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なぜ「推し」コンセプトにしたのか?

「推しコンセプトの理由」をYouTubeで語っています!

YouTube - 【ドルヲタ作曲家】なぜ推しコンセプトにしたのか?

本noteは、動画の内容をより詳しく解説したものになります。
動画が苦手な方、詳細や余談を知りたい方はぜひ読んでみてください!

前提

1. 推しがアイドルユニットに所属していた

私の推しは、とあるアイドルユニット(10人前後の女性グループ)に所属していました。リーダー的ポジションで、グループの中でも一目置かれる存在であったことは間違いないでしょう。同時に、ソロでもアイドル活動をしていました。ユニット・ソロを並行して活動していたので、当時の推しは人一倍活動量が多く、現場(イベント)回数も多くありました。

2. ユニット卒業が決まっていた

推しは4年ほどそのユニットに所属していたため、今年か、来年か…という予感がある中、卒業発表がされました。ユニット活動を優先して応援してきた私は相当のショックを受け、1カ月くらいは悶々とした気分でおり、卒業の覚悟もできず、開き直ることもできなかったのを覚えています。

音楽活動を始めた理由

1. 腑抜けになってしまう

推しが卒業したら私は腑抜けになる。こんな予感を私は感じていました。

①時間的余裕ができる

ユニット・ソロを並行して活動しており、月に20本ほど現場がある推し。ユニットの方が活動の割合を占めていたため、これまでより現場数が減ることはわかっていました。「この現場は絶対に行きたい!」という思いで調整していると、多い時には月に4~5回も遠征をするような生活でした。(=ほぼ毎週)
(※ミスミは地方在住で、関東のアイドルを応援しています)
現場数が多いと、会いに行ける機会も必然的に増えるため、「どこかには行けてしまう」というのもありました。裏を返すと、機会が減れば「行ける」回数も減ってしまいます。よって、予定が空くことも増えてくるのです。このことから、ぼんやり過ごす時間が増えるのでは?と思いました。

②ユニットへの思い入れが大きい

推しはユニットの途中加入メンバーでした。私は推しの加入以前からユニットを応援しており、推しが卒業する段階で6年半ほどの付き合いがありました。当然、思い出も数多くあり、思い入れも強い。推しが卒業したらユニットはどうでもいいとも思わなかったし、推しは違えどユニットのヲタク達とも懇意にしていたため、会う機会が減ることは寂しかったのです。
加入したタイミングで推しの存在を認識しているので、その段階で「ユニット活動をしていない推し」を知らない。「ソロだけの推し」になったら、私は彼女のことを応援し続けることができるのか…? 自分でもわかりませんでした。
推しなのだから、当然ソロに専念するようになっても応援し続けたい。けれど、もし「ユニットの一員」としてソロ活動をしている推しが好きだったのなら、卒業してからソロのステージを見ても、今までのような思いで見れないかもしれない。ソロだけになった途端、脱力してしまう自分が居るかもしれない…。
以上、①時間的余裕ができる ②ユニットへの思い入れ から、腑抜けになる可能性がありました。

<余談>

人によって、「ユニット」なのか「ソロ」なのかは重要な属性です。ユニットが好きな人は、推しがそのユニットを卒業すると、ユニットの中で別の推しを見つけることも多くあります。ソロが好きな人は、推しが引退や活動休止をすると、推しと近しくしていたソロアイドルを応援するようになる人も居ます。(※重要:勿論、人に寄ります!)
ユニットのヲタクはユニットアイドルの中で、ソロのヲタクはソロアイドルの中で、アイドルの応援を続ける傾向にあります。
ちなみに、ミスミはもともと「ユニット属性」でした。最近はソロアイドルの方へ多く通っている影響で、ソロの楽しさもわかってきており、現状の属性は「両方」だと思っています。

2. 推しに恥じない自分になりたい

推しの場合は「ソロ活動への専念」を主な卒業理由としていました。これは基本的には「独り立ちしたい」という前向きなもの。もっと自分の力を試したい!自分の曲を作って売り出したい!と思うアイドルとしては、ソロでやっていきたいのは当然の流れです。

