朝鮮王朝実録 総序(5)太祖 李成桂1
李氏朝鮮の初代王、太祖 李成桂は恐らく女真族である。ちなみに、なろう系エピソードばかりである。 弓と騎乗に長じているとするのが半農牧半狩猟民族である女真人の言う英雄の要素らしい。要するに李成桂の逸話は女真要素が強い。
李成桂の基本的なストーリー
起 強い敵(異民族や猛獣)が現れる
承 やられ役(高麗人)が敵に負ける
転 李成桂が弓で射殺す
結 みんなが褒めそやす
桓祖の正妻懿妃は、崔氏である。門下侍中・永興府院君を贈られた靖孝公の崔閑奇の娘である。至元元(1335)年つまり高麗忠肅王四年乙亥十月十一日己、和寧府(後の永興府)の私邸で、李成桂(太祖)は産まれた。李成桂(太祖)は産まれた時から聡明で、隆準龍顏1*、神彩英俊、智勇絶倫だった。幼い時、和寧と咸州の間で遊んでいると、北の人で鷹を求める者が必ず「李成桂の如き神俊が得られるように願う」そうだ。
*1 隆準龍顏は、漢高祖、すなわち劉邦のことを形容する言葉。貴人の容貌をしているという意味で実際の容貌を記しているわけではない。手が膝より長いとか髭が地面に付くとか言うのも貴人の容貌と言う意味。神彩英俊は、心も容姿もずば抜けてすぐれていると言う意味。智勇絶倫は知恵と勇気が抜群にすぐれていると言う意味。
李成桂(太祖)は小さい時、定安翁主金史が塀の上*2に五羽の烏を見たとき、許可を求めてこれを射た。太祖は一射で五羽の烏をみな落とした、金氏は不思議に思い太祖に告げた「この事を決して漏らしてはいけない」
金氏は、桓王*3の妾で義安大君李和の母である。
*2 墻はかき、へいを現すが、壁とも取り得る。
*3 桓祖の誤記か
※ このエピソードは、恐らく、北史の一箭双雕から来ている
李成桂(太祖)は、かつて盛暑に川水を浴びおえ、川辺の近くの大藪のそばに座ると、一匹のテンが走り出てきたので、急いで樸頭*4を取り之を射るとあたってたおれた。また、一匹のテンが走ってきたので、金矢*5を取り出しこれを射た。(その後も)つぎつぎにテンが現れて、おおよそ二十発を射て全てたおした、逃げれたものはなかった。その射は神妙で比類無かった。
*4 荒削りの木の鏃矢か
*5 金属の鏃矢だろう
太祖は、小さい時、山麓で狩りをし、イノシシ一頭を追い、矢をつがいて射ると、突然、百仞*6の崖が見えてきて、その間に十分な合間が無かった。太祖は馬から後に飛びおり立った。イノシシと馬は共に崖下に墜ちた。
またある人が告げた。「大虎が某(そ)の藪の中に居る」すると、太祖は弓矢を取り、また一矢を腰間に指して行き、藪の後ろの嶮しい山を登り、人にその下に行かせ追わせた。太祖がとっさに虎を見つけると、とても近くによってきてたので、すぐに馬を駈けてこれを避けた。それを虎が追いかけ、馬の臀に食らいつこうとして飛びかかってきたので太祖が右手で殴りつけると、虎は仰向けに倒れて起き上がれなくなった。太祖は馬を操り射殺した。
*6 非常に高い。日本では千仞を使う気がする
東北面都巡問使李達衷が、安邊府におもむき、達衷の鎭撫の一人が太祖のことを不快に思っており、達衷に言った。達衷は召して、それを見た。不覚にも庭に降り、酒を置いて座った。
(達衷が)鎭撫に言うには、「彼とあらそうべきではない」
桓祖は、達衷を見て、その厚待に謝した。そして、達衷が都に帰るとき、桓祖は、野で見送り、太祖は桓祖の後ろに立った。桓祖は、酒を進めると、達衷は立って飲んだ。太祖が酒を勧めると、達衷は跪いて飲んだ。
桓祖が、このことを怪しんで問うと、達衷は言った。
「この方は、真の異人だ。公も及ぶことはないだろう。公の家を繁栄させる者は、 必ずのこの子だ。」
そのため、その子孫を太祖に仕えさせた。その時、岸のむこうに七匹のキバノロ*7が群れていた。 達衷は言う。「ノロを一匹捕らえ、これを今日の食事にしませんか?」
桓祖は、太祖に命じ旗下の兵を率いていった。太祖は麾下の士に命じ、山の後にまわると驚かせると七匹のノロが下を走っていた。李成桂は、五発で五匹を射殺した。また一匹のノロを追い、近づいて矢を射るとちょうど巨大な沢が前にあり、氷で覆われていた。李成桂(太祖)は、轡をとり走らせるとこれを射るとまた斃れた。残りの一匹は、矢が尽きたのでやめた。
また、かつて江陰の酸水の地で狩りをしたところ、一群五匹のノロを追い、五発でノロをたおした。平時も三、四匹のノロを続けて射ていたが全て記録することができない。隠れているキジを射るのに必ず驚かせ数丈の高さに飛んだところを下から射て毎回当てていた。
*7 キバノロは小さなシカの一種で中国東部から朝鮮半島に棲息している。
太祖は、大哨鳴鏑(鏑矢の一種)を好んだ。楛(棘のある木)をもって幹として、鶴の翼をもって羽とし、広く長かった、麋*8角(ヘラジカの角)を哨(鏑)に用い、大きさは梨のようだった、鏃は重く幹は長く、矢は通常のものではなかった、弓力もまた通常の倍はあった。小さい時、狩りに桓祖を従え、桓祖は矢を取るのを見て言った「人ならざる所用だ」と地に投げると、太祖は矢を拾い、矢房に指し、前にでた。一匹のノロが出たので、太祖は馬をかけながら射ると一矢で斃れた、また一匹出たので同様にした。これを七回くりかえしたので、桓祖は大喜びして笑った。
*8 麋 ヘラジカもしくはオオジカを差す。 麋鹿と熟すとトナカイを差すが、トナカイはシベリアのツンドラ地帯まで行かないと居ない。一方ヘラジカは東北三州に存在している。この時代は北朝鮮あたりまで居たと思われる。韓国語訳は、トナカイ(馴鹿)としているが間違いだろう。
太祖が桓祖に従い狩りに出ると、獣を見た。氷の崖に馬を走らせ、この中をたやすく射た。一つも逃げ去らなかった。野人*9は驚嘆して言った。
「舍人*10だ。天下に敵無し!」
また原野で狩りをしたとき、蘆の中に潜んでいた大きな豹が飛び出しておそいかかって来た。くつわを回す暇も与えず勢いよく迫ってきたので、馬に鞭を打ち之をさけた。深い淵の氷は、固まりきっていないので人がまだ渡れなかった。馬が氷を走り飛び越えると足跡から水が湧き出たが、沈むことはなかった。
*9 野人は女真族を差すことが多い。
*10 舍人……宋元代には貴人の息子をさしていたらしいのでこちらの意味か?本来の意味は、側付き雑用係なのだが
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