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「Why基礎学力」が必要なのかを考察

小池光徳です。長く教育業界に関わっていたり、様々な「業種・業界」「コミュニティ」に関わっていて改めて思うことは「基礎学力」ってホント大事だよな。って感じます。

昔でいう「読み・書き・そろばん」今は更に必要なことが増えてきているけれども「人間教育の本質」ってここにあるのだと強く感じる。

人の性格や特徴というのは「十人十色」で皆違う。しかし、それを最大限に引き出すことが出来る可能性のある要素の一つに「基礎学力」があると感じる。

人間教育において、もう一つ大きな要素があるとすれば、どういう「家庭」で育ってきたか。という「家庭環境」

家族構成や親の職業・親の思考が子供達に与える影響ってすごくあると感じる。また、近年は「母子家庭」「父子家庭」という環境で育ってきた若者が多くいるようになってきた。

この家庭環境で育ってきた若者は「2極化」している。

「しっかりしている」か「全然ダメ」か。に分かれるケースが多い。

この「しっかりしている」の判断基準は、「論理的思考」がはたらき、ものごとの「判断能力」が備わっているかどうか。でわかる。性格的な感情が加わったとしても、この2つが備わっているか否かは大きく違ってくる。

この2つの「能力」はものごとを進めていく上で極めて重要な「能力」になると同時に「根幹」となってくる部分だろう。

そして、この重要な「能力」

「基礎学力」の「習慣」でカバー出来ると思っている。

今回、この内容をnoteに表現してみようと思った背景は、様々な環境のもと育つ子供達が少しでも良い方向で「大人になる準備」をしてほしい。また、それを支える保護者や周りの関係者にも知って頂き、うまく「導いたり」「教育」したりする一つの「選択肢」として活用してもらえたらと思い書くことにした。


専門学校の事例 「高校の評定平均」「国語」と「数学」


長くスポーツを通じて多くの学生を見てきているが興味深いことがわかってきている。

専門学校って

「小学生レベルの学生」から「社会で通用するレベルの学生」

までと、それは幅広く様々な状況の学生が通っている。

この幅広くなっている要因は「AO入試」が大きな要因の一つ。

その学校を希望している学生は、ペーパー試験のようなものはなく「AO面談」で「入学内定」をもらえる制度である。受験生は、これまでの経歴や将来ビジョンなどを面談でしっかりと伝えられるかになる。採用側は「人間性」を中心に判断する。というものなので比較的、内定をもらいやすいのが特徴だ。(不合格になる学生ももちろんいます。)

この制度の良いところは、「志」を持っている受験生には受験しやすい。

課題は、高校まで(大卒・社会人もいる。)の成績が多少悪かったとしても「入学内定」がもらいやすいために、現場のスタッフは大変になる。ということだ。


だから、大学のような試験がキチンとある機関は「それ相応レベル」の学生が集まる環境になるので授業・実習はやりやすくなる。人間教育はやりやすいと言えるだろう。(経験談より。)



大枠として「学歴社会」が表すもの

今も「学歴」が企業受験をしたり社会におけるポジションづくりにおいて重要視されている。これを崩すのは中々、難しいものだ。

しかし、先に述べたように「論理的思考」や「判断能力」があるかどうかを計る一つの指標としては十分にわかる気がする。

企業側も採用コストを割くためにも、あらかじめ線引きすることにより一定基準以上の人材を集めたいからだろう。

また、良質な大学になれば、

「卒業生のコミュニティ」

がとても有効に働いている。

極端に言うと、「東京大学」「早稲田大学」「慶應大学」などの卒業生コミュニティは日本の社会において大きな影響を与えている。学力の高い大学を卒業する大きなメリットの一つは、この「コミュニティに入る」といっても良いでしょう。


