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ちゃまの修学旅行


火曜日、ちゃまが入院した。夕方右手に痙攣が起きて、私は迷わず救急車を呼んだ。


行く先の選択肢は3つ。まずは、2年前に入院していたK大学病院。2つ目は、K大学病院からリハビリの為に転院したT病院、田舎の総合病院だ。そして3つ目は、家から一番近いM脳外科。一番近い専門医だけどかかったことはない。第一希望はもちろんK、救急隊員から連絡してもらうも、その日は救急センターが混み合っているからと断られた。残るTとM、どちらか先にOKが出た方へ搬送しますと言われ、承諾した。結果、T病院に行くことになった。そこから約3時間半後には結局K大学病院へ搬送されることになるのだが、いろいろ言いたいことがありすぎてそこは端折る。


一日目【深刻な状況にも笑ってしまううちの家族の話】

さて、K大学病院に救急搬送されてからさらに2時間後、担当してくださった医師からの説明があった。新しく出血や梗塞はなく、2年前の脳梗塞の後遺症で痙攣が起こり、それが続いたために呼吸がうまく出来ず体内の酸素と二酸化炭素の量が逆転し、その結果意識レベルが下がった、今は挿管しない呼吸器を付けているが今の状態が続くようなら挿管します、と言われた。新しい病気じゃないってことには喜べば良いのだろう。
「何とか良い方向へ向かえば良いのですが‥」と深刻そうに言われ、思わず
「危ないってことでしょうか?」と尋ねる。自分の声なのに自分じゃないみたいに感じる。ちゃまのことでそんな質問をしている自分に焦る。
「いやまあ、危ないというか、ジュウショウであることには間違いないです」

ジュウショウ。あ、重症か。重い症状。昨日までの日常生活には関係無い言葉だったからすぐに変換出来なかった。

その後処置室の本人の目の前に案内される。ちゃまは意識がない状態で呼吸器を付けられていたが、その呼吸器を看護士さんが手で支えている。なぜだろう?ベルトをしているにも関わらず、だ。医師が自分の顔の、口から顎辺りをぐるぐると指さして、
「(ちゃまの)この辺がしっかりしていらっしゃる(要するに顔が、顔の下のほうが大きいってことらしい)のでちょっと押さえてないと呼吸器がはずれちゃうので」
それを聞いて私、長女、次女は思わず「ふふっ」と笑ってしまう。
「なんか、ちゃま、らしいね」
いつも、どんな場面でも笑いを提供してくれるのがちゃまなのだ。


「このまま呼吸が戻ってくれたらいいんですけどね」と医師。「でも、最初のことを考えたら徐々に良くなってますよ。一回で酸素を500近く吸いこめてる時もありますから」
モニターを見てると、確かに400の後半の数字が表示されている。が、次の呼吸の時には200台に落ちたり、300台だったりと安定しない。
「今日は目の届くICUで管理します。後ほどICUの担当からお話があります」と言われ、私たちは待合室に逆戻り。


しばらくしてまた呼ばれる。先ほどの処置室とは違い今度は、中に2人しか入れませんと言われ、次女が残ることに。次女いわく、「お母さんはボーっとして言われたことをすぐに忘れちゃうから、おんちゃん(長女)がしっかり聞いてあげて」

ICUの神経内科の先生。入院に際しての確認事項、こんな時にはこうします、ああします、と。その中に、“手足を拘束する場合がある”と。理由は、体に入っているチューブなどを無意識に抜いてしまうのを防ぐためだ。

「今は意識レベルが下がってて“チーン”って感じですけど、意識が戻った時に体に繋がっている点滴やらチューブやらを抜いてしまう場合がありまして。抜かれると困るものもありますので」

えぇ、えぇ、分かりますとも。ちゃまなら“アリ”そうなことなので妙に納得してしまう。
ていうか、今、先生、「チーン」って言った。チーンって‥私と長女はまた「クスッ」と笑ってしまう。だって、チーンって‥その言い方、合ってる?
が、先生と看護士さんは真顔だ。あ、笑っちゃいけないとこだった?深刻な話の時にも笑っちゃう、うちの家族の悪いとこが出てしまった。ふざけてるわけじゃない。面白かったから笑う、それだけだ。



