小説として、歌舞伎の原作として 京極夏彦『狐花 葉不見冥府路行』
先日観劇した新作歌舞伎『狐花 葉不見冥府路行』――その原作として刊行されたものがこの小説版となります。もちろん歌舞伎とは独立した作品として楽しむことができる一冊ですが、ここでは可能な限りネタばらしに注意しつつ、歌舞伎との比較も含めて紹介したいと思います。
ある日垣間見た美青年に心奪われた作事奉行・上月監物の一人娘・雪乃。しかし彼女付きの女中・お葉は、その美青年――萩之介の姿に衝撃を受け、寝付いてしまうのでした。
実はかつて材木問屋・近江屋の娘・登紀、口入屋・辰巳屋の娘・実袮の三人で、萩之介を殺していたお葉。しかしその萩之介の出現に、彼女は二人を呼び出したのです。
それが自分たちの過去の所業に関わるのでは、と警戒する監物と用人の的場、近江屋と辰巳屋は、萩之介殺しが愛欲のもつれによるものと知り、一時は胸を撫で下ろします。
しかし、自分たちの前にも萩之介が現れた娘たちの狂乱によって近江屋と辰巳屋が命を落としたことから、的場は憑き物落としの男を招くのでした。
そして監物の前に現れた武蔵晴明神社の宮守・中禅寺洲齋は、またたく間に萩之介の真実を説き明かしていくのですが……
歌舞伎の原作ということもあってか、本作は京極作品としては相当に分量の少ない(それでももちろん普通の作家の一作分はあるのですが)作品です。それは中禅寺洲齋が、ほとんど全体の2/3を過ぎてからの登場であり、しかも曾孫と違い、ほとんど薀蓄を語らないから――というのは冗談ですが、もちろん内容に薄さを感じることはありません。
むしろ、本作は作者の百鬼夜行シリーズと巷説百物語シリーズ、双方のスピンオフ的な存在でありつつも、同時に独立した作品として楽しめる内容であることは間違いありません。
(作中で何度か言及される町奉行・遠山左衛門尉については、『了巷説百物語』を読んでいるとニヤリとできるのですが)
そんな本作は、萩之介なる亡霊めいた謎の美青年の出没に人々が翻弄される中、洲齋が憑き物落とし――すなわち、一見、怪異に思われた出来事に理屈をつけ、人々の心を解き放つことで事態を解決するという、一種の時代ミステリというべき作品です。
実は歌舞伎ではこのミステリの部分、特に殺されたはずの萩之介が現れる理由(つまりはトリック)が明確には語られておらず、その辺りに少々不満があったのですが――本作ではその点がきちんと説明されているのが、個人的には一番嬉しく感じられました。
なお、終盤でほとんど余人が出入りできないはずの場所に萩之介が現れるくだりも、小説ではまた別の形で描かれているのですが――これは舞台上で見せるには少々難しい内容なので、この辺りの差異は納得できるところでしょう。
というわけで、説明量という点で歌舞伎と異なる点もある本作ですが、最大の相違点は、実は的場というキャラクターの扱いとなっています。
昔から監物の腹心として忠実に仕え、過去の秘密も共有する的場。しかし物語の後半、彼の行動は小説と歌舞伎で大きく異なります。
歌舞伎においては「我こそが監物第一の忠臣」という想いを強く持ち、行動する的場。しかし小説では、過去の悪行が露見することを恐るあまりに監物にも逆らう姿が描かれます。
この相違点が、そのままそれぞれの物語での彼の運命の違いに関わるのですが、実はそれは、もう一人、別の人物の運命にも関わることになります。
この辺りの詳細は伏せますが、個人的には結末で監物が見せる姿を思えば、小説の流れの方がより納得がいくように感じます。
それにしても、これだけ大きな違いが生じているのは不思議な気もいたします。あるいはこれは、歌舞伎で的場役が決まった後に、役者に合わせて演出を変えたのでは――というのは、完全にこちらの勝手な想像ですが、いずれにせよ、歌舞伎という場に合わせてのものなのでしょう。
なにはともあれ、個人的には歌舞伎で最も印象に残った、ラストの逆憑き物落としというべき場面も、上で触れた構成により、この小説版では、さらに印象に残るものとして感じられます。
できれば歌舞伎ともども触れていただきたい作品ですが、歌舞伎の原作というだけでなく、独立した小説として、十分に手に取る価値があることは間違いありません。
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