ミサトカナエ

元風俗嬢で元葬儀屋のおねえさん(自称)。ADHDなんだそうです。どうりで生きづらかった…

ミサトカナエ

元風俗嬢で元葬儀屋のおねえさん(自称)。ADHDなんだそうです。どうりで生きづらかった訳だよ!と膝を打ってからは日々気楽に生きています。 主に風俗嬢時代の記憶、葬儀屋で見てきたもの、早熟な少女だった頃の性遍歴などを綴ります。

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性と死の虜だったわたしのこと

大学4年間、わたしはずっと18歳だった。 大学入学とほぼ時を同じくして性風俗店に飛び込み、授業もサークルもない時間の半分くらいは性産業に従事していた。 後に、この後先考えず気になったことに突っ込んでいく性質はADHDという発達障害に由来するものだと判明したが、わかったところで後の祭りである。 特にお金にめちゃくちゃ困っていた訳ではない。 誰彼構わずセックスしたいほど淫奔だった訳でもない。 わたしは、ただただ、人の隠された欲望に興味があった。 ちなみに中学生〜高校生の頃

    • 太りすぎて棺に入らなかった故人様

      わたしが葬儀屋だった頃に見た、衝撃的な光景。 ※大丈夫だとは思うけれど、念のため閲覧にはご注意ください。 (思い切ってダイエット記録を始めてはみたものの、やはり元々のスタンスだった風俗嬢/葬儀屋だったときのことも書いていきたいので、できるだけ残せていけたらと思う) あのー、なんというか少し大きい方なので。もしかしたら3、4人くらいで来てもらった方がいいかもしれません。 警察署から、そんな電話が来たという。 自分の担当ではなかったので詳しいことはわからないけれど、孤独死

      • 5歳のわたしは侵入者を求めた【ミサトカナエの性遍歴・1】

        記憶の中ではいちばん古い、 おそらく、未熟な性欲の目覚めだったできごと。 5歳くらいの頃。 親が共働きだったので、平日は家からほど近い保育園に通っていた。 保育園にはお昼寝の時間というものがある。 給食を食べ終わった後、園児たちはめいめいお気に入りのブランケットを持って布団が敷き詰められた寝床に向かい、眠る。場所は決まっておらず、早い者勝ちだった。 もう本名は忘れてしまったけれど、けいくんという男の子がいた。 けいくんは安直に例えるならガキ大将みたいな、ちょっとやんちゃ

        • 愛する人を亡くした後、何も残らないのは幸せなことか【葬儀屋が見た宗教の話】

          日本で亡くなった方は、地域や宗教により違いはあれど 一般的にはひと晩かふた晩の時間をかけて、 通夜、葬儀、そして火葬という流れを辿る。 その間、集まった生きている人々の中心にいるのは 言わずもがな「故人様」 つまりは亡くなった方のご遺体である。 「亡くなっても、お耳は最後まで聞こえていると言われているんですよ」 葬儀屋はそんな言葉をよく口にする。 わたしはまだ死んだことがないので真偽のほどは定かでないけれど。 それでも葬儀屋としてこの言葉を投げかける。 遺された人にとっ

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          知らないことは、ぜんぶ知りたかった。【ミサトカナエの性遍歴・0】

          noteを始めてまだ数日だけれど、 ・noteをやってみようと思ったきっかけ ・自己紹介 ・風俗嬢だった時のこと ・葬儀屋だった時のこと と、自分が書きたくなった気持ちに身を任せるまま それぞれ異なるジャンルの記事を書いてみた。 次は、所属や肩書きに依存しない、 わたし自身のことでも書き始めてみようかな、という気持ちになった。 わたしは物心ついた頃から好奇心だけで動いている、危うさのかたまりみたいな子だった。 しかも、性的好奇心である。 お昼寝の時間に身体を触ってく

          知らないことは、ぜんぶ知りたかった。【ミサトカナエの性遍歴・0】

          孤独死した人の部屋には共通点がある。

          あなたの家に、業務用の焼酎ボトルはありますか? 孤独死。 誰にも看取られず、気付かれず、 ひとりで静かにその生を終えていく。 葬儀屋で働いていると、そういった最期を迎えた方のお世話をさせていただくこともあった。 地域や葬儀社によってもまちまちだけれど、 基本的には、葬儀屋(葬儀場で働いている葬祭ディレクターなど)が 孤独死の現場である家に行くことはほとんどない。 理由はシンプルで、亡くなった人を発見した時、救急や警察に連絡する前に葬儀屋に連絡しようとする人はそうそう居な

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          おっぱいを刺身で食べたいと言われた話

          わたしが永遠の18歳として性産業に従事していた頃、お客さんとして出会った人。 第一印象は「真面目そうな人」だった。 そんなありきたりな表現が一番に出てくるくらい、どこにでもいる感じの人。 背が高くて、肩幅は広めだけれど細身で、表情筋があまり仕事をしていない強張った作り笑顔が逆に誠実な印象だった。年齢はおそらく、父親より少し下くらいかな。 二言三言、言葉を交わして、すぐに会話が弾む感じではなかったから わたしはいつもより少し声のトーンを落として、自分の脳内年齢設定を引き上げ

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          何百度目かのはじめて

          自分の意志で何かを続けられた試しがない。 スイミングスクール。 小3にもなるのに顔を水につけることすら怖がって、幼稚園の子たちと同じクラスで腕に空気の団子をつけてぱちゃぱちゃやっていた。 身体だけは成長が早くクラスで浮いていたわたしをコーチが気の毒に思ったのか、実力を伴わない昇級を重ねて、 次はクロールをやってみようね、の日。 風邪を引いて休んだ。そのまま行かなくなった。 交換日記。 よく一緒に遊んでいた女の子と、クラスの気になる男子と、なぜか3人で交換日記をすることにな

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