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ゆるすこと

人にしてもらったことは覚えていないのにされたことは異様に覚えている、みたいなバイアスが掛かっていると気付かされることがTwitterを見ていて増えた。

私は戸籍上も性自認も女性なので否が応でも女性の不平等さに敏感になってしまったり怒りを感じることも多い。興味関心もフェミニズムやジェンダー論、社会学的なのでTLでは似たような志向の人をフォローし日々炎上や時代遅れコンテンツに対する人々の怒りを追っている。

その怒りのツイートを見る度、共感するのと同時にその感情の新鮮さに自分で驚くことがある。言い換えれば「今ツイートを見ているからこうやって違和感を感じているけど、何も言われず見たら肯定的に感じてしまうんだろうな…」っていう感じ。

このツイートを見てなかったら、この考え方に立っていなかったら問題に気付けず同意してしまってた、最悪賛同していたかも…と感じる度自分の想像力がいかに平面的なのか、未熟さを痛感する。


潜在的な男尊女卑やルッキズム、レイシストなど今の日本にはごまんといると思う。その"一昔前の考え方"を持った人達がインターネットで意見を発し、議論が繰り広げられてしまうという連鎖が日々起こっているけど、問題なのは「その考え方を持ってしまった」ではなく「その思考回路に無意識になってしまう環境」なんだと思う。環境だけのせいにするつもりもないけど、私だってもしかしたらどこかで差別的な言動をしてしまっている、もしくは加担しているのかもしれない。女性としてされたことには敏感だけど男性が苦労して損している状態には気付きにくかったりもする。

でも人は、自分以外の視点を想像し理解することで言動は改善できると思う。立体的な視野は色んなバイアスを取っ払う意識があれば少しずつできるはずだと信じていたい。

1度の誤りで「こんなヤツ平成に置いていけ」って言われない、なおかつ「お互いが理解し改められる」のが令和だといいなあと深夜にふと思ったのでした。

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