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「たられば」に終止符をうつ


たらればを考えてしまう事って誰でもあるんじゃないかな。
あの時こうしていたら今頃は…

もしかしたらあったかもしれない未来と今のこの毎日とを比較してしまう。
今あなたの立つその場所はやっぱり窮窟なのだろうか。

出口がみえない閉塞感、漠然とした物足りなさ、霧の中にいるような薄ぼやけた日々、何か面白いことないかな〜と心のどこかで何か、あるいは誰かを待っているのかもしれない。

ただ本当にそうなのだろうか。
あったかもしれない未来は、本当にあり得た可能性があるのだろうか。
この生き方以外には選び得なかったのだとしたら…

口から出てしまったあの言葉、あの行為は全て最善だった。
ああ言うしかなかった、ああするしかなかった、むしろそれ以外の全て選択はどうしたって選べないようにプログラミングされていたとしたら…

これまであったすべての事をそんな風に捉えてみる。
するとどうだろう、自分の人生を、自分自身を柔らかな愛おしさで包み込めてしまうのではないだろうか。

選んだものごとすべては自己責任。
ああなったのは自分が未熟だったせい、今あるすべては自分の過去の行いの上にある、確かにそうかもしれない。

だけど、本当にそうだろうか。
あの時はその視点がなかったから、それが最善だと思って選んだ。
過去の自分も一生懸命考えに考えて選び抜いていたはずだ。

一生懸命考えてもなかった?
それは、その時そんなゆとりがなかったのかもしれない。
それ以上に優先したい今があったのかもしれない。
まさか、キャパがなかった事さえすべて自分の責任なんだろうか?

自己責任ってなんだろう。

私はずっと自己責任論が強い人間だった、あの時ああ言ったからこうなった、あの時こうしたからこういう結果になった。
窮窟でゆとりがなくって、小さい箱の中をくるくる決まった回路を周り続けるような生き方をしていた。
他人に厳しくなるし、何より自分に一番厳しくなる。

自己責任論が過剰な人が成功したらどうなるだろう。
たまたま上手くいっただけかもしれないのに、環境に恵まれただけ(逆境ですら恵まれたと言える)かもしれないのに、もしかしたらDNAが良かっただけかもしれないのに…
すべて自分の努力の賜物だと間違いなく思ってしまうだろう。
それはあまりにも傲慢な態度だと思う。

自分の責任、自分が甘い、自分次第、そんなワードが頭をくるくる回って苦しくなっていた時「それって一番小さな生きかたじゃない?」と言われた。

ハッとした。
自分の中にスッと入ってきて、気がつけば心が緩まっていた。

自己責任って一見正しいようで落とし穴も多い。
私たちの命って、本当に自分なんかがコントロールできるものなんだろうか?
そんな小さな箱に収まってしまうようなもんなんだろうか。

コントロール出来るなんてのは、ひょっとすれば物凄く傲慢な考えなのかもしれない。
自分の命で、自分のものだからこそ手綱を握っていられると思ってしまいがちだけど、果たして自分ってそんなヤワな存在なのだろうか?

巧妙に自分が操っているつもりでも、実は抗えないもっと偉大な何かに突き動かされているだけなのかもしれない。

自分なんかがコントロール出来ると思っていた、その傲慢さに笑ってしまった。
この身体に流れる血ってびっくりするくらい赤い。
こんな強烈なエネルギーを感じる色は他にない、そんなのが紛れもなく自分の中に流れている、今も。それは死ぬまでずっと。

(まさに血の赤さから何かを感じて書いた記事↓)


自分の命の壮大さをまじまじと見つめたら、もう分からなくなった。

あなたの事をコントロールしようなんて軽率でしたって、自分の命に降参したくなった。

もっと大きな心地よい流れがある。
そう思えてから、生きるのが楽になった。
今は自分でコントロールしていても辿り着かないような新しい景色が見たくて仕方ない。

それは漏れなく全員に言えること。

自己責任論を否定しているとかそんな話ではなくて、自責でも他責でもない中間地点、ヒョイっと首を伸ばすと見える世界。そこに私たちの知り得ない何かがあるのだと思っている。

自分のちっぽけな頭では想像できないくらい、大きなゆったりとした心地良い流れがある。

それはずっと自分の横に漂っていて、
いつか、ある瞬間そこに入る。
そしたら一気にゆるまる。

過去のことなんてどうでも良いくらい今に夢中になってしまう。
その流れの行き着く先に何があるのか、そっちの方がよっぽど興味深い。

こんな話、別に信じられなくても良い。
これはあくまで私の中の真実であって、真実なんて人それぞれにあっていい。
自己責任論を以ってして自分を律することは大事だけど、それに囚われてしまうことでハマってしまう落とし穴があるように思う。

もし、そんな自分の頭ではコントロール出来ない何かがある事を信じられたら

もっと頭が良かったら、もっと勉強していれば、もしあそこに行っていれば、もしあの一言を言わなければ…なんてたらればは言えなくなるだろう。だって、今いる場所が最善だってわかるから。

今、自分のいる場所からいつだって始められるし、常にそれはそばにある。

あんまピンと来なくてもいいから、こういう考えもあること知ってもらえるだけでいい。

いつかもっと現実的にわかりやすく、こういう事を書いていきたいけど今はこんな程度にしか書けないや。笑

それでも自己責任論によって固められた小さな世界で苦しんでいる人に届いたら嬉しい。