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『愛の渇き』に触れて-三島の根っこを覗きたい

「それでも私は幸福だ。私は幸福だ。誰もそれを否定できはしない。第一、証拠がない、、、、、

新潮文庫 三島由紀夫『愛の渇き』

矛盾を抱えた幸福追求は、罪悪なのだろうか。
信仰を持たぬ“理性の怪物”が最後に辿り着いたのは……


オチのネタバレあるよ

知りたくない人はブラウザバック推奨です。

このnoteをわざわざ読むような人間は既読なんじゃねえかとも思うが、一応。













はじめに

私が初めてこの本を手にし、読んだのは全くの偶然であった。
高校の図書室で、背伸びして三島でも読もうかと適当に手に取ったのがこの『愛の渇き』である。
この感動を、読了感を記録するため、noteに残すこととした。
清涼感と毒味と粘着を同時に感じさせる描写、無機質の中に差す自然美のコントラストを、ぜひあなたにも味わってほしい。

あらすじ

浮気な夫をチフスで亡くした主人公・杉原悦子が大阪郊外の舅・弥吉の下に身を寄せ、彼と肉体関係を持ちながらも若い園丁•三郎に惹かれる。しかし三郎は恋人である女中•美代を妊娠させたことが分かり、悦子は嫉妬に苛まれてしまう。そして美代を農園からクビにした後、弥吉との上京前夜に三郎を鍬で打ち殺すところで物語は終わる。


逆説的幸福とは

記事の頭に引用した文は、物語の始まり、舅との関係が匂わされ、覗き見られた嘘まみれの日記を書き直した後に言ったひとりごとである。
「なんて強い言葉なんだ」 
素直にそう思った。
この一行に、彼女の思想が、行動理念が、これでもかと詰まっている。

この小説のテーマは《唯一神なき人間の幸福といふ観念》、もとい逆説的幸福追求について扱われており、主人公である未亡人・悦子は幸福を求め、探すために自ら悲劇に飛び込むのだが(実際は、こんな雑な説明じゃ何の説明にもならないほど複雑で、悦子の説明がイコールで本著の解説になる程重要な事柄である。私自身悦子がどういう人物であるのか全く掴めず、首を傾げている)。
これらの“悲劇”は、作中におよそ五つある。
一つめは旦那の度重なる不倫
二つめは旦那の病死
三つめは舅の別荘農園での生活(舅との関係も含める)
四つめは三郎による女中•美代の妊娠
五つめは三郎の殺害

その都度悦子はどのような心情でいるのか、どう表現して、どう語っているのか。それが三島の“逆説的幸福追求”の答えになると思う。

彼女は教養も要領もそこそこで、世間で言うところのいわゆる“都会人”なのであった。構想ノートにも《田園群にとじこめられた都会人の一群》という一文があるように、

男と女
田舎人と都会人
肉体と理性

いう三島の対比構造が読めて取れるのである。

「我が手で猿轡をはめたこの女」

新潮文庫 三島由紀夫 『愛の渇き』


プロフィール

三島由紀夫は1925年東京に生まれ、1949年には『仮面の告白』を発表し注目を浴びる。
彼の作品の特徴は美しく端正に敷かれた日本語、論理的・古典的な構造の中にある現代性であり、その人気は海を超え愛され続けている。
後年には自衛隊体験入隊、民兵組織「楯の会」結成、東大全共闘討論会に参加するなど、政治的傾向を強めた。
そして1970年に昭和を揺るがす三島事件“割腹自殺”を実行し、その生涯を終える。

構造

この作品においても古典的な骨組み、モデルがある。
登場人物の性質やその配置はフランスの古典主義演劇に習われており、簡単に言うと「古代ギリシア風で、形式美や理知、調和」である点に重点が置かれている作品である。
本著は『仮面の告白』から数えて3作目の作品であり、“論理性” “美的生死観” “青年”のエッセンスはその後の作品にも脈々と引き継がれているが、『愛の渇き』ほど彼の信念が文学として完成されている作品は無いように思える。
古代ギリシアの要素といい、『仮面の告白』での倒錯といいアポロンのさかずきといい、ほんとにあの時代の肉体美への関心(コンプレックス)が強いんだなと感心する。


舐め回すように粘質な描写、“祭り”

 三島文学を端的に表す言葉で、「肉体的美・滅び・死」というのがある。


 「ほとんど信じがたい事態に陥る経緯が、醒めぎわの淡い夢のような文で直下に了解される」

新潮文庫『愛の渇き』巻末解説 石井優佳 


 先程も述べたように『愛の渇き』でありありと描かれているのだが、本著内で特にそれらが際立っていた、私の推す一場面、“祭り”について書こう。

 美代の妊娠が発覚する前に行った、地元・米殿での祭り。人がもみくちゃになる中を掻き分け入った悦子は、神輿を担ぐ三郎の倒れかかった背中に深く爪を立てる。しかし、熱狂にいる彼には少しも届かない。そんな場面。

「それは餡に映えた半裸の若い衆たちの一団である。あるものは髪をかき乱し、あるものは白い鉢巻の結び目をうしろに靡かせて、獣のような声で口々に叫びながら、蒸れるような匂いを放った風を捲き立てて(中略)堅い肉と肉とがぶつかる暗澹とした響きや、汗濡れた皮膚と皮膚が貼りついて離れる明るいひしめきが、あたりの空気を満たした。」

「彼の躍動している下半身は仄暗く、むしろ動きの乏しい背中が(中略)目まぐるしく動いているように見え、その肩甲骨のあたりの肉の揺動は、羽搏いている翼の筋肉のように眺められる。」

新潮文庫 三島由紀夫『愛の渇き』

 このような文章が続く。読んでいると、ほんの数ページでこの喧騒は終わるのだが、明らかに他の場面と比べてしつこい。言葉の粘度が高い
この文字々々に込められた意味の重み、情景、連動する心情の圧倒的情報量、そして日本語の持つ響きの美しさを余すことなく敷き詰めた宝石のような文章こそが三島文学のカオであり、魅力だ。
そう。文字数自体は多くないものの、これでもかと祭にほてった男たちの狂騒が上のように描かれており、どれも本能的な部分に訴えるような美しさ、汗水興奮が手にとるように分かる。取材・執筆した当時の三島の鼻息の荒さや熱量さえも想像に易い。圧巻の一言である。

三島全般用いる言葉が難解で複雑であることは我々読者にとって一つのハードルであるが、だからこそ、飴を舐めるようにじっくりゆっくり味読することをお勧めする。


有名どころをあらかた読んだ人もそうじゃ無い人も!オススメ!

『愛の渇き』を読むと、主人公の語りの難解さ、人間関係の退廃加減に引っ張られてしまいそうになるが、こういう端々に散らばっている美しい一節が読むものを彼の鋭利な美で切り裂く。そして“逆説的幸福”という難解な主題から外れたところに転がった三島の根源意識をのぞいた気分を味わえる、そんな一冊なのだ。

『仮面の告白』を読了後に、特にオススメです

薄く、思想の繋がりが“見え”て楽しいです


最後に

本当は病室の場面についても語りたかった!
しかし、この感想文は高校で提出した評論(1600字内)をベースに脚色したものなので、そのシーンを描くには新たに書き下ろさねばならなくなってしまう。
だからまた時間ができたとき用に楽しみは取っておくことにして、一旦このnoteを公開することとする。楽しみだな〜



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