メンヘラ母をポジティブに叱る長女と、バランサーの次女の話】

実は、私は後悔していた。K大学病院に断られた時点で、T病院に行くより脳の専門のM脳外科に行ったほうが処置が早かったのではないかと後悔していたのだ。すると長女が、
「あのさぁ、Mには行ったことがないんだから初めて行ってゼロから説明するより、Tなら入院もしてたわけだし事情も分かってるんだから、そっちの方が良いに決まってるじゃん。それに、TがCTやMRI撮ってくれてたおかげで、Kに来てからの処置がスムーズだったはずだよ。Tも良い仕事したんだよ」と。

そうか、そうよな。
私は長女に救われる。すると次女が言う。

「はい、おんちゃんの良いとこが出た。お母さんは、大体いつもそうやってグジグジ言うから、そういう時のおんちゃんのアドバイスが的確なんよ。だからさっき、先生の話聞く時も、私じゃなくておんちゃんに行ってもらったの」


そうか、そこまで考えての人選だったか。私ってば、全く信用されてないじゃん。でもいいの。娘たちがちゃんとしてくれてるから、安心してボーっとしとける。


二日目【いつ何時も、病院からの電話にはビビるよね、な話】

病気って、入院して24時間だかが一番急変しやすいみたいな話があるので、最初の夜はドキドキだ。夜中に電話が鳴ったらどうしよう、などと思っていたのに気付いたら朝だった。ICUでの夜は何事もなかったようだ。そういえば2年前の入院のときは、入院した夜に家で一人でベッドに横になって、ちゃまがいないことを実感して少し泣いた。なのに熟睡しちゃうなんて、随分と図太くなったもんだ。
朝から入院手続き等のため私と次女は仕事を休んで病院へ向かう。家を出発して10分ほどした時、突如携帯が鳴った。番号表示を見るとK大学病院からだ。ドキっ。なんかあったのか?恐る恐るBluetoothで電話に出る。


「今日の午前中に一般病棟に移ります」

え?もう?

「意識が戻ったってことですか?」
「はい。」

良かったー。ていうか、電話の向こうでちゃまの声がしたぞ。何を喋っとるんじゃ?

「お話もされてますっ」
‥すみませんねぇ。おしゃべりで。一般病棟ってことは、持って行く物が増える。一旦自宅に戻って出直すことにした。2年前の入院の時に買ったパジャマが使える。季節が同じで良かった。家にある物はそのまま持って行くとして、必要な物は買って行かなくちゃだ。


入院慣れしちゃってる、完璧な我が家の入院準備の話】

2年前の入院の時に結構めんどくさかったのが、持ち物に名前を書くこと。今回の入院の説明の時にはその話はなかった。先が見えないICUへの入院だったからか、そこまで詳しい説明はなかった。でも私たちは知っていた。病院へ持って行くものには名前を書かなきゃいけないってことを。一般病棟に移ったといっても、まだまだ目を離せない状態らしい。病棟に到着すると、詰所の中に車椅子に乗ったちゃまを発見。パジャマはまだ私たちの荷物の中、ゆえにちゃまの格好は、病院のパジャマの上着に、下はオムツのみ、ズボンを履いていない。看護士長さんが、
「ごめんなさいね、ちょっと足が出ちゃってます」足にタオルを掛けましょうか?と聞かれたちゃまは「いらない」と断った。


\いや、そこは掛けてもらえよ!/
持って来た荷物を、担当の看護士さんに渡す。
「あ、そういえばご本人が携帯電話を気にされてて」
「あ、持って来ました。そこに入ってます」
「助かります!」



「あ、髭剃りもあった方が良かったかもですね」
「入れてます」
「助かります!」



「持ち物にお名前は書いてあ‥」
「書いてます」
「わあ、助かります!」




ははっ、どうだ。文句のつけようがないだろ。うちら、入院準備は手慣れたもんである。


謝ってばかりの私たちと、ちゃまのワガママにお付き合いくださる病院スタッフの話】

まずは、担当看護師さんとお話。若くて綺麗でとてもテキパキしていて気持ちが良い。家での様子、出来ていたこと、出来ないことを聞かれる。日常生活で困ることはありませんでした、と伝える。次に飲んでいたお薬のチェック。本人が管理していつもきちんと飲んでいたと伝える。

