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性と死の虜だったわたしのこと

大学4年間、わたしはずっと18歳だった。

大学入学とほぼ時を同じくして性風俗店に飛び込み、授業もサークルもない時間の半分くらいは性産業に従事していた。
後に、この後先考えず気になったことに突っ込んでいく性質はADHDという発達障害に由来するものだと判明したが、わかったところで後の祭りである。


特にお金にめちゃくちゃ困っていた訳ではない。
誰彼構わずセックスしたいほど淫奔だった訳でもない。


わたしは、ただただ、人の隠された欲望に興味があった。


ちなみに中学生〜高校生の頃は同級生の中でも活発でないタイプの男子に近付いて親睦を深め、いかがわしい関係を結ぶことを好んでいた。
改めてこう書くとその後風俗嬢となるのも当然の帰結感があるが。


この時もセックスがしたかったというよりは、
普段は女子になんか興味ありませんよという顔で本でも読んでいる澄ました目に劣情が滲む瞬間、
あれが見たくて堪らなかったんだよなと思っている。


風俗店にやってくる大人のお客様のほとんども、上記の男子達と似たような経過を辿っていく。

初対面は澄ました顔で挨拶を交わし、何なら目の前の道を外した少女(果たして年齢的にそう言えるのかは置いておいて)に軽く道徳的な言葉をかけたりしながら、
いざプレイに入ると、どうだ。


そこには年齢も役職も関係なく、千差万別の欲望がさらけ出される。
下手すると娘の年ほど離れた年下の女を目の前に、みるみる理性を失っていく。
興味深かった。こんなにもひとを狂わす性欲。そのエネルギーの強さ。多様さ。
タイマーが鳴るまでの数十分間、ここは社会ではなくなるのだ。


そんなこんなで、結局4年間も続くこととなった風俗店勤務。
大学卒業と同時に風俗嬢からもじゃばじゃばと足を洗い、
つるつるになった足で向かったのは葬儀屋だった。


はじめに葬儀屋を志したきっかけを、わたしはもうはっきりと思い出せない。
履歴書で、面接で、就活用にカスタマイズされた耳触りのよい志望動機を繰り返していたら、
本当の動機はまるで画用紙に消しゴムをかけた時のようにぽろぽろとかすれていってしまったように感じる。


初めて社会に出た若造には耐え難いほど、控えめに言ってもブラックな職場だった。
忙しい時には食事も摂れず眠ることもできず朝から晩から朝から晩から朝くらいまで働いていた。
ちなみに忙しい時とはつまり葬儀場の近隣で同時多発的に人の命が終わり続ける状況を指す。何故かお盆の前後と正月に多い。本当に何故なんだ。


毎日たくさんの亡くなった人と、たくさんの遺された人達が目の前を通り過ぎていく。


初めて、身内以外のご遺体を目の当たりにした。
嘘かと思うくらい典型的な醜い親族争いを見た。
嘘かと思うくらい、うつくしい愛情を見た。


人の死の周りにもまた、何か社会のようなものを剥ぎ落とした向こう側の光景が広がっていた。


結局、今は葬儀屋も辞めてしまって、
全ての過去を知っても受け入れてくれた人の名字を間借りして、平凡な家庭を築いている。
とりたてて特徴のない、しかし社会にはどこかしらで必要とされているんだろう仕事の一端を担って毎日働いている。


わたしが死ぬ時に思い出すのは、
風俗嬢として、葬儀屋として、ひとの剥き出しの感情の中に目まぐるしく溺れていたあの数年間ではなく、
これからおそらく何十年と続く、この凪のような日々なのだろうと思う。
そしてそれが叶ったなら、とてもしあわせなことだとも。


よって、わたしがここで綴っていく文章は、弔いである。
自分が死ぬ時にも思い出されず、思い出されないほうがよいとも判断された、
それでもわたしの根幹を成していた、成している、たくさんの記憶たちの生前供養だ。



ここまで読んでくださった方は、すでにわたしの親よりもわたしの内側を知ってしまったのかもしれない。
どうも。なんだか照れますね。

もとより継続力のない人間です。
いつまで続けられるか分かりませんが、
旅先で見かけた知らないお墓に気まぐれでそっと手を合わせるような、
もしくは道端に停まっている霊柩車を駄目だと分かっていながら覗き込んでみたくなるような、そんな気持ちでお付き合いいただければと思います。

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