朝鮮王朝実録 総序(10)太祖 李成桂6

 この編は、なろう系エピソードを書き連ねているだけである。逆に言うと1371年から1375年まで特筆することが無いのだろう。

恭愍王二十年辛亥七月, 以太祖知門下府事, 李穡爲政堂文學。 王問近臣曰: "文臣穡、武臣 【太祖舊諱。】 同日入省, 廷議以爲如何?" 蓋自多其得人也。

 恭愍王二十(1371)年辛亥七月、太祖を知門下府事にし、李穡を政堂文學にした。王が近臣に問うには、
「文臣穡と武臣の成形が、同じ日に入省したが廷議はどのようにするのか?」 それによりその得た人は多かった。

※ 「秋七月癸丑,倭寇禮成江,焚兵船四十餘艘,杖流兵馬使金立堅于安山。以我太祖爲西江都指揮使,楊伯淵爲東江都指揮使。」が書かれていない。後述の和寧府尹が左遷になるだろうからか?

初, 桓祖薨, 太祖迎定安翁主 金氏至京第, 事之甚謹, 每進見, 常跪於階下。 恭愍王敬重太祖之故, 寵待金氏子和, 常令侍禁中, 數辦宴席, 賜和令享母, 且賜敎坊音樂, 以示褒寵。 太祖榮君之賜, 多給纏頭, 又與和及庶母兄元桂, 常相共處, 友愛益篤, 悉焚其母賤案。

 桓祖(李子春)が薨去した後、太祖は定安翁主金氏*1をみやこ(開城)の邸宅に迎えて、とても慎み深く、会いに行くたび常に階下に跪いた。恭愍王は重ねて太祖の行為を尊敬し、金氏の子の李和を寵待し、常に禁中に侍らすよう命じた。数回宴席を行い、母に与えるように李和に与えた。また教坊*2の音楽をあたえ、寵を褒めて示した。太祖は主君の贈り物に心づけを多くあたえ、また、李和、庶母の兄李元桂と、一緒にすんで、友愛をますますあつくした。あたかもその母の卑賤な生まれを否定するかのようだった。

*1 父桓祖李子春 の妾
*2 宮廷に仕える楽人や妓女たちに宮廷音楽を教習させるための機関
※ ここから儒教的なエピソード(孝と忠に関するもの)が増えてくる

恭愍王二十一年壬子六月, 倭寇東北界。 以太祖爲和寧府尹, 仍爲元帥以禦之。 遼城將處明, 時年已老, 從太祖往和寧。 一日出獵, 地險仄凍滑, 太祖馳下峻坂, 射大熊數四, 皆一矢而斃。 處明歎曰: "僕閱人多矣, 公才天下一人耳。"

 恭愍王二十一(1372)年壬子六月、倭*3が東北界*4を寇した。太祖は和寧府尹、元帥として、この防衛に当たった。遼城の将處明は、その時既に老いていたので、太祖に従い、和寧*5に赴いた。一日、狩りに出ると、土地はほのかに凍って滑り嶮しかった。太祖は急峻な坂を走らせ降り、熊を四匹を射て、すべて一矢で斃した。處明は感嘆して「僕は多くの人を見てきたが、 あなたの様な才は天下に一人だけだ。」

*3 海から来れば全部倭(高麗史の記述をみると、この倭は江原から引き返してくるところを北靑州で待ち伏せして破ったように読めるので北から来た可能性がたかい。複数の倭寇が同時に動いている様で、同時期に忠清南道洪州に現れた倭寇とは明らかに別物)
*4 東北界……東北面、今の咸鏡南道に相当
*5 和寧……今の咸鏡南道永興郡
※ 高麗史 恭愍王二十一年「六月丁丑,(略)倭寇安邊咸州。以安邊府使張伯顔不能備禦,杖八十七。(略)己亥,以我太祖爲和寧府尹,仍爲元帥以禦倭賊。辛丑,倭寇東界安邊等處,虜婦女,掠倉米萬餘石,免存撫使李子松官,放歸田里。壬寅,倭又寇咸州北靑州,萬戶趙仁璧伏兵,大破之,斬首七十餘級,拜奉翊大夫。癸卯,倭寇洪州。」 倭寇は赴任より先に引き返しているので特筆することが無い。

太祖嘗獵于洪原之照浦山, 有三獐爲群而出, 太祖馳射, 先射一獐而斃。 二獐竝走, 又射之, 一發疊洞, 矢著於槎。 李原景取其矢而至, 太祖曰: "爾來何遲也?" 原景曰: "矢深著於木, 未易拔。" 太祖笑曰: "假使三獐, 乃公矢力, 亦足洞貫矣。"