話は少しそれてしまいましたが、実際に教育をするにあたり「高校の評定平均」などはかなり参考になる。

高校によっても基礎学力の違いはあるが、そのレベルを意識しながら「国語」と「数学」の評定はかなり参考になることがわかっている。判断基準は「3.0」以上あるかどうか。とてもシンプルである。

「4.0」以上あればあまり問題はない。むしろ、専門的な事を学習すればするほど面白いように伸びていく。

但し、通信制の高校を出ている学生については「注意」が必要だ。

Whyその「通信制」の高校を選択しているかによって全く違う。「通信制」の仕組みについては良いものであるとも思うが、「通信制」のデメリットも多いにある。

気になるのは「コミュケーション障害」的なトラブルなどがあるケースが多い。そういった子供の受け皿としては十分な仕組みになるが、改善されていないケースがほとんどになる。単に高校卒業の単位取得が一番の目的になっている感じが否めない。


「国語の評定が低い場合」

この場合、「理解力が乏しい」学生が多い。

何をする場合においても「理解」する力がないために「勘違い」や「ポイントのズレ」が多く生じる。また、物事の本質を理解出来ずに自分に「都合の良いところ」だけを「切り取り」自分の都合の良い方向に物事を進めようとする。

結果的にポイントがズレているために結果が出なかったり、時には問題行動に発展するケースもある。

この理解力を上げるためには「読書」などの書物や文書などによく触れる環境を作ってあげないと改善が出来ない。

小さい頃から本を読ませる事が良い。

のはこのためだとすごく感じる。大人になってからでも間に合わなくはないが、1年・2年程度では改善されない。3年以上の継続が出来れば理解力は良くなると感じる。


「数学の評定が低い場合」

この場合は、「判断力が乏しい」学生が多い。

判断力が乏しいので「状況判断」が出来ないのだ。下手をすると「良い事」と「悪い事」の判断も出来ないケースもあり「びっくり」する。

こちらもすぐに改善する事が難しいので厄介だ。教育するにはとても時間がかかる。やはり、小さい頃からの積み重ねと「状況判断の訓練」はとても大切。

公務員試験などで「判断推理」や「数的推理」が出てくるのは、こういった人間社会にとって必要な「理解力」と「判断力」を計るための一つの物差しになっていると感じます。


「国語・数学」どちらの評定も悪い場合。

これはもう最悪です。(上に記載したものの合算です。)

但し、人間的に良い子もおりますので私の場合はキチンと面談時に、今の内容を説明して少しでも改善できるところは改善を促します。また、普段の生活の中で起こったケースについてもこれに当てはめて説明する場合が多い。(結構、本人も納得してくれるので身に覚えがあるのだと思います。)


必要最低限の「基礎学力」とは


私が考える「必要な基礎学力」とは、その子が将来、好きな事をしながらしっかりと生活し「キャリアアップ」していけるようにしていく事。

例えば、将来プログラマーなりたい。というのであれば

プログラミングの構造を「理解」したり、問題を解決するために様々な状況を「理解」したりする「理解力」=「国語要素」

プログラミングの組み立ては、数学からの考えがきているところと状況を判断して段階的に物事をすすめる力が必要になるための「数学力」

そして、プログラミングの主要言語は「英語」

万国共通な部分も多いことから、その子の見聞を広めるためにも「英語力」は必要になるでしょう。

といった具合のように、その子が興味を示したらそれに必要な要素を抽出し、どの程度のレベルまで必要なのかを計りながら徐々に慣らしていく事が大切だと感じます。

それを一番は子供ができれば良いですが、

人生経験が豊富な大人が一緒にやってあげる。

保護者や大人が「サポーター」として、応援してあげる事が大切。

そうすれば、子供はWhy「基礎学習(学力)」が必要なのか。

それは「何のため」なのか。どこへどのように繋がっていく可能性があるのか。

を理解しながら少しずつ慣れていくのだと思う。


「Why基礎学力」が必要なのか。それは子供達が自分の人生を生きるために必要最低限、必要なこと。だと思うのです。



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