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どんなときも。【Y-style】 ~私の原風景。そして茨城に来た理由。 前編~

「人には、必要な時に、必要な出会いがある」
この言葉は、私がとても大事にしている言葉です。実際にこの言葉は、私が茨城に来た理由に大きく紐づいています。noteの第1回目は、「私が茨城に来た理由」について、お話したいと思います。

自己紹介が遅れました。はじめまして、部下「Y」です。わたしは奈良県出身の現在30歳で、仕事はグロービス経営大学院 茨城水戸キャンパスの事務局と、いばらきスポーツタウン・マネジメントで事業開発・営業のお仕事を行っています。


私が茨城に来た理由

「どうして奈良出身なのに茨城にきたの?」
この1年間で、たくさんの方にこの質問をしていただきました。
実はわたしにとって、縁もゆかりもない茨城に出てきたことは、特になんの不思議もないことであり、自分のキャリアを築く上で重要だと思って実行したことなのですが、周りの方からは「不思議」だという印象を持たれていたということを知りました。

まず率直に、「なぜ茨城に出てきたのか」ということなのですが、「地元の奈良に貢献できる人材になりたい」という想いがあったからです。
具体的には、「茨城・水戸の地方創生モデルを一番近くで見て、感じて、学んで、地方創生とは何か、どういう人材でどういうスキルがあれば、それが水戸以外の地でできるのか」を学びたいと思ったからです。


改めて自己紹介をします

具体的にお話を進めるにあたって、私のこれまでのルーツを先にお伝えさせていただきます。
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中学、高校は奈良県の公立。大学は京都の同志社大学へ進学。
2011年3月 大学2年目終了時から、1年間留学(IBPプログラム)でシアトルへ。
2014年4月 新卒でメガバンクへ総合職として入行し、初任店は神戸の灘支店。その後、東神戸エリアへ。そこで2年間、個人、法人営業を行う。
2016年4月 3年目の春に異動で東京の丸ノ内法人営業部へ。
全国で3~4番目に大きい法人営業部へ異動させていただいたにも関わらず、9カ月でグロービスへ転職。
2017年3月 グロービスで2年間、法人営業に従事。
2019年4月 ジョブポスティング制度(社内手上げ制度)でグロービス経営大学院 茨城水戸キャンパスへ異動。
2020年4月 上司のAさんが代表を務めるいばらきスポーツタウン・マネジメント(B2プロバスケットボールチーム 茨城ロボッツの子会社)へ30%出向。学長の堀さん直下の水戸ど真ん中再生プロジェクトの事務局としても、20%社長室へ出向。
現在に至る。
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私の根っこにある「原風景」

私は留学もしていたので、海外志向が強く、銀行の総合職で入行するときには「将来、グローバルな仕事がしたい。海外を飛び回りたい」ということを志望動機として語っていました。国内で3~4年法人営業で金融のいろはを学んだあとは、手上げ制度で国際部門や海外支店へ行きたいと思っていました。
しかし、そんな思いの傍らで、頭から離れなかったことがあったんです。
それは、地元、奈良への想いです。

私は奈良のド田舎の出身で、幼少期~就職までの年月を奈良で過ごしましたが、年々廃れ行く地元の風景を目の当たりにしては、なんとかできないか、と、漠然たる思いを持っていました。私が小学生低学年くらいまでは、母方の祖父と祖母が商店を営んでおり、お客さんもたくさん来て商店街も賑わっていましたが、いつしかその賑わいは遠い過去の記憶となっていました。(わたしも店先に座ってよく接客していたらしいです。笑)

銀行員として鍛えられた日々とやりがい

銀行に入行した際に、配属が神戸の灘支店で、業務内容は主に東神戸エリアといわれる東灘区の年商30億以下のお客様への法人営業でした。(一部、事業承継案件なども扱いました)

ここでの2年間は、辛いこともありましたが(営業担当たるや、日中17時まで店に帰ってくるな、と毎日言われていました。なので日々歩いて、歩いて、新規に飛びこんで、毎日一件でも多くの案件を持ち帰ることを常に意識していました。)、一番記憶に残っているのは、地元の中小企業や家族経営の企業様に訪問し、社長といろんなことをお話したことです。飛び込み営業もかなりたくさんしましたが、「融資させてください」という話よりも、「最近どうですか」のような話をするのがとても好きでした。

その地域、その場所で経営する、従業員を守る、とても素敵な経営者や従業員の方々と出会い、そういう方々へ銀行員として貢献できることが、私のやりがいでした。

東京に転勤が決まったとき、引継ぎでご挨拶に伺った際には、「植島さんが担当でよかったよ」「本当に寂しくなる」「もう取引やめようかな(笑)」などといったうれしい言葉もたくさんいただき、地域に根差した仕事が自分には向いているんじゃないか、と感じるきっかけになりました。

たくさんの、地元経営者の方々に育てていただき、営業も鍛えていただき、今の私があるのだと思います。当時関わってくださったお取引先様には、いまでも感謝してもしきれません。
地域で頑張る、たくさんの企業を支える仕事って素敵やな、とシンプルに感じました。

そして、グロービスへの転職

東京に異動した後、なにかやりきれない感覚を日々持つようになりました。これは完全に私の価値観の問題なのですが…大きな案件を扱うようになるに連れて、神戸の日々を思い出すようになりました。銀行員として、一人のビジネスパーソンとして、より近い距離で人と向き合いたい、と思ったのだと思います。部長や課長に紛れるOne of themではなく、the oneとなる存在でいたかったのだろうと思います。他にもいろいろ思うことがあり、そのタイミングでご縁もあり、グロービスへ転職しました。

グロービスに転職後、法人営業を日々こなす中で、やりがいもとてもありました。企業の育成課題や組織課題をヒアリングし、その課題を解決するための提案を行う、いわゆるソリューション営業は、お客様からも非常に喜ばれ、自分の成長も感じられました。

しかしそんなとき、ある人との出会いが、私の地元奈良への想い、地方への想いを、思い出させてくれることになったのです。


後編に続く。

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