夢に向かって伸びしろと希望溢れる推しに比べ、自分は一体何ができるんだろう。ふとアイドルヲタクしかできない自分に気づいてしまいます。この当時の私は「アイドルヲタク」か「仕事」だけをやっていました。作詞作曲や動画の技術なんて皆無。推しと比べたら自分なんて何もできないじゃん。

そこで、①できることをもっと増やす ②新しいことに挑戦する というのを思いつきます。そして当時、一気にいろいろ始めていました。DTM、ボイトレ、ゴスペル、ドラム、ギター、映画をたくさん見る、今まで会えなかった友達と遊ぶ…など。技術や趣味を身に着ける。新しい依存先、熱中できるものを増やす。そうすることで、夢を追い希望溢れる推しに恥じない、「新しい世界を知って知見と技術を広げた自分」になれると思いました。

3. もともと作詞作曲したかった

元々音楽が好き。だからこそ「ライブ」という体感できる生の音楽の魅力に取りつかれ、足しげくアイドル現場に通っているわけです。そして、もう一つ強調しておきたいのが、地下の現場は作詞作曲した本人と「直接」会話することができます。
メジャーの現場じゃ考えられないかもしれないですが、地下では作曲家が物販スタッフとして同行していることも多いのです。私の推しの場合はほとんどの曲を推し自身が作詞しているので、「作詞家」(=推し)と「作曲編曲家」(=スタッフ兼エンジニア)から楽曲についての話を聞くこともできます。大好きな曲を作った人たちが目の前にいるので、音楽が好きなら嬉しくないわけがありません。ライブで新曲を発表したら、すぐに物販で本人たちからその曲のエピソードを聴けるわけです。
元々作詞作曲に興味があり、過去にDTMで挫折した経験があった私。作曲家の方々を間近でみてお話できたときは、憧れが一層強くなりました。
「私の一番好きな曲は、この人が作ってたんだ!」
「推しはどんな風に作詞を勉強して、何を考えて書いてるんだろう?」
昔からやりかった作曲欲はどんどん強くなり、自分もまた挑戦したくなっていた時期でもありました。

DTM(作曲)を始めてみた

1. 再び挫折しないために

先述の通り、過去にDTMソフトを触ったことがありました。無料でインストールできるもので、ピアノロール(鍵盤を模したライン)に四角いブロックを打ち込んで音が出る。なんとなくこれだけはわかっていたので、やってみことがありました。しかし、2小節くらいのドラムソロを打ち込んだだけで「こんなことやってられん!!」と挫折。高校生か大学生か…そのくらいの頃だった気がします。当時はキーボードも持っておらず、ショートカットキーなども知らないので、そのたった2小節に何時間(何日?)もかかり、曲を完成させる作業は途方もなく無理なことに思えたのです。

しかし、今はもういい大人。時間の余裕があり、卒業に対する強い不安を抱え、推しに恥じない技術を手に入れたい私は、社会人としてお金の力に頼りました。DTMレッスンです。今は数千円から気軽に習い事として作詞作曲が学べてしまうので良いですね。未知の世界のことなのだから人に聞いた方が数億倍早いです。今でも自分は賢いと思ってます。

体験レッスンを申し込み、打ち込みの仕方や接続方法、必要な機器などを教えてもらいそのままスクールに入校。(勢い大事) 体験レッスンを受ける頃には卒業イベントも終わり、推し事が落ち着いてる時期だったので結構お金の余裕もありました。現場が無いって……お金がすぐに貯まりますよ、ヲタクの皆さん。そんなわけで先生に言われるがままにスクールに置いてあったものと同じオーディオインターフェースを購入。(PC上の音をなんか上手いこと処理してくれる機械)。この機械に無料で付属していた簡易版の作曲ソフトを使い、DTMを開始しました。

2. 曲が完成しない

DTMのお決まりのように、最初のレッスンは好きな楽曲のコピーから開始。(この一番最初に打ち込みをした曲は、推しのオリジナル曲の中で私が最も好きな曲でした。)回数を重ねて慣れてくると、短いフレーズ(8小節くらい)のメロディを入れたり、コードをつけたり、ドラムのループ素材を使ったりしていきます。

