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京都暮らしの夏の楽しみ方。祇園祭の過程を眺めてみる。

さて、今年も京都に7月がやってきた。7月の京都といえば、言わずもがな、「祇園祭」だ。7月になるとほぼ毎日のように祇園祭関連の行事が続くし、街全体が祇園祭仕様になっていく。

2年前、京都に仮移住しているときに初めて祇園祭を目にし、あっという間に虜になった。当時滞在していたゲストハウスが四条に近い場所だったので毎日のように街に繰り出して。京都の街が発する熱気や、果てしないほどの伝統や歴史を受け継いで今も続いている凄まじさ。街にさりげなくとも圧倒的な存在感で姿を見せる山鉾たちを見上げていると、京都が大好きな私でさえ、京都のことを何にも分かっていないな、と思ってしまう。

「京都で暮らせば、この熱気あふれる7月をずっとそばで感じられるのか」というワクワク感に背中を押されたのも、私が京都で暮らすようになった理由のひとつである。

なんだか、もう街を歩いているだけで楽しいのだ。今年は一層外国人観光客も多くなって人混みにはうんざりだけど、1年に一度くらい、このうんざりですら楽しんでみようと思うと、案外楽しいものである。

盛大に通行の邪魔をする山鉾
道路コーンに木のカバーがされているのが可愛らしい。

京都随一の繁華街・四条の大通りに、鉾が並ぶその姿。バスのルートは変わるし通行止めも増えるし、人々の日常に影響を与えまくっているのだけど、それすらも受け入れて、日常にじわりと祇園祭が馴染んでいく。これが1,000年以上も続いているのか!都会でもあり学生の街でもあり、人口が多い街のひとつなのに、こうやって突如、伝統や歴史を感じさせてくれることこそが、私が京都を好きな理由なのかもしれない。

組み立て途中があまりにも美しい

そして、祇園祭の魅力に取りつかれる私が特に惹かれるのは、完成までの過程、すなわち組み立ての途中だ。完成された美しい山鉾ももちろん綺麗なのだけど、装飾がされていない、組み立て最中にこそ、果てしない伝統を感じられる。それは人の職人技のたまもの。釘を一本も使わずに縄だけで組み立てていく「縄がらみ」という技法を間近で見ると、その縄一本ずつに意味があるように思えてくる。そんな過程を目の前で見られるのが、何よりも贅沢な祇園祭の楽しみ方なのではないか。

これが、私が「祇園祭には毎日でも通いたい」と思う理由だ。完成された形だけ見て終わりではなく、完成に至るまでの過程をもじっくりと眺めて、1,000年以上前の京都の街の姿に思いを馳せてみる。京都に暮らしているからこそ、できることを存分に満喫しているのである。

組み立てはじめの放下鉾。7/13の朝9時頃。
7/13の15時頃。わずか数時間で動く所まで完成するなんて。
7/14の15時頃。ちょうちんに灯りがともる。

毎日少しずつ完成までの過程をたどる、これは、京都暮らしならではの祇園祭の楽しみ方かもしれない。この過程をたどる楽しさを実感すると、私は今年も「京都に暮らしていてよかったな」としみじみと思う。

2年前から、私の夏の思い出は、祇園祭だらけになった。ジメジメと毎日雨が降り続ける天気、京都特有の蒸し暑さでさえも、京都の街で暮らす日々の記憶になっていくのだろう。そんな記憶ばかりを愛おしく思えることを、私は今から楽しみにしているんだ。

(祇園祭は本当にいろいろな行事や意味合いがあるので、毎日訪れても飽きません。最初は無理にでも↓のようなサイトで知識をインプットしてから訪れると、より一層楽しめると思います!)



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