【愛着障害】幼少期にみえる行動と実体験
今日も1日、おつかれさまです。
みさきの世界で、少しでも共感や安心を届けられますように。
今回は、愛着障害に関して、幼少期にみえる行動について紹介し、私の実体験についても、話していきます。
愛着障害のはじまり
愛着障害の原因としては、
幼少期に保護者との間で、何かしらの理由からうまく愛情の受け渡しができなかったことが
考えられているようです。
私の場合は、
幼い頃に弟が誕生した際、
弟の世話に誰もが集中したことで、
私への関心が誰からも向けられなかったこと。父の病気もあり、母のワンオペ育児のために、
実家に預けられることが多く、
余計に母との関わりがなくなっていたこと。
これらによって、愛情不足になっていた可能性が考えられます。
愛情や好きという気持ちがわからないのは、
私の発達障害という可能性も否定はできませんがね。
大人になったときに、幼少期の体験から
愛着障害の症状がみられます。
幼少期から、愛情不足による行動がみられることがあります。
子どもが愛情不足を感じていることを
察することができたら、
愛情の不足を補うことで、
将来的に、愛着障害を抱える可能性は、
減るかもしれませんね。
愛情不足を感じる子どもの行動と、私の実体験
では、愛情不足を感じる子どもの行動について、話していきます。
私の実体験も交えて、話していきますね。
話を聞いてもらおうとする
まず、子どもは、自分の話を聞いてもらおうとするようです。
「ねぇねぇ、聞いてよ」「聞いてるの?」など、自分の話を聞くようにしつこく話しかけます。
たくさん話しかけるのは、自分の話を聞いてほしいだけでなく、
自分に関心を向けてほしいのではないかと、考えられます。
実際に私も、
母を中心とした家族のみんなに対して、
「聞いてよ」「聞いてるの?」など、
たくさん話しかけて、こちらに注意を
引き付けようとしていました。
私の話を聞いてもらうことで、
中心になりたかったのです。
それでも、やはり、家族の中心は生まれたばかりの弟。
「前までは私の話を聞いてくれたのに、、」
「誰も私の話を聞かない」
「今は誰も私に興味がないんだな」
と、幼いながらに感じていました。
もしも、子どもが、たくさん話しかけてきて、
「聞いてよ」と言ってくるとしたら、
自分の話を聞いてほしいだけでなく、
興味をもってほしいというアピールの可能性があります。
そのときは、どんなに忙しいかはわかりますが、
子どもの話をちゃんと聞いて、
なるべくなら会話をしてほしいです。
忙しいから、
兄・姉なんだから、
と言ってしまうと、
子どもはさみしさの溝に
はまっていってしまうかもしれません。
その溝はとても深く、大人になってもなかなか抜け出せない溝になってしまいますよ。
わざと悪いことをしてしまう
だめだと言われたことをわざとする、
わざと悪いことをしてしまうことがあります。
これは、子どもが興味を引き付けるために
してしまう行動のようです。
子どもが悪いことをしたら、
親や大人に怒られます。
それを子どもは「親の関心が自分に向いたぞ」
と感じてしまいます。
ずっと自分に興味をもってほしい、
かまってほしいと思っていた
子どもにとって、
「悪いことをしたら、興味を引き付ける」
↓
「興味をひくために、悪いことをしよう」
という考え方を与えてしまうのです。
反抗期かとも思われますが、
単なる反抗ではなく、興味をひきたいから、
という裏側があるかもしれません。
実際に私も悪いことはたくさんしてきました。
はじめは、弟が寝ている布団の回りにおもちゃを並べたり、寝ている弟のために本を朗読したりしました。
当時の私にとっては、弟と遊んでいるつもりでしたが、
親からしたら、おもちゃは邪魔だし、私の声で弟が起きてしまう可能性があります。
親はひやひやしていたのか、
かなり怒られました。
弟に近づいたら、私にも興味をもってくれるのかと、思った私は、
弟に小さないたずらを繰り返しました。
そして、完全に怒られたことで、
