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[小説] 陽光が月肌を撫でる。 (5)

前回までのお話は....


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 改札へ向かう間、僕は今日いろんなことを考えすぎているなと懲りずに考えていた。

 街中の広告と画面の中の広告について、この街の空気とグリンデルワルトの空気における光の減衰度合いの差異に関して、そしてまた広告について考えて、ついさっきまで女の子に関して考えていた。

あまりに精神世界に浸ってしまっている自分に、辟易する。

いかにもモラトリアム真っ只中みたいな、哲学世界に入り浸りカントの三批判書を携えてインドに自分探しに行ってしまうような、そんな自分があほらしい。

この阿呆の青二才がと口の中でつぶやいた。

 改札を出、階段を上り地上に出ると神保町の古書店街が目に入る。

こちらの通りも、片側三車線の道路を挟んだ向こうの通りにも古書店が軒を連ねている。

それぞれの古書店に置かれているものは、それぞれ全く異なっていた。

ウィンドウの空間に厳かな雰囲気を醸す巻物が置かれている古書店には文学、専門書、理工学書、医学書など幾多もの古書が所狭しと本棚に陳列されている。

きっと奥の方に哲学のコーナーがあって、そこには堂々とカントの三批判書が置かれているのだろう。

 目的地に向け二人歩いていると、古書店から古書が持つそれ自身の歴史が匂いとなって漂ってくる。

 赤いオーニングテントがとても目立つ本屋の前を通る、ウィンドウには数々の書籍が飾られている。

どれも今話題の本のようで、最近よく見聞きするようなタイトルが並んでいる。

女の子はそのウィンドウの前で時折立ち止まって、一瞥するのを繰り返した。おそらく本を物色しているのだろう。

しかし、目を引くようなものはなかったらしくそのまま赤いオーニングテントの書店を通り過ぎた。

僕はその間もただ女の子の横について歩を進めていた。

 女の子は不意に僕の方に振り向くと、ニカっと笑みを浮かべながら、もうすぐ着くよという。

一本脇道に入ると、ここだよと女の子が指を差す。淡いオレンジ色に照らされた木目調の看板には***と洒落っ気たっぷりに書いてある。

すぐ入ろうと思ったところに女の子は僕の上着の袖を引っ張り、それを静止した。

女の子は僕をお店から遠ざけると、スマートフォンのカメラを起動した。僕が写真に映ってはいけないのだろう。

僕は女の子のカメラのレンズにうつらないように気をつける。

画角を何やら慎重に確かめると、次はグリットを睨みながら構図を決める。女の子はその一連の行為にとても時間をかけた。

何度かシャッター音が響くと、納得したらしく女の子はスマートフォンを鞄にしまい僕に目で、入るよと合図した。

僕は女の子に従って、ドアノブに手をかけ、ドアを慎重に開けた。女の子を先に通してから、僕もその後を追って店内に入った。

 店に入り、まず目に入ったのは薄いピンクの花びらをいっぱい携えた桜の木の枝だ。

店内の中央に生けられたその枝は、堂々とそこに鎮座し、季節が春であることを客である僕らに知らしめる。

 こんな立派な桜の枝をどこから持ってくるのだろうか。

そもそも、桜の枝を折っていいものなのだろうか。

素直に桜に魅了されればいいものを嫌に現実的な疑念を抱いてしまう。

僕は仮説として、桜の枝を販売する業者がいるのだろうと考え、思考に一旦区切りをつけた。

桜自体に気を取られていたが、生けられていた花瓶もとても立派なものであった。

壺のようにも見えるその大きな花瓶は、薄橙色と苔のような深い緑とが随所で混ざり合っているといった代物だった。

僕に生命の力強さを訴えかけている。

 店員に案内され僕らは席についた。

僕は桜に背を向けて、女の子は僕の向こう側に桜を見ることができる、そんな席だ。

 女の子は店内をぐるぐると何度も見回しながらスマートフォンを手に取ると、たくさんの写真を店先でそうしたように撮り始めた。

 時折僕は席を立つように指示された。

その度に僕はメニューを見るのを中断しなければならなかったし、女の子はもちろんメニューなど一切見ていない。やはり僕は映るべきではないようだ。

 女の子の撮影がようやく落ち着いたところで、やっとのことでメニューを落ち着いて物色することができた。
 僕はパンケーキを、女の子はフレンチトーストを頼むことにした。

それぞれ紅茶かコーヒーがついてくる。

僕らは二人とも紅茶を選択した。僕はダージリンを、女の子はアールグレイを。

 少し待つと、綺麗なカップに入った紅茶がメインに先んじて僕らに給仕される。

僕らは紅茶を飲みながら、例の如くたくさんの話をした。


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 女の子は今日ちょうど読み終えたという遠野はるかの『改良』を鞄から取り出して、ちょっとした感想みたいなものを僕に語った。

美しくなりたいという主人公の欲求にひどく共感したとか、暴力的なシーンに耐えきれず何度も本を読むのを諦めそうになっただとか、概ねそんなような感想だった。今回は僕に質問を投げかけるようなことはなかった。

どんな質問が飛んでくるか身構えながら聞いていたので、どこか拍子抜けだ。女の子の感想から察するに、このお話の主人公と僕が実際的にあまりにも差異が大きいと思ったのだろう。

 しかし、僕も美しくなりたいという欲求を当然のように保持している。

それによって日常生活が苛まれている。

鏡の前に立つたびにニキビで覆われた肌の男と対峙するのはごめんだ。

外見に固執し、苛まれ内面も醜悪なものになってしまってはならぬから、なんとか考えないように努力しているだけだ。

僕は美しいものに憧れるし、なりたいと思う。美しいものに触れたいと思うし、手に入れたいと思う。

周りを美しいものでいっぱいにしたいと思う。

お前はルッキズムの信奉者だ、お前は形而上的な美に気づくことができない欠陥人間だ。

 そうだ、僕は形而下的な美のみを認識し、それ以外を排除しようとしている。僕は美のイデアについて何の興味も持ち得ない。

目に見える、わかりやすい形骸的美に固執している。どうしようもないクズだ、真理には到達し得ない単細胞だ。

現代社会において迫害される古い凝り固まった考えに固執している。

 ハッとした。眼前には女の子がいる。

女の子はフライドポテトのMサイズを頼んだはずなのにどういうわけかLサイズのフライドポテトが出てきたときみたいに、当惑した顔をしている。

「何か難しい顔しているよ。ずっと下向いているし」


アテナイの学堂でプラトンは天を指さしている。

そういえば高校の世界史の先生が、プラトンはイデアを指しているのだと言っていた。道理でイデアに興味を持ち得ないはずだと僕は思った。

あぁ、ちょっと疲れてるだけだよ、課題するために遅くまで起きてたからと僕は言った。

 このままでは深いところに落ちていってしまう気がする。ブラックホールの事象の地平線がすぐ目の前といった感じがする。

地平線の内側に落っこちたら、僕はスパゲッティみたいに引き伸ばされて、永遠に穴から戻って来れないのだ。

ホワイトホールがあるとすれば、話は変わってくるのだけれど。



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このお話の続きは.....


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最後まで読んでいただきありがとうございます!!!!!
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