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6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む


フランスの小説のタイトル。何が起こるのだろう、とちょっとワクワクするタイトルだ。タイトルに時刻が含まれているというので思い出すのは2017年に公開された、クリント・イーストウッド監督の映画『15時17分、パリ行き』。両方ともフランス絡みだ。


作者はフランス人作家、ジャン=ポールディディエローラン(名前からして難しい)。フランスでは26万部を突破した大ベストセラーで、36ヵ国で刊行されている。私はこの本を職場の先輩からススメられて読んだ。読んでみて私はとても好きだったので同じ職場の本好きの人にススメた。彼女とは好きなモノの趣味がとても合うのできっとこの本も好きだと言ってくれると思ったから。しかし彼女は途中で、というか結構序盤で挫折した。

それくらいクセの強い作品だ。

フランス人作家さんの本を読むのは私はそれが初めてだったが案外そういう人は多いと思う。私もススメてくれる人がいなかったら多分手に取ることは無かっただろう。だから出会えて本当に良かったと思うのだ。
3年も前に読んだ本だが、是非皆さんに紹介したく記事を書こうと思う。


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まずタイトルに相当な情報が入っている。主人公のギレンは本が大好き。にもかかわらず“毎日本の大量虐殺”が行われる裁断工場で働いている。本好きな彼はそこで処理しきれず生き延びた本のページを持ち帰り電車で読む。彼にとってそれは本への弔いだ。「救い出したページに書いてある言葉を読み上げるのは、紙を言葉から解放してきちんと往生させるため」と、ここまでは、まぁなるほどなと理解していただけたと思う。しかしこの”本のページを読む”という行為、実は読書ではなく”朗読”のことを指している。そう、声に出して読んでいるのだ。6時27分発の朝の通勤電車でだ。

‥変な人だ。

もし電車にそんな人がいたら私は絶対に側には寄らないだろう。乗っている車両を変えるかも知れない。しかしフランスの人たちは実に大らかだ。楽しみにしている人もいれば、”害のない変わり者に対して向けられる敬意”を持って静かに聞いている。


ギレンの元同僚ジュゼッペは、裁断機の事故で足を無くした。自分の足と共にミキサーにかけられリサイクルされた紙で出来た園芸の本を集めている。タイトルは『過ぎし日の庭と家庭菜園』。彼はその本を全部(1300冊)集めて自分の足を取り戻そうとしているのだ。
‥やっぱり変な人だ。
古本屋から本が見つかったという連絡があれば、代わりにギレンが取りに行く、という感じ。

ギレンはそんな友人のために密かにその園芸の本を手に入れ、折を見ては、例えばジュゼッペがやる気を無くした時、古本屋から連絡をしてもらいギレンは手元にあるその本をジュゼッペの所に届ける。一度に渡したりしない。少しずつ。1年に3、4冊ずつ。そうすればジュゼッペは「次またいつ見つかるかも知れない」という期待を持ち続けることができる。友人思いのとても素敵な行為だ。

そんなある日、ギレンが1つのメモリースティックを拾う。そこにはある女性の日記が綴られていた。ショッピングセンターのトイレの接客係として働くジュリーという女性。日記を読むと、彼女もまた正常値ギリギリのところで、社会的にはきちんと職務を果たしている。トイレで働く女性という世間のイメージからはみ出さないよう演じながら生きている。
年に一度トイレのタイルの数を数える。毎年同じ数になるとわかっているのに。なんならタイル1枚1枚の特徴も覚えている。傷や欠けやひび。枚数は14,717枚。ジュリーはこの数字が嫌いだ。丸みが無いから。
‥やっぱり変な人だ。

この作品に出てくる人たちは私たちから見ると「ちょっと変わってる」と言われる人たちだ。しかし、ちゃんと仕事を持ち生活できているし誰かに迷惑をかけるでもない。自分はちょっと人とは変わっているということがわかっているからギリギリのところでちゃんと日常を送れている。奇抜な出来事は起こらない。

この後ギレンはジュリーに恋心を抱くのだが、その先に興味があれば是非読んでいただきたい。
2人が直接出会うところまでは描かれないが、ギレンがジュリーに送る手紙とちょっとした贈り物がとても素敵なのだ。


普通とは

この本を読んで普通とは何だろうと考えた。
私は自分のことを、普通の人だと思っている。しかしちょっと見方を変えるともしかしたら私はちょっと変わっているのかも知れない。いい歳してnoteにうつつを抜かしているし(もちろん良い意味です!)、いつまでたってもミーハーだし。私が小さい頃は人と同じことが良いこととされていた。はみ出した子は変わってる子。

だけど今はどうだろう。

人と違うことは個性であり、各々の個性を受け入れることが大切だと教えられる。人が考えないような新しい事を思い付いた人が勝ちで、なんもしない人がレンタルされ重宝されている。

普通とか常識とかの概念は変わっていくのだ。昨日までちょっと変だと思われていたことが明日には当たり前になる。変化を受け入れられないと時代に取り残された頭の堅い人と見なされ自分のほうが”ちょっと変”な人になるかも知れない。

ギレンやジュゼッペにとってはとても生きやすい世の中なのではないだろうか。
”通勤電車の吟遊詩人”なんて呼ばれて朗読動画がバズる日が来るかも。


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