弟に近づくこともできなくなります。
ますます私は、疎外感を感じていました。
この頃から、私のさみしさの原因は、
弟にあるんだと思い始めます。
当時、弟が嫌いだと感じたこともありました。
誰からも相手にされず、さみしすぎて、耐えられなかったからです。
ある日、私は弟に怪我をさせてしまいました。
ちょっといたずらをしたつもりが、
怪我をさせてしまったのです。
そのときに感じた、後悔。
あのときの光景を、今はあまり覚えていませんが、あの後悔だけは今でも残っています。
もう、弟にいたずらはやめよう。
そう感じた瞬間でした。
それからの私は、
悪いことではない方法で、親の気を引こうとしますが、
詳しくは後程、話をしますね。
ちなみに、今は弟のこと嫌いじゃないです。
むしろ、とても好きです。
家族のなかで1番信頼しているくらいには、とても好きですよ。
無意識に癖がみられる
関心を向けてほしい、さみしさを感じると、
子どもは無意識に癖がみられるようです。
爪を噛んだり、指を噛んだり、他にも個人ごとに癖はみられるでしょう。
今まで爪を噛んでいなかったのに、
急に爪を噛んでいる。
なんて変化があったら、愛情不足のサインかもしれません。
ただ「やめなさい」「みっともない」
などと叱るだけでは、逆効果だといえます。
親の気を引くことに成功しているんですからね。
そのまま癖を続けることで、
親の気を引こうとしてしまいます。
子どもの話を聞いたり、一緒に過ごす時間を作ったり、そういったことが必要でしょう。
それだけでは癖がなおらないようなら、
原因は他にあるかもしれません。
癖をなおすために、いろいろな協力を得るのもありだと思います。
私はまさに、爪を噛んでしまう癖がありました。
無意識に噛んでしまい、
はっと気づいてやめますが、
傷ついた爪が布などに引っ掛かり、
割れてしまうことが多々ありましたね。
現在は意識して、爪を噛まないようにしていますが、
高頻度で布などに引っ掛かり、割れてしまうことが多いです。
昔、爪を噛んでいたせいか、
爪の先の白い部分が広く、余計に割れやすくなっているのかもしれません。
きれいな爪に憧れますね。
幼少期のうちに、そういった癖をなおしたい
と考えるものです。
ただ、その裏側には、さみしさといった心理的な原因もあるかもしれません。
むやみに叱るよりも、優しく話す時間を作ることで、改善される可能性もありますね。
親以外の誰かに甘えはじめる
親との関係がうまくいかないなど、
親からの愛情の不足を感じる子どもは、
親以外の誰かに甘えはじめるようです。
たとえば、保育園に通っている子どもなら、
親以上に保育士さんに甘える
ということも、あり得るのだとか。
それなら、親に甘えられないから、
祖父母に甘える、というケースも考えられますね。
祖父母は孫に優しすぎますし、
下の子の面倒をみたり、仕事で家を空けたりする場合は、祖父母との時間が長くなるから、
甘えるのも無理はないです。
家ではそんなに甘えん坊じゃないのに、
他所だと甘えん坊になるというとですね。
私も、弟が生まれる際、母が病院に行く時や
弟の面倒を見ているときなど、
度々、祖父母の家に預けられていました。
そんな私が甘えていたのは、
母の妹でした。
私にとっては、叔母にあたる存在ですね。
姉がほしかった私は、叔母のことを「お姉ちゃん」と呼んでいました。
年齢的には20歳ほど離れていたので、
お姉ちゃんにしては年の差がありますね、、
私は叔母に甘えていました。
叔母は当時、結婚しておらず、
実家である祖父母の家に住んでいました。
叔母がいたから、祖父母の家に預けられても、
苦ではありませんでした。
祖父母の家に泊まる際は、
叔母と一緒に寝ていましたし、
とりあえず、一緒に遊んでいました。
叔母は仕事をしていて家にいないことが多かったですが、
帰ってくるのがとても楽しみでした。
残業をしていて帰りが遅いとき、
叔母が帰るまで寝ない、一緒に寝るんだ
と泣きわめいていたことで、
