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高木彬光『ミイラ志願』 「志願」の陰の人間心理を描く九つの物語

 高木彬光といえば、当然ながら本格推理小説の巨匠というべき存在ですが、同時に数多くの時代(伝奇)小説を発表してきたことは、現在ではあまり知られていないかもしれません。本書はそんな作者の時代小説の中でも、「志願」というキーワードでまとめられた九編を収録した、ユニークな短編集です。

 数々の悪行を重ねた末に捕り手に追いつめられ、即身仏で知られる湯殿山注連寺に逃げ込んだ盗賊・六助。ミイラになりたいという六助の言葉が方便であると見抜きつつも、自分の代にまだ即身仏が現れていなかった住職は、敢えて六助を受け入れ、厳しい修行を科すことになります。
 凶悪な盗賊も怖気を振るうような修行を足かけ七年重ね、上人として迎えられた六助。地獄から一転、極楽のような応対を受ける六助ですが、周囲は次々と彼に厳しい現実を突きつけます。そしてついに彼がミイラになる日が訪れて……

 この表題作「ミイラ志願」は、その冒頭に語られているように、日本において数多くの即身仏(ミイラ)が作り出され、今なお現存する出羽三山を舞台とした作品です。
 この即身仏は、過酷な修行を続け、五穀を断った末に、生きながら土中で入定した存在であり、人々の厚い信仰の対象。それだけにミイラを志願すれば、現世の法に罰せられることがないという本作の描写にも頷けるものがあるのですが――しかしそれに飛びついた六助の辿る無惨な運命を、本作は描き出します。

 そしてそれと同時に描かれるのは、何としても彼を即身仏にせんとする周囲の者たちの生々しい姿です。それはもちろん六助の身から出たサビであることは間違いありませんが、しかしそんな人々の執着に満ちた姿は、即身仏とは対照的なものとして、強烈な印象を残します。
(これで六助が従容と即身仏になれば皮肉で面白いのですが、「現実」はもっと身も蓋もなく……)


 この他の八編も、歴史の一ページの中の等身大の人々を描く、ユニークで残酷な物語です。

 光秀によって見いだされた信長の影武者が、信長・光秀・秀吉の間で皮肉な運命を辿る「偽首志願」
 父・今川義元を信長に討たれながらも蹴鞠を愛し、ついには乞食同然の暮らしを送る氏真を描く「乞食志願」
 関ヶ原の戦い前夜、妖怪じみた怪人物が東軍西軍の武将の前に現れ、三成を勝たせんとする「妖怪志願」
 討ち入り直前に脱盟し、後世に不義士として知られることになった高田郡兵衛の「真実」を語る「不義士志願」
 大食い競争にかこつけて、力士上がりの侠客の妻を黒田家の側室に献上せんとする企てが描かれる「飲醤志願」
 明治の世においても罪人の斬首を担当する首斬り浅右衛門の養子となった青年の意外な真意を描く「首斬り志願」
 高橋お伝と並び称される悪女・雷お新が遺したといわれる刺青の真贋から、女賊の真の姿を浮き彫りにする「女賊志願」
 囲碁のため、国禁を犯して海を渡ろうとした井上幻庵因碩の執念を描く「渡海志願」

 作者の時代(伝奇)小説は、正直なところ作りが粗い作品も少なくないのですが、本書は基本的に水準以上の作品揃いといってよいでしょう。(執筆年代特有の微妙な時代××感のあるオチの「妖怪志願」はさておき……)
 特にラストに至って一種の完全犯罪ものであったことが明らかになる「首斬り志願」や、作者お得意の刺青ネタから始まる「女賊志願」など、作者らしさが横溢しているともいえます。

 そんな中でも、個人的は「乞食志願」と「不義士志願」が本書の中ではベストと感じました。

 「乞食志願」の主人公・今川氏真は、父の仇を討とうともせず、蹴鞠にはまって今川家を潰した愚か者――というのが一般的な評価ですが、本作はそれを踏まえつつも、河原の芸人たちに交じって蹴鞠の技を喜々として披露する氏真の、一種自由人としての姿を描きます。
 しかしそんな氏真がラストに至って吐露する想いには、通り一遍の世間の見方に対する痛烈な皮肉が籠もったものとして心に残ります。

 また「不義士志願」は、堀部安兵衛と並び称される勇士でありながら、肉親の義理に縛られた末、討ち入り直前に脱盟した高田郡兵衛の悲劇を描く物語。終盤の畳み掛けるような展開も素晴らしいのですが、赤穂浪士にまつわる、ある有名な異説を用いつつも、そこからさらに至る索漠たる結末には、ミステリ作家としての作者の顔も表れているかもしれません。

 あることを自ら望み、願い出る「志願」。その志願の陰の欲望、願い、企て――様々な人間心理を浮き彫りにしてみせた佳品です。


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