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事業の基本は「三方良し」です、絶対。

最近、少しもやっとすることがあって、でもそのことを未だ上手く言語化できていない。ので、今ここで書きながら整理できないものかと思ってPCに向かっている。

「新しいことに挑戦したい」。そう思う気持ち自体は大変尊く、素晴らしい。一方で“手あたり次第”やりゃいいかと言うと、少なくとも事業においては、そうゆうわけにもいかない。須賀川市の旧市街地の空きビルで、伽藍洞の一室を借りながら「ここで何ができるか」を考え、一人静かに壁を塗っていた私。廃屋同然で、人が入らなければこのまま朽ちていくであろう空間を前にして考えていたのは、「どうしたらこの場所とこのエリアが、活気を戻してくれるだろうか」ということだった。後にも先にも、それしかない。

ここでひとつ、出てくる問題がある。 “活気”とは?ということだ。
Nafshaのリノベーションでもそうだったのだが、“良いもの”をつくりたという点において、関わってくれた皆さんの気持ちは一致していた。でも、である。一体“良いもの”ってなんだろうという疑問が、リノベーションを進めるうちに浮上してきたのだ。あなたの思う“いい”と、わたしの思う“いい”は、同じではないかもしれない。“好み”と言ってしまえば簡単だが、これはビジュアルや雰囲気の話とは違う、もうちょっと深いところにある問いだとも思っている。

これと同じことが、“活気”にも言えるだろう。
日本中のパリピが募ってくれれば、それはそれで“活気”のある場になる。でもそんな場所は、果たして住みよい街になるだろうか?別に原宿の竹下通りのような混雑を生みたいわけじゃない。とにかく人が移住してくれれば活気が出るのではと、補助金を積みまくって人寄せをしようとする自治体もあると聞く。でも金目当てで移住してくる人の多い街と、ここが好きだと言って移住してくれる人の多い街とでは、一体どちらが魅力的な“活気”を生み出せるだろうか。言わずもがなである。
ひと口に“活気”と言っても、人によってそのイメージは異なるし、世代によっても変わってくる。こんなことを考えていると、「もういいから世界基準で”活気とは”の定義つくってくれよ!」と叫びたくなるのだが、さすがにそんな世界機構は存在しないので、結局これは私たち一市民に課せられた “考えるべき”課題なのだ。

ここからは、私が個人的に考える“活気とは”・“いい空間とは”について。
“いい空間”に関しては、Nafshaのリノベーションを通して脳みそが溶けるほど考えてきた。当時の私を救ってくれたのは、「ブリコラージュ」という手法。これは未開の地に暮らす人々の“つくり方”で、ゴールを目指さず目の前のものを重ねていく、というやり方を指している。
リノベーションの最中、あらゆる専門家からの話が“逆算”から成っていることに違和感を感じていた私は、このブリコラージュに感銘を受けた。ほら見ろ、それだけが正解じゃないだろが。資本主義以前から色んなつくり方・アプローチがあるだろが。と(基本、喧嘩ごしね)。

空間は、生きている。現代医学の見地からも建築の観点からも、空間が “生きている”なんてことは、認められないだろう。だってバイタル測れるわけじゃないし、建築物は物体として存在してるけど、その中にある“空間”はそもそも実体がないし、目に見えないし。どうやったって空間が“生きてる”なんて証明は、現代のあらゆる専門家の知識をもってしても、難しいことだと思う。
一方で、なんとなく「この空間、心地いいな」と思う経験は、誰でも持っているのではないだろうか。そよぐ風が気持ちいいとか、日差しが温かいとか、音楽の耳障りがいいとか、いる人の空気感が素敵とか。数値化できないけど、個々人が確かに感じていることが、その場の“空気”であり、その “空気”が温かく活気に満ちていればいるほど、その空間は“生きている”ということになるのだ。仕様書に沿って逆算していけば“生きた空間”ができるかと言うと、必ずしもそうではないところがミソ。

それで、だ。その“生きている”空間はどうやったら出来上がるのかと言うと、それは「愛情をかけた分だけ」と言うほかない。でもここで勘違いしたくないのは、「愛情とは自分だけでなく、自分に関わる周りをも幸せにするもの」ということだ。最近のもやもやの原因は、もしかするとここにあるのかもしれない。「新しいことをしたい」こと自体は、はい素晴らしい。「じゃあ誰のために?」を質問した途端、答えられなくなる人が多くなる気がしている。これは何も慈善事業をしましょうと言っているのではない。近江商人だって昔から言っていることである。「売り手よし、買い手よし、社会よし」と。この三方よしを考えずして、21世紀のビジネスはあり得ないということは、小商い歴ペーペーの私にも断言できる。

空きビルだった旧・菅野園に、この度素晴らしい方々が入居してくれた。福島県を拠点として活動をしている写真館で、須賀川への移転にともない名称もシロヤマ写真館とリニューアルしている。女性ユニットのシロヤマ写真館さんは “街の写真館”として、そこに暮らす人の日々に溶け込む写真館を目指している。いつもの日常も特別な日も、きっと彼女たちの存在が須賀川の人たちの心を明るく元気づけてくれるだろう。旧・菅野園は、“生きた空間”に戻るための、パーフェクトでマーベラスな一歩を踏み出したのだ。
建物だって街だって、こうやってひとつひとつの灯りが赤々と灯ることで、輝いていくのではないだろうか。ハコだけつくって終わりの昭和的バブル思考と、「自分だけ良ければいい」の前時代的マッチョ思想から成るものでは、決してない。

空きビルに関してのお問合せや相談も、少しずつ増えてきている。だが残念なことに「誰のために?」を答えられる人が、思った以上に少ない。街を明るく楽しくしていくためには、それが“持続可能”であることが必須だ。きちんと稼ぎ続けて、家賃を払い続けていかなけなければならない。好き勝手に自分たちだけが気持ちよくなるのは、事業ではないし、街のためにもなりにくい。そういったことをきちんと考えてくれる人ともっと出会いたいと、心から願っている。

(え、なんか最後須賀川の主みたいにおわた。)

2022年3月24日
guesthouse Nafsha
Owner Misato


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