叔母に甘えていたことを自覚しました。
そんな叔母も現在は結婚し、
自分の子どもを育てています。
叔母の結婚は、私にとってショックでした。
実家を離れることもそうですが、
結婚によって、私が甘えることができなくなる
ことが、悲しかったです。
幼いながらに、心に穴が空いた感覚を実感しました。
ほんとにつらかったです。
現在では、自分の愛着障害を自覚したため、
あのときに感じたむなしさを理解しています。
今では、あまり大きな傷ではありません。
叔母の子どももかわいくて、
私にとっては、兄弟のような存在です。
みんな幸せになってほしいな。
私が叔母に甘えていたように、
親からの愛情が不足すると、
それを満たすために、親以上に甘えるようになります。
家ではそんなことないのに、
他所だと甘えん坊になるといった場合は、
少し子どもに注目した方がいいかもしれません。
悪いことをしたり、わがままをいったりして
興味を引こうとしている子どもの場合は、
他所で甘えん坊になっていても、
家でも十分に甘えていると、
感じられてしまうかもしれません。
このような周期にはいると、
子どもの愛情不足に気づきにくいでしょう。
気のせいかなと思っても、
愛情不足ではないと思っても、
意識的に子どもと接することで変化があるかもしれませんね。
ほめられることをして、気を引こうとする
悪いことをしてきて、
弟にいたずらを繰り返してきた私ですが、
弟の怪我以降、
悪いことではない方法で、
親の気を引こうとしてきました。
それが、
ほめられることで、気を引こうということです。
悪いことやわがままで、親の気を引こうとしても、
そのせいで誰かに傷をつけてしまった
経験は、つらいものでした。
ほめられることでも、
親の気を引けることに気づきました。
当時の私は、
幼いながらに、ひらがなを学習し、
ふりがながしっかりついている子供用の絵本は
1人でも読めるようになっていました。
※3歳から4歳くらいの話なので、
ひらがなを覚える年齢としては早いとも遅いともなんともいえない年齢ですね。
弟が生まれる前は、
親が読んでくれた絵本でしたが、
弟が生まれてからは、
読んでくれる時間がなく、
自分で読めるようにならなくてはいけませんでした。
そこで、ひらがなの書いてあるボードや
親が私の暇をうめるためになんとなく見せていた幼児用教材を活用し、
ひらがなを読めるようになります。
1人で絵本が読めるようになった私は、
絵本を読んでもらうために、親の手を掛けることがなくなり、
ひらがなが読めるんだねと、
ほめられました。
このほめられた経験から、
ほめられることで、親の気が引けることを
学びます。
その頃、
祖父母の家に行ったら、祖母が数字や漢字を
教えてくれていました。
自分の名前の書き方などを覚えて、
母のもとに帰り、自慢して、
ほめられる。
これが習慣になっていました。
ほめられることで気を引くことは、
小学生になっても、大人になっても、
現在でも続いています。
大人になって感じること
なるべく怒られないように行動して、
ほめられるように頑張る。
私が頑張ったことは、ほめられることが
ゴールでした。
だからこそ、今は何のために、何を頑張ればいいのか、わかりません。
大人になったとたん、次の目標がなくなり、
何も頑張れなくなりました。
私は空っぽなんだなと感じることで、
愛着障害をひどくしていました。
そんななかで、愛着障害を自覚します。
今の私は、愛着障害を自覚し、
今までなんでこんなことをしてしまったのか、
なぜ苦しんでいたのか、
じかくしはじめています。
みさきの世界は、
文字通り、私の世界です。
私の感じてきたことを発信することで、
同じように苦しんでいる人にも、
共感や安心を届けたいと思っています。
今の私は、共感や安心を届けることで、
傷を癒したい。
究極、世界平和が目標です。
ここまで、読んでいただき、
ありがとうございます。
これからも、みさきの世界をよろしくお願いします。
みさき