ママが一番好きと言えた日。
幼いころからどうしてか、自己肯定感が低かった。落ち込むごとに「生きていていいのかな」とか「自分に価値なんてないんじゃないか」と頭の中では息をするのも絶え絶えで、ほとんどパニック状態になり考えすぎと言われる状態まで落ち込む癖があった。
その一番の根源は、「人に嫌われることが怖い」だった。嫌われることが怖いから言いにくい本音は言わない、言えない。でも、そんな自分の態度が相手を寂しく悲しい気持ちにさせてしまっていることに気づいたのはつい最近だった。
「相談してくれなくて、寂しかった。悲しかった。」
「信頼されていないんだなって思った。」
そんな一言を言ってもらえまで、自分の振る舞いで相手を傷つけていることに気づかなかったことに、とてもショックだった。そしたら、今まで一体どれだけの人を傷つけてしまってきたのだろう。そう思うと心がずんと沈み重い鉛がのしかかるような気持ちになった。
そこで私が取った行動は一つ。
どうして、こんなに人に嫌われることが怖いのか原因を探ることだった。
今の自分の感情を書き出しているうちになんとなく頭をかすめたことがきっと答えで、そしてそれは遠い記憶を遡るものだった。
***
幼い頃、私は母親によく怒られる子だった。恐らく、他の子とさほど変わらない子どもらしい子供だったけれど、責任感の強い母親は私をきちんと育てるために事あるごとにまさに雷を落とすように私を怒った。
どうしても笑顔の母親を思い出すことはできない。幼い頃は本当に母親が怖かった。そうするうちに、怒られたくないと思うようになった。怒られないようにするにはどうすべきか、私が無意識にとりはじめた態度は、「母親の顔色をうかがい、良い子でいる」ことだった。
でも、「良い子でいたい」の欲求の裏には、悪いことをしたら母親に怒られる=嫌われてしまう・見捨てられてしまう・愛されなくなってしまう
そんなネガティブな感情がいる。恐怖や不安からとる「良い子」の振る舞いだった。
そうすると次第に、自分の本音は話さなくなる。言いにくい本音を言って母親に怒られ嫌われるくらいなら言わないで平穏にすごせればいい。それが私の物心ついてから悩みの種だった「相手に言いにくいことを言えない」の根源だったのだ。
自分の言いたいことが言えないと自信が無くなる。どうせ言ったって聞いてくれない。反対される。それで傷つくなら言わないでおこう。私の親の前での本音のだんまりはこうして始まった。
両親とは仲は良い。当たり障りのないコミュニケーションはいくらでもとれる。
でも、私はいつだって母親の機嫌を取るような振る舞いをするし自分の感に障ることを言われたときは受け入れてもらえなかったらどうしようという恐怖や不安が先行して言い返すことができずふてくされ部屋に閉じこもって怒りや寂しさでこころをいっぱいにした。
親と健全な信頼関係が築けていない私は、学校や社会でもその態度はでていた。
特に恋愛では顕著だった。
いつも好きになる年上の男性は、私の知らない世界を知っている人で、私の悪いところや良くないところを言ってくれる人だった。そんな憧れの人から好かれる私、という感覚が愛されているという実感だった。だから何でも言うことは聴いたし、嫌われることが怖いから言いたいことは我慢するようになった。好かれるために笑い、好かれるために身体を許した。
長年、どうして最初は対等な居心地のいい人だったのに、関係が親密になるにつれ最後はこんなにも人間関係がこじれて別れてしまうのか、いつもわからずにいた。
でもそれは、親しくなればなるほどに、「好きな人から受け入れてもらえなかったらどうしよう」という不安と恐怖が大きくなり、自分に自信が無くなり最後は相手の顔色ばかりをうかがう自分にへりくだってしまうからだ。
何も言葉が出てこなくなる私に、「言ってほしかった」とだけ言葉を残して渋谷のハチ公前で別れた恋人の残存がある。
幼少期から母親に受けてきたアプローチが今の自分の人間関係をこじらせている原因だと気づいたのなら、やることは一つ。
今の自分を変えたいのなら、母親に全てを話して、そのままの自分のまま、間違えても悪いことをしても、丸ごと愛してほしいと伝えることだった。
***
「考えたんだけどさ・・・」
そう話し始める私はもう涙ぐんでいた。夕飯をつくり始めようとする母親におもむろに話し始める。
「泣かないで話なさいよ。」
そう言う母親。
母親と真面目に話したことはほとんどなかったし、本音で話したこともほとんどなかった。人生最大の勇気が必要だった。なぜなら、一番嫌われたくない人に、恐らく傷つくであろう言ったら受け入れてもらえないかもしれない話を今からするのだから。
幼い頃、怒られることが怖かったこと。
本音が言えなくなったこと。嫌われないように振舞うようになったこと。ずっと無意識に我慢をして良い子になって生きていたこと。愛されないんじゃないかと怖かったこと。他人にも同じように本音が言えずに生きてきたこと。そんな自分ではもう生きていきたくないということ。これからは誰かの期待や良い子でいるためじゃなく、そのままの自分で好きに生きたいということ。
泣きながら、とぼとぼと話す私。
そんな私を見届けた後、母親が放ったのは、
「そっか、ママのせいだったんだね。ごめんね。」
そんな責任感と罪悪感いっぱいの言葉だった。
一番傷つけることが怖かった人を、今目の前で自分の言葉で傷つけてしまった。
これからどうやって私と接したらいいのかわからないこと。負担やプレッシャーをかけて申し訳なかったということ。
涙を流す母親を見て首を振りながら言った。
「小さい頃からママに本音が言えなかったのは、ママのことが一番好きだから。」
一番好きな人にダメな自分も間違えだらけの自分も、受け入れてそのまま愛してほしかったのだ。
わっと泣く母親を見て、きっと悩んで苦しんで私を育ててくれたのだろうなと思った。そしてその愛情は十分に伝わっていたけれど、お互いが怖くて歩み寄り、踏み込み合えなかったんだなと思った。
「もう、我慢しなくていいから良い子でいなくていいから、美里らしく生きてほしい。それから、幸せになってもらいたい。せっかくここまで健康に育ったんだから、最期のときは良い人生だったって思ってもらいたい。だからそんなに将来を考えすぎないで楽しんで生きてほしい。今の美里が心配で仕方ない。やりたいことを、好きなことを自由にやってほしい。でも、人のご縁は大切にできる子でいてほしい。」
ああ。私、このままの自分で生きてていいんだ。
そう思えた瞬間だった。
そっか、生きているだけで価値があるんだ。丸ごと愛してくれる人がここにいるなら、もう誰に嫌われることも怖くないや。
ママが好きでいてくれるんだから、大丈夫だ。
そう思えたら、すっと心が軽くなりぶわっと心を押し上げたのは、今までにない安心感と自己肯定感だった。
ママが一番好きと初めて言った。それは滲み出たどうしても伝えたい一滴となってきちんと相手の胸に届けることができた。そして私は無償の愛が何かをやっと手のひらに握ることができたのだ。
怖くない。人を信じることも本音を話すことも。
一番できなかった母親という存在に、勇気を持って飛び込むことができたのだから。
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