見出し画像

「思考」という刑務所から脱出する

~思考実験「自分は自分でもあり他人でもある」~

極端に言うと私たちがこの世界について正しく知っていることはほとんどないんじゃないかって思います。だって見ている人の立ち位置や視点や五感の機能的な特徴や認識の癖はそれまでたどってきた経験に基づきものであり、人それぞれで、同じものを見ていても見え方は様々ですよね。自分と他人はあたかも世界は同じように見えているだけで、似ていることはあっても完全に一致ということはないんじゃないかと思う人はきっと多いと思います。にもかかわらず人間はそれを頭でわかっていても多くの人が「みんな自分と同じ世界を見ている」とついつい思ってしまっている。それは人間の心が影響しており、心が脳を欺くことで他人と自分は同じ世界を見ていると信じてしまっているのではいかと今回考えたところからこの思考実験は始まりました。

たとえば、アリに自分と同じ速さで歩けと言わないのは、アリと自分の違いを理解しているからであって、もし人間が自分とアリの違いを認識出来てないとどういう事が起きるだろうか?最初にそんな事を考えてみました。

私たちは同じデバイスを使って生きていても一人一人が全く違うバーチャルリアリティの画面を見て生きているようなものです。ということは私たちはそれぞれの脳の中で生きていることになる。お金持ちの人も芸能人やモデルさんも例外なく自分の脳が作り出した世界で生きており、そう考えると人間はいわば脳に支配された「牢獄」から出られない住人でもあるといえるのではないか?。

繰り返しになりますが、私たちはそれぞれの脳の世界で生きているということが理解出来ずに、自分と他人は同じ世界で生きていると思い込んでいる。極端な考えを例にするならば自分と他人との違いが理解出来てないからアリに同じ速さで歩けということを人間は平気で言っていってしまうことがあるんじゃないかと思ったんですね

自分と他人とは違う世界で生きていることが理解出来てないから、時に今の自分の価値や立ち位置が不安でそれを確認したくて、自分と他人(アリ)を比較することで勝手に落ち込んだりムカついたり、そうやって人間は答えの出ない思考という刑務所から逃げ出せない無限ループにはまってしまっているんじゃないか?この視点からすると、他人や異なる生き物と自分を比較することは、自分を不当に評価したり不満を感じたりすることに繋がっているんじゃないか?だから私たちが認識の違いを理解し、それぞれの脳の中で異なる世界で生きていることを受け入れることは、自分と他人との関係を受け入れ共存するために何が必要なのかを考えることが出来ると思いました。

人間が「思考という刑務所から脱出するために何が必要か?」

今回の思考実験として試みたいのは、自分の脳の世界の牢獄から脱出するために、実は自分だけの脳の世界で生きているのではなく、自分の脳の世界と他人の脳の世界の中を常に行き来しているとしたら何が起きるだろうか?という実験です。言い換えると「自分は自分でもあり他人でもある」という事になる。その考えをもとに考察していきますね。

①私は他人でもある:
私たちは他人との関係性の中で自分自身を定義しています。他人からの評価、期待、反応などが私たちの自己認識を形成しているとも言えます。でも自分は自分でもあり他人でもあるという認識が生まれた時に何が起きるだろうか?

②私は常に変化している:
私たちの体は常に細胞が新しく生まれ、死んでいくため、私たちは物理的にも精神的にも常に変化しています。また、私たちの経験や知識も日々変化しています。

③私は複雑な存在である:
私たちは単一の存在ではなく、多くの要素や要因、視点から成り立っています。私たちは自分を一つのアイデンティティとして考えることができますが、同時に他人でもあるということは、一つのアイデンティティの集合体でもあるという事になります

④私は他人と共存している:
私たちは他人との関係の中で共存しています。私たちは自分と他人との違いを認識しながらも、他人との共有点を見つけ共存することが可能です。

⑤比較する必要がなくなる
自分を受け入れることは他人を受け入れることにつながります。自分は自分でもあり、他人でもあると認識することで、自分と他人を比較する必要がなくなります。他人をコントロールしようとすることは、自分をコントロールすることにもつながり、自分の異なる考えを排除しようとすると逆に対立が生じて新たな闇が生まれます。自分を受け入れ、他人と共存することで、自分自身も寛容になれるプロセスに繋がっていきます

⑥動的平衡:
動的平衡とは、物事が常に変わりながらも、なんとなくのバランスを保つことを言います。自分の脳の世界と他人の脳の世界を常に行き来していると仮定した場合、物事が常に変わりながらも、なんとなくのバランスを保つにはどうしたらいいのでしょうか?それには自分自身と他人との間の一時的な平衡を見つけることがカギになってきます。お互いの共通部分を見つけ共感し、お互いの違いから学びあう。自分は自分でもあり他人でもあるという仮説に基づくならば、自分の中に自分と他人がバランスよく共存した関係性の中で一時的な平衡を見つけることが出来れば、人生の予測しづらい変化にも異なる考えから得た気づきで対処できるようになることも可能になるのではないでしょうか?

「自分の中の自分と自分の中の他人が共存するために」

①自己認識:
自分自身を深く理解し、自分の感情や考えを正確に把握することが重要。
自己認識を高めるためには、自分の内なる声に耳を傾ける必要があります。

②自己受容:
自分の中の異なる側面を認識し、受け入れることが大切。自己受容を持つことで自分の中の矛盾や葛藤を認識しそれらと共存していく。

③自己対話:
自分自身との対話を通じて自分の中の異なる側面を理解し整理する。内省や自己対話をすることで、自分の中の矛盾や葛藤を解消し内的な平和へとつなげていく。

④柔軟性:
自分の中の異なる側面を受け入れ、それらと共存するためには柔軟な思考が必要。自分自身の変化を受け入れ異なる側面が共存することを許容することが大切

⑤自分軸:
自分と他人が共存した状態でも自分軸を作ることは可能である。自分軸を作りながらも常に余白としなやかさを兼ね備えて、ゆらぎの中で生きていく。

【まとめ】

自分の中に自分と他人が共存した世界で私たちが生きるとしたら、それは自分は自分でもあり他人でもあるという考えが軸となってきます。他人も共存しているがために自分の中に矛盾した思いも生まれると思います。たとえば、それは時間軸によっても変化があるのではないでしょうか?小さい頃の自分と今の自分が違うようにその違いが人生を特別なものに変えていく事にもなる。人生という時間の経過で違いを経験し、その違いが気づきへと発展していき、時間と共に他者との違いとの出会いで繋がりも生まれていく。

違いと共通がなければ気づきはない
違いと共通がなければ繋がりは生まれない
違いもあるけど共通もある
違いは独自性を持ち特別な存在にもなり
共通は私たちの関係を豊かにしていく

違う部分と共通する部分があるからこそ、私たちはお互いに繋がり
深い関係を築くことが出来る。共通する部分からは共感が生まれ、
違う部分があるから私たちがお互いに学ぶことが出来るし一緒に成長することができる。

時に違いが葛藤を産み、歩みが停滞することもあるだろう。しかしその人生の波(振動)が生きているという実感に繋がるのではないでしょうか?

いかがでしたでしょうか?
このような思考実験は面白く現実を違う角度でとらえた先に、今までと違う世界が見えてくるのだと思います。

ここまで聞いていただきありがとうございました

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?