写真で振り返る、夏の京都の記憶
朝晩と肌寒くなってきて、秋の風の心地よさを感じる頃。もうすっかり世間は秋へ秋へと向かっていて、夏のうだるような暑さが少し遠い記憶となってきた。あんなに夏の暑さが嫌いだったはずなのに、空気が秋めいているまさにいま、少し遠い夏の景色が恋しくなってきているのも事実だ。
あんなに暑さを嫌悪していたというのに、それがなくなったとたん、どこか懐かしい、いい思い出として記憶されるようになっている。まあ、いい思い出なのは事実なのだけど。恋人と別れた後、何年後かにいい思い出として美化された記憶がよみがえってくるかのようだ。
けど、実際に、いい思い出ばかりだ。涼しくなった空気のなかで振り返るからというのもあるかもしれないけれど、でもやっぱり、夏の晴れ渡る空は、いつだって忘れられない。
そんなことを考えていたら、なんだか無性に夏の思い出を振り返りたくなった。京都の街の、あの信じられないほどの熱気も、今ではもう、少し遠い日の愛おしい思い出だ。大好きな秋を迎える前に、京都での夏の思い出を、じっくりと味わってみよう。
日中は外を歩けやしない、ともどかしさを感じながら習慣にしていた、朝5時からの散歩。朝のほんの少し冷たい風と、まだ始まっていない朝の空気に愛おしさを感じていていた。
7月になれば、京都の街はすっかりと祇園祭の熱気に包まれて。毎日のようにけだるい夏の京都の暑さを感じながら、山鉾たちを眺めていた。青い空をバックに巡行するかっこいい山鉾たちは、私の夏の一番の思い出だ。
祇園祭が終わったと思えば、引越し。暑い暑い晴れた日に、ひとり暮らしからふたり暮らしへと、暮らしが変わった。暑いなかでの片付けや買い物は心が折れそうだったけれど、部屋の窓から見える夏空に癒やされていた。
夕方になると、ふいに目の前に見える景色が、オレンジ色に染まっていく日もあった。そんな日には、仕事や家事の手を止めてただひたすらに空の移り変わりをぼーっと眺める。そんな時間を愛していた。
京都の街中は蒸し風呂のように暑かったけれど、その合間にもたくさんのお寺や神社を巡った。目の前にとびこむ、青もみじだけの緑の景色。すっかりと見慣れてしまった緑の景色だけれど、あと1ヵ月もすれば赤く染まる紅葉の木々で埋め尽くされるんだ、という不思議を感じながら。大好きな緑の景色も、来年まで見納めだ。
こんな風に、振り返るとありとあらゆる夏の景色が脳内に再生される。あんなに「夏は嫌だ、秋よ早く来い」と思っていたというのに。夏の日々の記憶が、もうすでに愛おしくなっている。
ありきたりだけど、季節は巡る。じっくりとゆっくりと色や空の形、街の空気を変えながら。そんなそれぞれの景色に、できるだけたくさんの記憶を残していけたら、それだけで日々は鮮やかになる。
さあ、大好きな秋がやってくる。いや、もう確実に秋の気配は近づいてきている。ワクワク、というよりも、ひっそりと心の中で待ちわびている、あの空気。大好きな秋を大好きと思えるようにするために、私は夏のあのけだるい暑さも忘れないだろう。
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