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コーチングを始めてからの変化 剣道① 

いよいよコーチングを受けての変化編をお送りします


こんにちは。
佐藤光成(おみつ)です

今回は
「コーチングを始めてからの変化―剣道編」
をお送りしたいと思います。
私としては、この話をするのが楽しみで楽しみで仕方なかった!

このnoteは主にコーチングについて書き連ねていく目的で始めたのですが、剣道に関しては熱が入りすぎる自信があります。
「コーチングはさておき、私がいかに剣道好きか聞いてよ」的な文章になること請け合いです。
心してお読みください。

みなさんは、趣味や好きなスポーツなどはありますか?どのくらい熱中していますか?

どんなに好きなことでも、仕事などで急がしいとなかなか時間がとれないですよね。
コーチングを始める前の私もそうでした。

自分で言ってしまうくらいの「すごい」変化


結論から言います。
「剣道やりたいけど、仕事忙しくてそれどころじゃねー。気付いたら10年剣道やってねー。」
から
「道場通い始めた!昇段審査申し込んだ!落ちたけど受け続ける!海外で剣道教室開いた!将来、世界で剣道教室やったるぜ!うぉー!」
という私になりました。

その間6ヶ月。
どうでしょう。前者と後者では随分違った人生を歩んでいると思うのですが、考え方を変えただけで、その変化が半年で訪れるわけです。
すごくないですか?すごいでしょうコーチング(一応コーチング要素いれておきます。)

剣道少年爆誕、継続15年


私と剣道との出会いは、今から遡ること20数年。
きっかけは祖父が見ていた時代劇でした。
「こうもんさま、かっこいい!おれもつよくなりたい!」
小学校1年生、剣道坊主爆誕です。

とはいえ最初の印象と言えば、覚えているのは夏は暑く冬は寒く、汗疹にしもやけ、足捌きは難しく剣も振れず、といったところ。
面白くなったのは試合で勝てるようになってからです。
新しい技を覚えること、試合で勝つこと、先生との稽古で1本を打ち込めたことが楽しく、スポーツ少年団の活動以外でも町の道場に自主参加するようになります。
まさしく、のめり込む、といった感じ。


小中学校では地元の大会で優勝、練習の成果が出る喜びを知りました。
結局熱は冷めやらぬまま、大学卒業まで、続けること15年間。
好きこそものの上手なれとはよく言ったもので、上達したり試合で勝ったりしたときは何度でも何度でも嬉しく感じました。

剣道坊主から剣道おじ…にいさんへ。剣道と距離が空いた時期


社会人になってからも、剣道を継続しようとはしていました。道場に見学に行ったり、会社の剣道部に入部したり。
それでも、平日は残業、土日に平日の分まで寝たりして本腰を入れられず
「ああ、剣道したいな。でも、できないな。」
という日々を10年過ごしました。

そんな時です。
新卒入社時代の同期が偶然プロコーチとやらになったと聞き、セッションを行ってもらうことになりました。

俺、剣道やりたかったんだ!


コーチングのセッションでは、
「他人に止められてもやってしまうこと」
を幼少時代から掘り下げていきます。
その中で、びびびーん!ときたのです。
親から止められても、剣道の練習に行ったじゃないか!
もう止めたらと言われても、残って自主練したじゃないか!
おれ、剣道、やりたかったんだ!!!!!

雷に打たれたような衝撃でした。
幼いころから身近にあった剣道、身近すぎて、あらためて見つめ直すこともなかったけれど、やりたかったから続けてきたんだと改めて気づいた瞬間でした。

友人のセッションは続きます。
友「剣道を何のためにする?剣道を通じてどうなりたい?」

私「剣道を通じて成長したい、剣道の悩みや迷いを聞き、解決して、周りの人と喜びを分かち合いたい、最終的に剣道を教えたい!そのためにまずは6段を取得しよう。」

友「じゃあ3ヶ月後に合格しよう」

私「いや3ヶ月は無理でしょう(食い気味)」

友「なんで?だって道場で教えるんでしょう。その時光成先生は何段になってるの?」

私「7段かな。確かに…思ったより時間ないな」

友「6段とるためには何しなきゃならないの?」

私「道場に通う必要ある」

友「入門しようよ。どこの道場?」

結果、翌日に道場に入門申し込みに行き、翌々日から稽古が始まりました。

10年もの間、望んでも実践できなかった、仕事と剣道の両立。
友人のセッションにより、想像を超えた世界に連れ出してもらった私はこの日から週3回の稽古を続けています。

世界が広がる


2023年6月、6段の審査を受けましたが結果は「不合格」
セッションで「いや3ヶ月は無理でしょ」と即答していることから想像して頂きたいのですが、実際難易度は相当高いのです。

それでもセッションでやる気になった私。当然悔しい。
悔しくて、アドバイスをもらいたくて、不合格の試合動画をSNSに投稿しました。

個別にメッセージをくれた友人たちがいました。
義父が剣道の先生で、動画を見せたらコメントがきたから共有するねーと家族の話題に挙げてくれた友人もいました。

うれしい。

その中で、高校時代の部活動の先輩からメッセージがきました。
「いまオーストラリアにいるけど、近々大会あるので来ませんか?」

さすがに日程が無理でした。が!
オーストラリアでは剣道を始める方が一定数いる一方で、教えてもらえる環境がすくないという話を耳にしました。

あれ、思い出してください。私が受けたセッション(↑スクロール)
何て言ってます?
「剣道の悩みや迷いを聞き、解決して、周りの人と喜びを分かち合いたい、最終的に剣道を教えたい!」

…!!!

個々の課題に合わせて指導する剣道道場を開催したいと思いました。

先輩はおもしろそう!やろうよ!と、トントン拍子に話が進み、8月のお盆休みにオーストラリアで剣道教室を行うことに決定しました。
幼少の頃から応援してくれた母にも伝え、しっかり教えてくるよう背中を押してくれました。

スケジュール調整や期限切れパスポート更新、ESTA登録など事前準備はいっぱいでしたが、仕事と両立してもまったく苦になりません。
だって、やりたいんですもの!(コーチング用語でRASが発火するといいます)
わくわくして、毎日ぐっすり眠れました。(眠れたんかーい!)

青天の霹靂


そんな中、出発まで2ヶ月となったある日、突然母が亡くなりました。
この私でさえ疲弊するほどに、私の何倍も元気な母だったので、まったく信じられず夢を見ているような状態で葬儀を終わらせ帰京。

迷いました

お盆のオーストラリア、どうしようか。
母の初盆は、長男の私が行かねばならないのか。
今回の剣道教室は見送った方が…

次回、私がくだした決断とは


長くなってしまいました。
次回剣道後編、私は渡豪するでしょうか。

それでは後編をどうぞ!

 

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