「今日、朝ごはんをいらないとおっしゃって召し上がらなくて。」
「すみません。」
「今朝は入れ歯が入ってなかったので、それも理由かもですね」
とフォローしてくれる。
そういえば、2年前の入院の時も、ちゃまがなかなかご飯を食べなくて、そのことで私は何人もの先生や看護師さんから「いつもはどうなんだ?なんで食べてくれないんだ?」と責められたのだった。どうして食べないのかちゃまに聞くと、「欲しくない、美味しくない」と。ここは病院だぞ。あなたは入院患者だぞ。わがままにも程がある。

「あと、ご本人さんが酸素の管や点滴を早くはずして欲しいみたいで、勝手にはずせないように今はちょっと手に手袋のような物をはめさせていただいてます」
「ホント、すみません」


先生からも同じようなことを言われた。
「ご飯を食べないといつまでも点滴ははずれませんよと言ってあります」
「もっと言ってやってください。」
「なんか、来週囲碁の大会があるんですか?それまでに帰りたい、みたいなことをおっしゃってて」
「もうーホントすみません」
「いや、まあ、歩けるようになれば、早ければ今週末の退院も考えられめす」
「え、そんな早く?」
「ええ。歩けるようになればですけど。多分歩けるようにはなります」
「ありがとうございますっ」


三日目【早く点滴の針を抜いて欲しくてたまらないちゃまの話】

ちゃまは見栄っ張りだ。私たちにせよ、看護師さんにせよ、「オレは出来る」ってとこを見せたくて必要以上に頑張る傾向にある。歩くのだって、スッスと歩けるアピールをしたいのだ。だけどまだ点滴の針が腕に刺さっているので、スッスと歩くには邪魔だ。ちゃまは点滴の針を早く抜きたくてたまらない。

「今の点滴が終わったら、あともう1本で点滴は終わりなんだって」
「そうなの?先生が言った?」
「そう。先生が言った」
「今日のところは、ってことなんじゃないの?」
「違うって。あと1本終わったらもう点滴しなくていいんだって」と言い張る。
「そうか、良かったね」
そこにやって来た看護師さんに念押し。「この点滴が終わったら、あともう1本で終わりなんよね?」
「そうですよ。でもこの1本が終わるのにまだ2時間くらいはかかりますよ」
「えっ?残りがこんなに少ないのに?」
「そうですね、ゆっくり入れますから」
‥この時のちゃまの落胆ぶりったら。


そんなこんなで四日目、金曜日。
【明日にします?明後日にします?それ、こっち次第なんですね、な話】

もう、トイレだって一人で行ける。ご飯も食べてる(らしい)。昨日お風呂に入れてもらったので、洗い物を届けようかなと思っていたら、病院から電話。先生からだった。

「今朝見てみたら、すごく良くなっててこれならもう退院してもいいと思いますので、明日か明後日、どちらが良いですか?」
「え、そうなんですか?」
「ええ。ご本人さんも、囲碁の大会に間に合って喜ばれてます」
「また囲碁‥‥ホントすみません」
「で、明日か明後日か。うちはどちらでも良いですよ」
ちゃまにこの話が伝わってるってことは、早く退院したいって思ってるはず。

「明日でお願いします!」


ということで、五日目土曜日の朝、退院の運びとなりました。



4泊5日。ちゃまが入院した同じ火曜日から近所のお子さんが3泊4日の修学旅行に行っていた。ちゃまのほうが1日長かったけど、まさに修学旅行くらいの長さだった。修学旅行なら絶対帰って来るもんね。無事に帰って来てくれてホント良かったよ。‥お土産はなかったけどね。


この先も、またこんなことが起こるんだろうな。それにもまただんだん慣れて、入院にも慣れて、退院にも慣れて、「ちょっと行って来るよ」くらいになっていけば、それはそれで良いかなって思う。たまに離れてみたら一緒にいられることのありがたさを実感出来るし、限りある時間を大切に思えるし、乗り越えられたらこうやって笑って話せる。深刻な時も面白かったら笑っちゃううちの家族のこと嫌いじゃない。それで良いって思う。そういうとこ、良いって思う。



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