朝鮮王朝実録 総序(10)太祖 李成桂6
この編は、なろう系エピソードを書き連ねているだけである。逆に言うと1371年から1375年まで特筆することが無いのだろう。
恭愍王二十(1371)年辛亥七月、太祖を知門下府事にし、李穡を政堂文學にした。王が近臣に問うには、
「文臣穡と武臣の成形が、同じ日に入省したが廷議はどのようにするのか?」 それによりその得た人は多かった。
※ 「秋七月癸丑,倭寇禮成江,焚兵船四十餘艘,杖流兵馬使金立堅于安山。以我太祖爲西江都指揮使,楊伯淵爲東江都指揮使。」が書かれていない。後述の