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転んだときの声かけ

がっしゃん!目の前を走っていたコドモ(8歳)が自転車で転んだ。段差にタイヤをとられたみたい。

場所はガソリンスタンドの前。店員の方の視線を感じる。なんだかアワアワされている。本人でも母親(わたし)でもなく。

「立てる?」がわたしの第一声。「うん」と小さな声が聞こえて、コドモが立ち上がった。それから「大丈夫?」と打ったであろう場所から体を確認していった。

幸いちょっとすりむいた程度。帰宅途中のことで遠くなく自宅だったため頑張って帰ろう、帰ったら洗い流そうということになった。ガソリンスタンドの方に気にかけてくださったことへのお礼を伝えてわたしたちは自転車をこぎ始めた。

風を切って自転車で走っているとおよそ7年前を思い出した。


コドモが外で歩き始めたのは1歳4ヶ月ごろ。靴を履けること、歩けること、どちらもうれしかった様子。臆せずどんどん前へと進んだ。実態はよちよちと、だけど。

もちろんと言っていいかわからないが転ぶ。歩く練習を始めたばかり。足はよちよちで頭が重い。

本人や周囲に危険が及ばなそうであれば「立てる?」と声をかけることにした。転んだら立ち上がる。それを体で覚えたほうがいいんじゃないかと思って。

考えてみると当時どれだけ言葉での会話が成り立っていたかわからない!! コドモは単語のオウム返しをする程度だったかも。食事や排泄については少しベビーサイン(手話)も使っていたような。

記憶が朧気すぎるけれど、だいたい伝わっていたのではないか。生まれたときから「だいたい伝わるだろう」と思って普通に話しかけていた身からするとそんな風に見えた。


言葉でさえそんな感じだから、転んだコドモを抱き起こしたことはない。痛みは本人が感じるものなので勝手に代弁するのも控えた。この言い方ではわかりにくいかもしれない。言い換えると体の状態を確認するために痛みの有無は聞くけれど、本人が訴えないうちに「痛かったね~」と言わないようにした。

転んだときの対応の是非や優劣を書きたいのではない。ましてや議論したくもない。ただわたしの対応は見るひとによっては冷酷に映ると想像する。冒頭に書いた例ではガソリンスタンドの方はヤキモキしていたかもしれない。

ふと気になって本人に確認した。
わたし「目の前でお友だちが転んだとき、なんて言う?」
コドモ「大丈夫?」
わたし「転んだときわたしになんて声をかけられてきた?」
コドモ「怪我はなかった?」

はい、わたしの自己満足ですね・・・。コドモが目の前で転ぶことは確実に減っているが、本人の記憶には残らないかもしれないが、これからも淡淡と「立てる?」と聞き続けるだろう。転んだら立てばいい、たくましくあってほしいと密かに願いながら。




ちょっと変わっていると言われがちな子育てについて、ときどき書いています。過去の記事はこちら。

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