 太祖はかつて、洪原の照浦山で狩りをした。三匹のノロが群れをなして出てきたので、太祖が、馬を駆けて射ると、まず一匹のノロを射斃した。二匹のノロと併走し、またこれを射ると、一発で、同時に射貫いた*。矢は、切り株に刺さった。李原景はその矢を取ると、太祖が言った。
「おまえは、なぜ遅れて来たのか?」
 李原景は言う。
「矢が木に深く刺さっていたので、抜きづらかったのです」
 太祖は笑って言った。
「仮に三匹のノロが居たとしても、おまえの矢の力なら、射貫くに十分だろう」

※ 北史の長孫晟の一箭双雕のエピソードから、一発双貫とも。似たようなエピソードは何度も出てくる。

太祖嘗盛集親朋, 置酒射侯。 有梨樹立百步外, 樹頭有實數十顆, 相積離離, 衆賓請太祖射之。 一發盡落, 取以供賓, 衆賓歎服, 擧酒相賀。

 太祖はかつて親友を沢山集めて、酒を置いて弓を射た。
 梨の木が百歩の外に立っていいて、木には数十の実があり、実が重なるようになっていた。来客達が太祖に木の実を射るように頼んだ。一発でことごとく落ち、賓客に取り与えた。来客達は感服し、酒とともに祝賀した。

太祖與李豆蘭竝逐一鹿, 忽遇僵樹當前, 鹿從樹下走, 豆蘭勒馬回去, 太祖超踰樹上, 馬出其下, 卽及騎追射獲之。 豆蘭驚歎曰: "公天才, 非人力所及。"

 太祖と李豆蘭*6が、一匹の鹿を一緒に追いかけると、唐突に倒れた木が眼の前に現れ、鹿は木の下を走っていた。豆蘭は馬の手綱を引いて止まり、太祖は、木の上を飛び越え、馬はその下を抜けた。そして、馬で逐い、之を射て捕獲した。

 豆蘭は驚いて言った。
「あなたは天才だ。人の力でおよぶところにいない」

*6 佟豆蘭帖木児ドゥラン・テムルと言う女真人で金牌女真千戸阿羅不花アロ・ブカの子、後に李之蘭と改名する。李成桂の第一の子分。

※ ここから李成桂の精鋭が女真族である記述が増えてくる

恭愍王令卿大夫射侯, 親觀之。 太祖百發百中, 王歎曰: "今日之射, 唯李 【太祖舊諱。】 一人而已。" 贊成事黃裳仕元, 以善射聞於天下, 順帝親引其臂而觀之。 太祖會諸同列, 射侯於德巖, 置侯於百五十步, 太祖每發盡中之。 日旣午, 裳至, 諸相請太祖獨與裳射, 凡數百發。 裳連中五十後, 或中或不中, 太祖無一不中焉。 王聞之, 乃曰: "李 【太祖舊諱。】 固非常人也。" 又嘗出內府銀小鏡十介, 置八十步, 命公卿射之, 約中者與之。 太祖十發十中, 王稱嘆。 太祖常以謙退自居, 不欲上人, 每射侯, 但視其耦能否、籌之多少, 纔令與耦相等而已, 無所勝負, 人雖有願觀而勸之者, 亦不過一籌之加耳。

 恭愍王は、卿大夫に射侯*7を命じ、観戦した。太祖は百発百中し、王は感動して言いった。
「今日の射侯は、李成形、一人だけで終わりだ」

 賛成事の黃裳は元に仕え、弓を射ることが上手いと天下に知られて居た。順帝*8は、自らその腕をひいて、これを見た。太祖は、同列たちに会い德巖で射侯した。的を百五十歩に置き、太祖は毎回これを必ず当てた。日が正午になると黃裳が来て、諸相が太祖一人と黃裳に射るように頼むと、おおよそ数百発が射られた。
 黃裳は、五十発ほど連続で命中させた後、当てたり当たらなかったりしたが、太祖は一発も外さなかった。
 王はこれを聞くと言った。
「李成形は、本当に非常の人だ」
 また、かつて内府に銀の小さい鏡を十個を八十歩に置き、公卿達に射る様に命じ、誰が之を当てるか取り決めた。
 太祖は十発十中し、王は、感嘆して褒め称えた。
 太祖は、常に謙虚に自らの場所を引きし、上座を欲しがらず、射侯のたび、その能力や才能を見せるのは、わずかに相方達のみが命じた時のみだった。勝ち負けを気にしなかったので勧める人が居て見たいと願ったとしても、才能を見せすぎない様にしていた。

*7 的を射ること
*8 元・北元の大ハーン 順帝トゴン・テムル

※ 北の将軍様的なエピソード(素晴らしいことをしたけど、それを見た人は誰も居ない)


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