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英語の文型は役に立つのか?

どうも、お坊さん英語講師のみっちーです。

さて、今日のトピックは英語の文型についてです。

本題に入る前に、「レキシカルアプローチ(lexical approach)」という言葉はご存じでしょうか?普段英語を教える仕事をしている方は聞いたことがあるかもしれません。

簡単に言うと

「単語と文法だけ勉強しても意味がないんじゃない?」

という立場をとる英語の教授法です。とても具体的で単語と単語の結びつきであったり、特定の動詞と一緒に使われる単語を習得の中で学んでいくものです。これは、単語と文型の関係性に注目する教え方です。

例えば、このようなミスをする生徒がいます。

Japan has many population. (日本の人口は多い)

これは、many+populationが英語では自然の組み合わせではないということを理解しておく必要があります。英語では人口が多いと表現するときは、"large population" と言います。これには、多くのインプットが必要です。またインプットに必要なリスニング能力も必要です。たくさんの英語に触れることによって、自然な英語の組み合わせを学習者が学んでいきます。

SVOCだとかSVOOだとか知ってても自然な組み合わせを作れなきゃ意味がないでしょ。


ということです。前置詞の使い方などはまさにこのアプローチから得られるものではないでしょうか。

なので、レキシカルアプローチは文型に重きをおく教授法と相容れない立場になります。日本の英語教育の現場では(もちろん場所によって違うとは思いますが)、皆さんの記憶の中で文型をひたすら習った記憶があるのではないでしょうか?

では、文型を覚えることは本当に無駄なことなのでしょうか?

確かに日本の英語教育の中で英語の自然な組み合わせを学ぶという活動は足りていないかもしれませんが、文型自体がある一定の意味を教えてくれるということも事実です。

A "Open me the door."

B "Open me the beer."

ここに構造が一見同じように見える二つの英文があります。どちらかが間違っているのですが、どちらが間違っているかわかりますか?

書き換えると

A Open the door for me

B Open the beer for me

書き換えた後はどちらも正解に戻ります。

これはSVOOという文型自体もつ性質や意味を理解していないとわからないのです。

SVO(1)O(2)には、その動作が終了した後O(2)はO(1)に所有されるという意味があります。Open me the beer. だと「私にビールを開けて」と発話すると開けた後のビールは私のものになるという意味を含みます。Open me the doorだと、「私にドアを開けて」と言ってドアが開いてもそのドアは私のものにはならないはずです。これは英語自体の自然の組み合わせの問題というよりも、文型の表すことを覚えていたかという問題になります。

英語を指導する側としては、ガチガチに文型で塗り固めてしまうと、それはそれでコミュニケーションとしての自然な英語の指導にはなっていないと思いますが、多少の文型に関する知識は、わかるから使える英語にするためにも役に立つのではないかなと思います。

今回の内容は

白井恭弘著 英語教師のための第二言語習得入門 大修館書店の内容を踏まえて自分の考えを述べたものです。英語を教える道を志されている方にとてもおすすめの本なので良ければ読んでみてください!


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