しかし10カ月くらい経っても、なかなか「ボーカルなし・1コーラス」から抜け出せない。ボカロも持っていましたが、1曲試しに使ってみたくらいで活用しきれず、メロディをずっとピアノやシンセで代用して作っている状態。1コーラスなので展開はAメロ→Bメロ→サビのパターンのみ。何となく思いついたメロディから「曲だけ」を作っていたこの頃は、全くモチベーション無かったです。曲を作るだけでも楽しい人は楽しいと思うのですが、私の場合は「結局何がやりたいんだっけ?」とだらだらとレッスンに通う日々が続きました。

今思うと、「レッスンで先生に見てもらうためだけ」に曲を作っていて、どこにも発表していなかったので、楽しくないのも当然です。DTMを始めたら最初のうちは、どんなに短くても、どんなに未完成でも、とにかく発表した方が断然いいです!!(強い口調)

3. 運命の企画

DTMに苦戦している数か月間、推しだって活動しています。今思うとDTMへのモチベーションが落ちていたということは、逆にDTMを頑張る必要もないくらい「推し事が満たされていた」ということになるので、当初の不安「ソロになった推しを応援し続けられるのか…?」という思いは杞憂に終わったんですね。
モチベーションが落ちるどころか、活動量が減ったお陰で「なんとかすれば全部行ける!!」という無双状態になっていて、今まで以上に遠征を繰り返す日々。そりゃそんな状態で集中力と根気が大切な作曲活動なんてできるわけがなかった。(今気づいた)

話を戻して、DTMももう辞めちゃおうかな…なんて思っていた矢先、スクールから締め切り間近と書かれたメールが届きます。これなんだっけ?と思って見てみると、「あなたのオリジナル曲をコンピレーションアルバムに収録します」「オプションでサブスク配信も可能です」。
……。
え、なんだこれ知らないぞ??申し込み締め切り3日後やん!!!ファ!?!
推しの情報ばかり追ってて全然メールとか見てなかったんですね!!きっと!!曲の提出期限は2か月先だったので、とりあえず滑り込みで申し込みだけしてみました。手が震えた記憶があります。でもとにかくダダ下がりだったモチベーションを上げるには十分すぎるほど、望んでいた企画でした。自分の曲をCD化して、サブスク配信する。
予想もしていなかったタイミングでしたが、とうとう「フルサイズで曲を完成させる」必要が出てきたのです。

推しのことを考えたから

1. 新曲を作りたい

アルバム収録される楽曲は、本人のオリジナル曲であれば既存曲でも新曲でも構いませんでした。でもせっかくなら一から曲を作ろう、と思い、お風呂の中でぼーっと考えていました。ふと神の声的な感じで、サビっぽい歌詞とメロディが聴こえてきます。
「推しが好きで きゅんきゅんきゅん~♪」
これだわ!!!と一瞬で気に入り、このフレーズをきっかけに曲の全体像ができていきました。最終的には「今日もきみに きゅんきゅんきゅん~♪」になりましたが、思いついた初っ端のタイトルは「推しにきゅん」。完全に「推し」というワードが出ていましたね。いつか「推しフォーカス版」みたいな感じで、替え歌バージョンを作ってもいいかもしれません。

2. 制作期間は1カ月

思いついたはいいものの、私の悩みは「1フレーズから抜け出せないこと」でした。2番までは何とか1番のコピーペーストで行けるものの、間奏や後半の展開の仕方などやったことがありません。締め切りまでにそんなにレッスン回数も無かったので、1カ月で先生から「これならレコーディングできますよ」と言ってもらえるレベルにしなければいけませんでした。レッスンは2週間ごとだったので、1回目のレッスンで1コーラス、2回目のレッスンでほぼ完パケしたものを見せる、というスケジュールになります。作業スピードもまだまだ遅い私、あんまり悩んでる暇がありません。

ここでモチベになったのは、「歌詞」でした。サビのフレーズから思いついたので、まずサビで言いたいことや、合いそうなワードを書き出していきました。そして、歌詞が1文(1セット)できたら、似たようなワードで言い換えができないかを考えていきました。(今でもいつもこのやり方で作詞しています)
参考までに、「きみにきゅん」の1番サビ・大サビはこんな感じです。

<1番サビ> 0:50~
だいすきって言ってみてもきみは
「ありがとう」って笑うんでしょう?

