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朝鮮王朝実録 太祖実録総序

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朝鮮王朝実録 太祖実録総序を翻訳したもの なろう系
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#なろう系

朝鮮王朝実録 総序(3) 成宗 李椿(孛顔帖木兒)

 成宗 李椿こと孛顔帖木兒はモンゴル名を持っており、李成桂の祖父にあたる。この人物は、実…

みし
2年前
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朝鮮王朝実録 総序(5)太祖 李成桂1

 李氏朝鮮の初代王、太祖 李成桂は恐らく女真族である。ちなみに、なろう系エピソードばかり…

みし
2年前
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朝鮮王朝実録 総序(6)太祖 李成桂2

 出仕から紅巾賊まで。朝鮮王朝実録は実は嫌韓本じゃないかと思い出す昨今。  高麗の恭愍王…

みし
2年前
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朝鮮王朝実録 総序(7)太祖 李成桂3

 納哈出は、元が北に転じたあとに、満州地方を支配したジャライル部出身のモンゴル人。ただし…

みし
2年前
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朝鮮王朝実録 総序(8)太祖 李成桂4

 ここに書かれているのは要するに、咸鏡南道を廻る李成桂を含めた女真族の勢力争いである。後…

みし
2年前

朝鮮王朝実録 総序(9)太祖 李成桂5

 モンゴル皇帝トゴン・テムル(順帝)の皇后に高麗人奇氏がなったのだが、それを頼みにして高…

みし
2年前
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朝鮮王朝実録 総序(10)太祖 李成桂6

 この編は、なろう系エピソードを書き連ねているだけである。逆に言うと1371年から1375年まで特筆することが無いのだろう。  恭愍王二十(1371)年辛亥七月、太祖を知門下府事にし、李穡を政堂文學にした。王が近臣に問うには、 「文臣穡と武臣の成形が、同じ日に入省したが廷議はどのようにするのか?」 それによりその得た人は多かった。 ※ 「秋七月癸丑,倭寇禮成江,焚兵船四十餘艘,杖流兵馬使金立堅于安山。以我太祖爲西江都指揮使,楊伯淵爲東江都指揮使。」が書かれていない。後述の

朝鮮王朝実録 総序(11)太祖 李成桂7

 原文と訳と注を併せるとラノベ一冊分あった。倭寇に関する部分はその中でも1/10をしめている…

みし
2年前

朝鮮王朝実録 総序(12)太祖 李成桂8

前文  本編は、阿其拔都と言う名の倭寇が出てくる部分で日本でも割と有名なのだが、調べてい…

みし
2年前
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朝鮮王朝実録 総序(13)太祖 李成桂9

 胡拔都は遼東あたりに勢力を持っていた女真の一族らしい。ところで、高麗史によれば胡拔都は…

みし
2年前
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朝鮮王朝実録 総序(14)太祖 李成桂10

 本編は、なろう系エピソードの寄せ集め。ここから殿下(李芳遠)の名前が出始める。王位の正…

みし
2年前
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朝鮮王朝実録 総序(15)太祖 李成桂11

 この編は短い。――と言うのも次から威化島回軍に関係するので切りが良いので切ったので。 …

みし
2年前

朝鮮王朝実録 総序(16)太祖 李成桂12

 威化島回軍を直訳すると「威化島で軍をかえした」と言う意味しか無いのだが李成桂一派による…

みし
2年前

朝鮮王朝実録 総序(17)太祖 李成桂13

 威化島回軍の本編  五月、大軍が鴨緑江を渡り、威化島まで行くと、道中、絶え間なく逃亡兵がでた。禑王は逃亡兵を斬り殺せと命令したが止めることはが出来なかった。  左、右軍都統使は上奏した。 「臣らは、鴨緑江の浮き橋を通り過ぎましたが、前に大きな川があり、雨水で増水しているので、第一に急流に足をとられ溺れるものが数百、第二に急流はとても深いので川洲に駐屯して留まっていますが、いたずらに兵糧を浪費しています。ここから遼東城にいくと、その間にまた多くの大きな川があり、似たよう