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結局、“人間”が一番怖い?(帯文より)


澤村伊智さんの新作の表紙絵がなんだかわからないけど怖い。分からないから怖い、これが実は本作のテーマだ。


怖ガラセ屋サン/澤村伊智

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澤村さんはホラー作家さんだ。ものすごく強いバケモノが出てきたり、逃れようのない呪いや邪悪な悪霊に追い詰められる。それでいて最後には、“一番怖いのは人間”みたいなオチがついたりして、ふむふむとなる。本作はその“一番怖いのは人間”を真っ向から描いた短編集だ。ひとつ読むごとに“怖いもの”の輪郭が見えてくる。ここに出てくる“怖ガラセ屋サン”とは、ある種の流行りものや都市伝説のような存在。例えば“口裂け女”が全国的に流行った時代があったが、地区や地方あるいは年代によって細かい設定(設定って言っちゃってる時点で既に作り話)が違う部分がある。本作の怖ガラセ屋サンもその域、ゆえに呼び名や登場の仕方、ビジュアルも少しずつ違っている。そして、あまりメジャーではなかったのか、資料が少なく、知っている人も少ないようだ。


この小説の怖いところは“まさか”そんなところに恐怖が潜んでいるなんて思ってもないシーンばかりだからだ。例えば知り合いの知り合いのことを頭から信用しちゃっていいの?って。


人間が怖いって言ってたくせに、会社の同僚が連れて来た人を「僕の恋人です」と紹介されたら、はじめましてなのにすんなり家に入れて一緒に食事したりして。そもそも会社の同僚のことも、会社でのその人しか知らなくて、ほんとはどんな人なのか実は全然知らないのに。よく知らない人が連れて来たよく知らない人を信用しちゃって良いのか?って話だ。そんなとこ、脅かされたら、人間関係が滞ってしまう。新しい人と知り合うのが怖くなってしまう。だけど本当はそれくらい警戒しても良いんだよ、と。人間が一番怖いって言ってたくせに、自分には恐ろしいことは起こらないと思い込んでいる人に警鐘を鳴らす。

そうだ、恐怖とはよくない予想をして湧き起こるものだ。
『そうなるかもしれない』という予想は、『そうはならないで欲しい』という願望とセットでなければ恐怖には至らない


“よくない予想”はそこに不安や不穏さを感じないと出てこない。鼻から疑ってない時にはよくない予想なんてしない。だから、“まさか”なのだ。
私は、ホラー小説は読むがホラー映画は苦手だ。それは、まさに上に書いてある通りに私が予想してしまうからだ。映画なんて作り物、お約束の連続なのに、だ。わかっちゃいるけど、だ。きっとこの角を曲がったら何かいる。いないと思ってホッとしたらそこにやっぱりいる。予想しててもやっぱり怖い。

この本を読むと、怖いこと(もの)って日常の中にひっそりとあるってことに気付く。ちょっとだけ人間不信になりそうだが、大丈夫、誰かに恨まれたりしなければ怖ガラセ屋サンは来ないはず。きっと‥



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