朝鮮王朝実録 総序(13)太祖 李成桂9

 胡拔都は遼東あたりに勢力を持っていた女真の一族らしい。ところで、高麗史によれば胡拔都は、兵千人ぐらいで義州(北西)から侵入し、長白山周辺の辺境を荒らしていた様なのだが、この程度の兵ですら一年ほど追い出せていないのである。実際のところ平安道は李朝に入っても半ば独立した勢力が占有している状態だった様である。

高麗末, 官不籍兵, 諸將各占爲兵, 號曰牌記。 大將若崔瑩、邊安烈、池龍壽、禹仁烈等, 幕僚士卒, 有不如意者, 詬罵無所不至, 或加榜棰, 至有死者, 麾下多怨望。 太祖性稟嚴重簡默, 平居常閉目而坐, 望之澟然, 及至接人, 渾是一團和氣, 故人皆畏而愛之。 其在諸將中, 獨禮接麾下, 平生無誶語, 諸將麾下, 皆願屬者。

 高麗の末期は、官が兵を戸籍に登録せず、諸将が各々兵を集め、これを牌記といった。大将の若崔瑩、邊安烈、池龍壽、禹仁烈らは、幕僚と士卒に意のままにならないものがあれば、至る所で口汚くののしり辱めた。あるいは、鞭打ちをあたえ死に至るものも居た。旗下の多くは恨みをもっていでいた。

 太祖の性格は、厳格で寡黙だったので、平時は常に目を閉じて座っていたが、見た目は凜々しく、人に接しているときもそうだったの。一団と和気藹々と混じり合ったので、人はみなうやまい、敬愛した。その諸将の中にいると、一人旗下に礼をもって接し、平時は罵ることがなかったので、諸将の旗下は、皆、所属したいと願った。

※ 徴兵制が崩壊して、各自が私兵を抱えていたらしい。有力勢力が私兵を抱えていたためクーデターが多発している。李朝初期にも第一次王子の乱と第二次王子の乱が起きている。

辛禑八年壬戌秋七月, 以太祖爲東北面都指揮使。 時女眞人胡拔都, 擄掠東北面人民而去, 以太祖世管其道軍務, 威信素著, 遣以慰撫之。 韓山君 李穡作詩送之曰:
松軒膽氣蓋戎臣, 萬里長城屬一身。 奔走幾經多故日, 歸來同樂太平春。 如今大勢關宗社, 況是前鋒似鬼神。 聯袂兩朝情不淺, 只將詩律送行塵。

 辛禑八(1382)年壬戌の秋七月、太祖は、東北面都指揮使になった。
その時、女真族の胡拔都ホバツが、東北面の人民を掠い連れ去っていたので、太祖は東北面の軍務を監督し、威信を素直に現し、人を派遣して慰撫をした。

韓山君の李穡が詩を作って送ってくるには、

松軒膽氣蓋戎臣, 萬里長城屬一身。 松軒*1の膽気、戎臣を蓋い 万里長城を一身に属す
奔走幾經多故日, 歸來同樂太平春。 奔走幾経多き故日 帰来、太平の春を同じく楽しむ
如今大勢關宗社, 況是前鋒似鬼神。 今大勢の宗社の関する如く 況んや是れ前鋒、鬼神に似る
聯袂兩朝情不淺, 只將詩律送行塵。 連袂両朝の情浅からず 只、将に詩律を塵行送す

