【信濃素晴移住の記:1】キックオフ編

「なんで東京から御代田に移住しようと思ったの?」
多分これもう150回くらい聴かれてる気がする。

正直、東日本大震災をマンションの6階で経験して、帰宅難民の友人を救出したあの日から、生涯を東京で暮らすという選択肢はなかった。

けれども、じゃあどこに移り住むとか、いつ移るだとか、現実的なところについては「時が来ればおのずと導かれるじゃろ。」くらいな感じでふんわり構えていた。

2017年に移住を決行したきっかけ。簡単に言うと、「もう疲れちゃた」から。だったと思う。今でも東京は好きだ。両親の仕事について、幼い頃から月に何回かは東京に滞在していたし、一人でも9年暮らしたし、あっちでも車乗りだったから大体どの街にも降り立ったし、街それぞれに思い出がある。

ただなんか、疲れちゃったのだ。
目まぐるしく移り変る吊革広告も、あちこちピカピカ光るサイネージも、雨の日の繁華街の水たまりの汚さも、競歩ですかってくらい忙しなく何かに向かっていく人の多さにも、土鳩の群れにも、うんざりだった。この時の私がとてつもなく疲弊していただけかもしれないけれど、そんな精神状態が2016年の、年の瀬。

2017年の2月時点、そん時の彼氏(現夫)が転機を迎える。
彼は元々ウエディングプランナーとして成功していて、私と出会った当初はブライダルの専門学校の教員なんかやってて。30歳を迎えた彼は、教員としてではなくプランナーとして現場に戻りたいという気持ちが強まったようで、人生最後の転職をしたいと持ちかけてきた。

なんか最初は、既にスカウトが来ているところにフリーランスで携わるとか、都内の一流ホテルにも営業行ってみようかなとか色々考えていたみたいなんだけど。ふと私と彼の脳裏に、”軽井沢”が思い浮かんで。(確かその時、ドラマ『カルテット』やってた。)

「此の期に及んで現場に戻るなら、ブライダルの聖地でやればいいのでは?」というびっくりアイデアに至ったのだ。なんだかそれは、そん時の彼には一番しっくり来る気がして。彼は腑に落ちながらも、長男として色々悩み抜いた末の決意をしていたようであった。

それからの日々は倍速。彼は経歴嵩じて軽井沢での就職先は即座に決定。面接の機には一緒に軽井沢(アウトレット)に訪れた。また、「広告」=「東京」の図式を強固に描いていた私は広告業界を離れる決意も早々に、「おしゃれな田舎暮らしライフ」を心待ちに、物件探しに明け暮れる日々。

さて、何故私共は「御代田町」に?


次の回:【信濃素晴移住の記】トウキョウシック編

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