『またね』って言い合えるのはともだちのしるし〜映画『サバカンSABAKAN』感想文〜
もう何ヶ月も前から次女が『サバカン』に行く、行くと言っていた。私はてっきり内容に惹かれてのことだと思っていたが、いよいよ観に行くとなったその日初めて、次女がそこまで観たかった理由を知った。次女の“推し”が出ていたのだ。それは良い。別に構わない。私も観たいなって思っていたからそれで良かった。
『サバカンSABAKAN』
長崎を舞台に、1986年のひと夏の冒険談。日本版いや長崎版『スタンドバイミー』だ。小学生の男子ってこうも向こう見ずなことをしでかすもんなのかと呆れる。無鉄砲で無計画で無邪気。小学生男子には何も“無い”、いつも行き当たりばったり。良いことばかりじゃないし、痛い思いもする。勉強は嫌いだけど得意な科目はある。しょうもないことに一喜一憂しては親に叱られる。
それでいて誰かを大切に思う気持ちが芽生える。毎日学校で顔を合わせてバカ言ったり一緒に遊んだりするだけの人は友達なのか?クラスメートと友達の違いは?
「今日から友達だ」なんてわざわざ言わないけど、じゃあいつから友達になった?
”またねー”
”またねー”
またあそぼうね。また話したいね。また冒険しようね。また会いたいね。また会いたくて会いたくて、やっぱり会いたい。また。また。または次も、その次も。明日も明後日も、また。また。それが友達。またね、を言い合えるのが友達。お互いに同じように、また会いたいって思ってる。そう思えた時が友達のはじまりだった。
タケちゃんはヒサちゃんのことを、ヒサちゃんはすぐに諦めるよねって言う。諦めるなって言うけどじゃあどうしたらいい?
あの日怖いおじさんから逃げようと走って転んで痛くて起き上がれなくて、もうこれまでかと、迫ってくるおじさんを見たらもういいやって諦めようとしたヒサちゃんに、タケちゃんは言った。
もういいやって諦めることを決めるのも自分なら、それじゃダメだって決めるのも自分。おじさんに捕まりそうになって一度はもういいやって思ったけど、そうじゃない、もう一度立ち上がって走ろうって決めたら体が動いたよね。なんだって自分で決められる。タケちゃんはそれを教えてくれた。だから大切になった。だから友達になった。その言葉は大人になったヒサちゃんが、諦めかけてたヒサちゃんを、もう一度立ち上がって前を向く気持ちにさせてくれた。
大人になったヒサちゃんが草彅剛さんだ。出番は少ないけれど“あの夏”の語り部として、あの声、あの表情はズルい。草彅剛さんが出てるからこの映画を観たかった。
子役の2人がとても良い。初めはぎこちなくて観ている私まで居心地が悪かったけど、お互いをだんだん知っていく過程で2人の空気感が変わっていった。別れのシーンであんなに泣ける、それはもうホントにホントに、お芝居とかそういうのじゃない何か、それはやっぱり役そのままに2人の間に友情が芽生えていたんだと思った。
若松了さんを見て泣いた。竹原ピストルさんを見て泣いた。尾野真千子さんは頭をはたくのが上手だった。そしてやっぱり見て泣いた。
そして観終わったら“アレ”が食べてみたくなる。(だからスシローさんとのコラボだったんだね。)
正直こうも話がうまくいくものかと思ったりしないでもない。でも小学生男子には何も“無い”から、人間、無欲だと意外とうまくいったりするのだ。
PS・もし観に行かれたら、是非エンドロールの最後の最後までお楽しみくださいね。
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