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久保田香里『きつねの橋』 少年武士が渡った橋の向こう側

 これまで古代・奈良・平安といった時代を舞台とした児童文学を発表してきた作者の作品は、いずれも個性的で内容豊かなものが並びますが、少年武士と、白狐の不思議な交流理由を描く本作も例外ではありません。

 元服して、都で源頼光の郎党となった少年武士・平貞通。橋で女性に化けて人をからかう狐が出ると聞いた彼は、橋に出かけてその狐・葉月を、一度は捕らえたものの、放してやるのでした。
 それをきっかけに、葉月とお互いに何事かあった時は助けると約束した貞通。そして都を荒らし回る盗賊・袴垂に、仲間たちとともに挑むことになった貞通は、葉月の力を借りることになります。

 この貞通は、その名と源頼光の郎党という設定、相模国碓氷出身という出自を見れば、頼光四天王として知られる碓井貞光の前身なのでしょう。
 とはいえ、他の四天王に比べると、貞通は比較的逸話の少ない人物ではあります。しかしそれだけに歴史の空白が多い人物であり、彼を主人公に据える時点で、本作の着眼点の巧みさがうかがえます。
(ちなみに貞通と親友になる季武は卜部季武、そしてもう一人の親友・公友は坂田金時(のモデルの父)でしょうか)

 さて、そんな貞道ですが、本作での姿は、元服してすぐに都に出て、源頼光の郎党となったという設定。父や兄たちに立派な姿を見せるためにも、何かと血気に逸りがちな、そしてちょっとお堅い性格の少年です。
 一方、そんな彼が出会った狐の葉月は、女性に化けて道行く人を化かすといういかにも化け狐らしい行動を見せると同時に、母と離れて暮らす幼い斎宮を妹のように慈しみ、女官として仕えるというユニークな存在として描かれます。

 生まれも育ちも種族も全く異なりつつも、忠誠心と義理堅さ、そして細やかな情という点では似た者同士の貞通と葉月。そんな二人が、お互いの欠けた部分――貞通は腕っ節はともかく経験と思慮が足りず、葉月は神通力は持つもののやはり何かと不自由な狐の身――を補いあう姿は、何とも愉快に感じられます。
(愉快といえば、相手が留守の所に勝手に上がり込んで勝手に煮炊きする貞通と季武と公友の三人の姿が、いかにもこれくらいの年齢の若い衆らしくて微笑ましい)

 そしてそんな二人と仲間たちが繰り広げる、幼い日の藤原道長とともに妖が出るというえんの松原を探検したり、大盗賊・袴垂と丁々発止の対決といった冒険も、作者らしい史実の使い方、ディテールの巧みさもあって、胸躍る活劇として大いに楽しめます。

 しかし本作において真に印象に残るのは、終盤で貞通が見せる姿、彼の選択です。

 物語の終盤、葵祭で賑わう京で大胆にも斎宮を狙う袴垂を捕らえるべく、腕を撫す頼光の郎党たち。その一方で斎宮は、祭りどころではない切実な事情を抱えることとなります。(さらに葉月自身の身にも危機が……)
 作中で何度も煮え湯を飲まされてきた袴垂は、貞通にとっては憎き宿敵。そして斎宮はすでに述べたように、葉月にとっては主以上の存在であります。お互いを助け合うと約束した二人ではあるものの、ここでそれぞれの望みがすれ違う形になります。

 先に述べたとおり、貞通は相模国から都に上ってきた少年。彼は一族の期待を背負い、武士として立身出世するために都にやってきたのであり、そもそも彼が葉月と出会うきっかけになったのも、武士としての意気地のためでした。
 そんな武士として振る舞うことを何よりも重んじていた彼は、終盤にある行動を取ることになります。それは彼が武士としてだけではなく、人間として生きる道を見いだした――新たな世界へと、橋を渡ってみせたということでしょう。
 人間ならざる身ながら、誰よりも人間らしい白い狐と触れ合うことによって……

 もちろんそれは、あくまでも貞通がまだまだ少年であるからこその選択なのでしょう。さらに言ってしまえば、彼がもっと年齢を重ねていれば、葉月との関係性にもまた別の色彩が混じったかもしれません。
 しかし――少年だからこそ選べる道があります。少年だからこそたどり着ける真実があります。

 本作は個性的なキャラクターと、この時代ならではのユニークな物語を描きつつ、その陰でそんな少年の姿を、成長を描きます。
 本作の結末――もの悲しさから一転、何とも爽快な行動を見せてくれる貞通の姿は、そんな本作の掉尾を飾るに相応しいものであると感じられるのです。

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