*1 李成桂のあざな

※ 実際に胡拔都が侵入したのは正月で、遼東から義州に入って居る。

辛禑九年癸亥八月, 胡拔都又來寇端州, 副萬戶金同不花內應, 盡以財貨故後, 陽爲被執。 上萬戶陸麗、靑州上萬戶黃希碩等累戰皆敗。 時李豆蘭以母喪在靑州, 太祖使人召謂之曰: "國家事急, 子不可持服在家, 其脫衰從我。" 豆蘭乃脫衰服, 拜哭告天, 佩弓箭從行。 與胡拔都遇於吉州平, 豆蘭爲前鋒, 先與戰, 大敗而還。 太祖尋至, 胡拔都著厚鎧三重, 襲紅褐衣, 乘黑牝馬, 橫陣待之。 意輕太祖, 留其軍士, 拔劍挺身馳出, 太祖亦單騎, 拔劍馳進, 揮劍相擊, 兩皆閃過不能中。 胡拔都未及騎馬, 太祖急回騎, 引弓射其背, 鎧厚箭未深入, 卽又射其馬洞貫, 馬倒而墜。 太祖又欲射之, 其麾下大至, 共救之, 我軍亦至。 太祖縱兵破之, 胡拔都僅以身遁去。 太祖因獻安邊之策曰: "北界與女眞、達達、遼 瀋之境相連, 實爲國家要害之地。 雖於無事之時, 必當儲糧養兵, 以備不虞。 今其居民, 每與彼俗互巿, 日相親狎, 至結婚姻, 而其族屬在彼, 誘引而去, 又爲鄕導, 入寇不已。 唇亡齒寒, 非止東北一面之憂也。 且兵之勝否, 在於地利之得失。 彼兵所據, 近我西北, 舍而不圖, 乃以重利, 遠啗我吾邑草、甲州、海陽之民以誘致之, 今又突入端州、禿魯兀之地, 驅掠人物。 以此觀之, 我之要害地利形勢, 彼固知之矣。 臣受任方面, 不可坐視, 謹籌邊策以聞。 一, 禦寇之方, 在於鍊兵齊擧。 今也以不敎之兵, 散處遠地, 及寇之至, 倉皇招集, 比其至也, 寇已擄掠而退。 雖及與戰, 其如不熟旌鼓, 不習擊刺何? 願自今鍊兵訓卒, 嚴立約束, 申明號令, 待變而作, 無失事機。 一, 師旅之命, 係於糧餉。 雖百萬之師, 有一日之糧, 方爲一日之師; 有一月之糧, 方爲一月之師。 是不可一日無食也。 此道之兵, 昔運慶尙、江陵、交州之穀以給之, 今以道內地稅代之。 比因水旱, 公私俱竭, 加以遊手之僧, 無賴之人, 托爲佛事, 冒受權勢書狀, 干謁州郡, 借民斗米尺布, 斂以甔石尋丈, 號曰反同, 徵如逋債, 民以飢寒。 又諸衙門、諸元帥所遣之人, 群行傳食, 剝膚搥髓, 民不忍苦, 失所流亡, 十常八九, 軍之糧餉, 無從而出。 乞皆禁斷, 以安百姓。 又道內州郡, 介於山海, 地狹且瘠, 今其收稅, 不問耕田多寡, 惟視戶之大小。 和寧於道內, 地廣以饒, 皆吏民地祿, 而其地稅, 官不得收, 取民不均, 餉軍不足。 今後道內諸州及和寧, 一以耕田多寡科稅, 以便公私。 一, 軍民非有統屬, 緩急難以相保。 是以先王丙申之敎, 以三家爲一戶, 統以百戶, 統主隷於帥營。 無事則三家番上, 有事則俱出, 事急則悉發家丁, 誠爲良法。 近來法廢, 無所維繫, 每至徵發, 散居之民, 逃竄山谷, 難以招集。 今又旱饑, 民心益離, 彼用錢穀, 餌以招納, 潛師以來, 擄掠而歸。 一界窮民, 旣無恒心, 又皆雜類, 彼此觀望, 惟利之從, 實爲難保。 乞依丙申之敎, 更定軍戶, 使有統屬, 固結其心。 一, 民之休戚, 係於守令; 軍之勇怯, 在於將帥。 今之爲郡縣者, 出於權幸之門, 恃其勢力, 不謹其職, 以致軍觖其須, 民失其業, 戶口消耗, 府庫虛竭。 乞自今公選廉勤正直者, 俾之臨民, 字撫鰥寡, 又擇堪爲將帥者, 俾之摠戎, 捍禦國家。"

 辛禑九(1383)年癸亥八月、胡拔都が再びやってきて端州*2を寇した。副萬戸の金同不花トンブカが内応し、財貨を根こそぎ日が昇るまで執着して後にした。

 上万戸の陸麗、靑州上万戸の黃希碩らは、みな戦に負け続けた。その時、李豆蘭が母の喪で靑州にいたので、太祖は使者を送って言わせた。

「国家の急事だ。あなたは家に居て喪服を着てはいけない。その喪服を脱ぎ私に従え」

 李豆蘭は喪服を脱ぎ、天に告げ拝哭し、弓をおび、矢箭を抱えて行った。
胡拔都ホバツと吉州平で遭遇し、李豆蘭は先鋒として、先に戦をしたが、大敗して帰った。

 太祖がしばらくして行くと胡拔都ホバツは厚い鎧を三重に着て紅褐色の衣を羽織り黒牝馬に乗り横に陣をひいていた。太祖を軽く思い、その軍兵を留めて、剣を抜き身を挺し馬を駆けた。太祖もまた単騎で、剣を抜いて駆けて進んだ。剣を振るい打ち合ったが、双方、全てを回避して当てられなかった。胡拔都ホバツが騎馬に及ばないのをみて太祖は騎馬を急に回し、弓を引き、その背を射た。鎧が厚いので矢が深くささらなかった。そこで、またその馬を射貫いた、馬は倒れおちた。太祖はまた射ようとしたが、その旗下が沢山来て助けようとしたので、我が軍もまた集まった。太祖は兵を操り、これを破ると胡拔都ホバツはひそかに身を隠してさった。

