリチェにある高山医学研究所で、昔、植村さんと一緒に活動を共にしていたというシェルパのペンバ・テンジンと出会った。
 40年前、雄一郎は植村さんと同じ年にスキー隊としてエベレストのベースキャンプにいたのでペンバとも会っている。お互い当時を懐かしく語っていた。すると彼はおもむろに五目盤を持ってきた。エベレスト登山の偵察を兼ねて現地で越冬していた植村さんは地元の人たちと交流を深めるため、五目並べをコミュニケーションとしていたのだ。
 早速、父に勝負を挑んだペンバだが「また負けちゃったよ~。ウエムラとやったときも一度も勝てなかった」と悔しがっていた。

 植村さんは冒険を通じて、その土地の生活に溶け込む。北極点を目指した時はエスキモーと暮らしイヌイットたちが食べている生肉を食べ、彼らと同様の毛皮を着て、犬ぞりを習得した。アマゾン川を下ったときにはインディオに木で組み立てるバルサ船の作り方と航法を教わり川を下った。
 イベント会場ではそんな彼の楽しそうな姿が上映された。その姿を見て、世界には知らないことが沢山ある。冒険の旅に出よ、と背中を押された気持ちになった。


2010年8月14日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。

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