丁寧にわかりやすく説明したらダメですか?
先日、師匠が引退して、その際にもらった言葉に反論しているのだ、私は。
師匠引退の日に、師匠と話していたら、
「最近、細かい話を聞くのが疲れました。
みんなそんなにしてまで伝えないと伝わらないって思ってるんだ、と思って。」
と言うのだ。
けっこう衝撃的だった。
私は、ここに書いている文章を読んでもらうと分かると思うが、けっこうなんでも丁寧に伝えたい方だ。
面倒くさいくらい丁寧に書いて、それで相手に自分と同じように理解してもらえるように努めるのが正しい!と思い込んで生きてきた。
これは、普段の仕事の影響が強い。
自分の意見を相手に伝え、それが材料となって物事の判断に使われるという事もあって、なんでも分かりやすく丁寧に伝える事が求められている、と考えていた。
なので、師匠のこの話を聞いて、えー!丁寧に説明して何が悪い!とこれまた反抗してみた。
大体、私は師匠に反抗しがちだ。
面と向かって言えないからこうして相手の居ないところでこっそり反抗する、せこさよ、、、
そんな師匠の言葉が、今日もまた心の中で熱を持っていたので、こうして改めて解釈し直している。
反抗して、納得いかないから聞き入れない!じゃなくて、それが自分にとってどんな意味をもたらすのか、を考える。
それが私にとっては重要だ。
ああ、なるほど。
答えは出たな。
言葉をどう受け止めるか、どう解釈するかはその人次第。
言葉を発する人が、コントロールするものではない。
それが相手に言葉を投げかける、そういう事なのだ。
言葉を発して相手に渡したら、もうそれは相手のものだから好きにしていいよ、と。
忘れようが、明日からそれを自分の言葉として使おうが、お好きにどうぞ、と。
そういう事なんだ。
私ってば、今までずっと必死で相手をコントロールしようとしていたんだなあ。
自分が発した言葉が、自分の想定した通りに利用されなかったらどうしよう、と不安で。
そんな無駄な不安をずっと抱えていたのだ。
だって、相手を信頼しないから。
師匠は引退を前に、日に日に言葉少なくなっていって、大事な事を本当に簡単にしか伝えてくれなくなってきた。
でも、それは、私たちを信頼してくれていたからこそ、一から十まで伝える必要がないと考えていたからできたのだ。
私たちなら、全てを言葉にしなくても、自分で考えて、それぞれの人生に最も相応しい行動に移すことができると考えていたからだ。
それは、昨日今日の付き合いではなく、長い人なら10年、短くても数年の付き合いが師匠と私たちにあったから、その中で師匠が全て伝えなくても、自分で考えて理解する力を身につけさせてくれてきたんだ。
そういう長い時間をかけた仕込みがあったからこそ、師匠は自信を持ってできた事なんだとも気づいた。
私は今、師匠の引退を経験して、これから自分はどのように生きていくかを迷っている。
今日、こうして師匠の言葉を振り返ってみて、その迷いが生じる事を師匠は見抜いていたんだなあ、と思った。
「迷う必要なんかないじゃないですか。面白きかなこの人生、なんでしょう。みつさんは生きてるだけで面白いんだから。迷ってないでやってみたらいい。みつさんの人生をこうやって伝えたら良いんですよ。」
そんなメッセージが聞こえてきた。
うん、そうだ。
まずは書き続けよう。
私に与えられた力をもっともっと使ってあげよう。
それが私の使命なんだ。
何もやらないうちから迷っていたけど、まずはこうして書いて自分の言葉を伝え続けよう。
そこからだ。
師匠がそうやってくれてきたように。
私も伝え続けよう。
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