きみにきゅん/ミスミトウリ

<大サビ> 2:13~
だいすきって本気で伝えたら
おどろいてくれるのかな?

きみにきゅん/ミスミトウリ

動画:【初オリジナル曲】きみにきゅん/ミスミトウリ

このサビで言いたいことは、【「だいすき」と言葉で発しているのに、相手に本当の意味が伝わりそうにない】という「もどかしさ」です。
こんな誰でも書けそうな文章ではありますが、私はこの歌詞を書いたときに「この大サビの想いをちゃんと曲にしたい!」という思いが強く湧いてきました。先ほども言ったように、1番は何とかなります。でもこの大サビにたどり着くまでには、間奏や落ちサビをちゃんと作り込まなければならない。

私は、この歌詞にたどり着きたい!

「きみにきゅん」は推しのことを考えている自分を、等身大で書いたものだったからでしょうか。「歌詞」への想いがとにかく強く、今までやってこなかった部分の作編曲も、何とかモチベを保って制作することができました。最終的に、1カ月で作り切ることができました!

3. 完成した後も続く

先生のお墨付きをいただき、初のレコーディングをしました。
短い曲でレコーディング時間も余ったため、その場でMIXもしていただき、完成品を当日に受け取ってイヤホンで聴いてみた自分。
「え?私、天才じゃん!!」
「無敵じゃない?!」
「なんでもできるじゃん!」
という無敵モードに突入。
自分の曲をBGMにカフェに2時間居座るほど感慨に浸っていました(爆)
今の自分からすると、その時間あるなら作業して!!!と言いたいところですが、当時は本当に嬉しかったんですね。

ちょっとおかしいくらいに興奮していたのですが、無事に音源提出もすることができました。締め切りはぎりぎりでしたが、思い立って1カ月そこらで、フルを完成させたことのなかったDTMer(というか、もはやただの音遊びしてた人)が「CD販売・サブスク配信」にたどり着いたのです。

販売開始まではかなり期間があったので、SNSと動画の準備を進めました。これを機に、ネット上に自分の楽曲を「発表」したい。
自分でキービジュアルを作り、まともに触れもしないAfterEffects(動画ソフト)を使ってリリックMVを作り、友人たちに紹介するためにサブスクのQRカードを作り、とにかくそのときの「一気に行動する力」は凄かったのです。
やっとやりたいことができている。そんな気がしました。

「推し」コンセプトの理由

2021年5月、CD発売・サブスク解禁とともに、私はTwitterにアカウントを作って初めて投稿しました。1週間後にはYouTubeにも投稿。
当たり前だけど反応なんて誰からも来ないし、再生も全然回りません。
でも、「やっとできた」と思いました。

歌詞のモチベーションの段階でわかりきっていましたが、曲を完成させた後も、私の行動力を搔き立てたのは紛れもなく「推し」の力でした。

「推し」への気持ちを書いた曲を、誰かに聴いてほしい。
この世のどこかに私と同じ気持ちの人がいるかもしれない。
「推し」や近しいアイドルに届くかもしれない。
推しやヲタクに見てもらったときに恥ずかしくないものにしたい。

そう思えたから、やったことがないこと、苦手なこと、数字に出ないことでも臆せずやってみることができました。

SNSに進出してからも、
「推しとヲタクの関係性」
「推しが居る人のための音楽」
「推しを想う歌」
など、文章の表現の変遷はありますが、一貫してこのコンセプトでやってきています。

私がやりたいことはこれだったんだ。
そう実感できたから、今日まで音楽活動を続けています。

私が「推し」コンセプトで音楽をする理由。
推しへの気持ちを書くこと。
その気持ちを誰かと共感すること。
まさしくそれが私にとっての「推し事」になったから!

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