 太祖が献じた安邊の策*3によれば

「北界と女真、達達タタール*4、遼寧瀋陽の境はともにつながっている、 実に国家の要害の地だ。平時に於いても、必ず、兵糧を蓄え兵をやしなうことで不慮の自体に備える。今その居留民は、いつも彼らと相互に市をたて、日々慣れ親しんでおり、婚姻を結んだりして、彼らはその氏族に属しているのだ。そのため誘引したり、また故郷に導いたりするので入寇がやまない。唇なくして歯寒し*5、東北面の憂いだけをなくすだけではないのだ。そして兵の勝ち負けは、地の利の得失にある。彼らの兵が拠るところは我が西北に近く、兵は不意にくるので、利を重んじ、遠くは、私の吾邑草、甲州、海陽*6の民を食らわせ、これを誘致する。今また端州、禿魯兀*7の地に突入して人や物をかすめ取る。それにより、これを見れば我が要害の地の利の形勢がかたい事を彼らは知るだろう。臣は方面を受任し坐視できず、謹んで辺境の策をのべるので聞くように。

一、外敵(寇)を防ぐ方法、練兵を整えて配置せよ。

 今は無訓練の兵を遠地にバラバラに置いている。そのため外敵が来てから慌てて召集し、それが到着するときには外敵は既に掠奪をしおえて帰っている。たとえ戦に間に合ったとしても、軍旗や鼓が十分ではなく、戦い方も習っていないではないか?今より練兵を行い兵卒を訓練し、厳しい軍規を守らせ、号令をはっきりとし、変事を待つようにし、(反撃の)機会を失ってはいけない。

※ 常備軍を置け

一、軍団の命は、兵糧にかかっている。

 たとえ百万の軍がいても、一日の兵糧は一日しか軍が行動できず、一ヶ月の兵糧は一ヶ月しか軍が行動できない。一日も食べないことがあってはならない。この道(北界)の兵の食糧は、昔は慶尚、江陵、交州の穀物を運んで支給していたが、今は道内の地税に代わっている。
 近ごろ水害や旱魃により、公私ともに食糧が付き、遊手の僧、無賴の徒、仏寺の托鉢僧に加わえて、権力者が書状を持たせ州郡に謁見し、民の米や布を借りたり、残り少ない食糧と布を収奪したり、反同と言い債務のように徴収を行ったりするので、民は飢えて凍えている。
 また、役所や元帥たちが人をやり、食の有るところに群れをなしていき、骨身を削らせているので民は苦痛に耐えず土地を捨て逃亡しているものが十のうち八、九いる。これでは兵糧を出す方法がない。これら全てが禁止されれば百姓は安らかになる。また、道内の州郡は山や海に阻まれ土地は狭く痩せているが今の税は耕田(田畑)の多寡を問わずに戸の大小のみを見て取っている。道内の和寧は、土地が広く富んでいるが、全て官吏の地禄で、官は地税を収めず不公平に民から取っているので兵糧には足りない。今後、道内の諸州と和寧では、耕田の多寡で税を一律に科し、これを公私に用いること。

※ 百姓だけに重税が課せられているので、両班様からもしっかり税金を取る。

一、 軍と民が統一して管理されていない(統属していない)のでさし迫った事態に互いを保つのが難しい。これよりは、先王(恭愍王)の丙申の教をもって、三家を一戸とし、百戸をひとまとめにし、帥営に隷属させて統べよ。事が無ければ三家を番上(一番手)に則り、有事は俱出(共に出す)に則り、事が急ならば、悉発家丁(壮丁をことごとく挑発)に則る。誠に良法だ。近ごろは法が廃止され、所構わず頻繁に、毎度挑発していて、散らばっている民は、山谷に逃散し、召集が困難になっている。今はまた旱魃による飢饉により、民心がますます離れていて、これらに用いる金銭や穀物は、食糧で雇ったもぐりの軍が掠奪して帰る。一界の民は窮しているので、まともな心がなく、またこのように雑に扱われているこの様子を彼らは見て、利にしたがうと見透かす。実に守るのが難しい。丙申の教によることで、軍戸を正しく改め、統属を行うことで、民心を団結できる。

※ ただでさえ飢饉なのに、両班様が掠奪してるので民が疲弊していて逃走して、賊に参加している上に戸籍を管理していないので兵も食糧もない。

一、民の良し悪しは、守令*9にかかっていて、軍の強き弱きは将帥にある。

今の地方官は、権力者の門下で、権勢を頼みにして職務をサボっており、その用事を解決するのに軍を使う。民はその業を失い、戸口は消耗し、府庫は、枯渇する。
 今、仕事に励む正直ものを公選して民に臨ませ、身寄り無きものを慰撫して、また将帥のために優れたものを選んで、軍をまとめさせれば、国家を守れるだろう。」

※ 両班様が腐っているからまともな行政官と軍人を置け

*2 端州 咸鏡南道端川市か。 高麗史 辛禑九年八月「我太祖大破胡拔都于吉州」
*3「安邊府」を差すのか「辺境を安ずる」を意味するのか判断つきかねる。*4 恐らく水タタールのこと(黒竜江流域に住むツングース系諸民族)
*5 唇亡びて歯寒し 一蓮托生と言った意味(春秋左伝) 東北面が危うくなれば高麗全土が危うくなると言う意味合い
*6 甲州は両江道甲山、海陽は咸鏡北道吉州 どちらも女真の地
*7 端州、禿魯兀は咸鏡南道端川市か
*8 丙申の教 恭愍王五(1356)年に出した令か?
*9 守令 地方官のこと


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