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はじめまして 岬@野次馬

自己紹介 と 海外でのこれまで と これからと(どうなるか全くわからない)

 カクヨムの民、 noteへ 「るろうの旅」

 はじめまして。岬です。カクヨムから来ました。こりゃあ、noteの方が使い勝手がいいですね。カクヨムはなぜ写真が投稿できない? と、常にストレスを感じてましたからね。カクヨムは文字ばかりだから良いのだ、という意見もありつつ、息が詰まる感じはあった。noteに乗り換える人が多いのも納得です。画像だけじゃなく、動画も可能、操作性も良い、初めて来て、こんなにサクサクわかりやすいとは。完敗ですね、カクヨム、やべぇ。noteに乗り換える人が多いわけだ!

 ここでは、カクヨムでは叶わなかった写真や動画投稿、それと有料ページが作れるってことで、もっと突っ込んだ「雑談w」をしていこうと考えています。日々のお金が必要なので、こんな文章で有料? とおっしゃるご意見など意に介せず、課金ページにしますね。そのためにnoteに来たのでよろしくお願いします。

 それにしても写真が大きい。こんなに大きくなくとも良いんですが、たまたま「名前入り写真」がこれしか手元になかったので。でも、もうすぐヘッダーは小さくなるらしいですね。(2020年6月15日です、今)

 顔出し大丈夫?  何してる人?


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 顔写真も大きいと、指名手配犯のポスターのようだww 草を生やすな、社会人失格、と言われようが、勝手に生えますよね? あれやこれや、細かなルールがあってうるさい「道徳的観念の押し付け」がすごい日本。集団の自主規制的プレッシャーがもの凄いです。青信号は右手をあげましょう、というような感じの自主ルールが「公共の場はマスク着用で!」と、他国に比べ、その自主規制が幸いにもコロナの封じ込めに功を奏したようなので、素晴らしいとも言えますが。

 画像サイズが二種類だけしか選択できないのは「すっきりした構成」を無理やりに、誰が記事書こうが、同じように作れるように、なんでしょうね。note、ユーザーへの教育度合いが凄い。

 実は最近、俺、「主義」を変えたんですよ。顔写真ネットに載せるとか、正気の沙汰じゃないはずなんだけど。実はひっそりとネットの片隅で「ストーカー対策」なんかをアドバイスしたりしてきました。ボランティア感覚の「よろず相談所」みたいな感じです。海外は時差があって、それが、日本の真夜中にお悩みの方には、レスポンスが早くてちょうど良かったらしいです。

 日本に来て驚いたのは「生意気」と言われまくることです。海外の感覚で、普通に日本語を操ると、そうなるらしいです。日本人は謙虚じゃないといけないらしい。袋叩きです。俺の目から見たら「何で日本では男がみんな自信なげなんだろう?」。気のせいじゃないですよね? この間、東京で会った友人や先輩は、相変わらず勝気だったけど。

 日本人女性は大人しく可愛いです。たいていの人は。自分の好みは……

賢くて大人しい優しい感じの人が好きで、足をスツールに投げ出し、眼鏡のツルを噛みながら、旦那にお茶を入れさせたり、顎で使うようなフランス人女性とか結構「生理的にダメ」でした。そういう「コケティッシュ」な雰囲気が許されるのは、24歳までじゃないでしょうか。特に外国人はあっという間に、若い年齢での美貌(見た目という意味です)が失われる。あとは中身で勝負でしょうが、声を大にして言いたいのは「あからさまな駆け引き」は不毛。フランス人女性にはそういうメッセージを送りたいと思います。子どもの俺に言われたくねえ? また、こんなことを書くと、炎上したり、フェミニストから差別的発言と、袋叩きに遭うかもしれません。女性に年齢とは失礼千万だと。いや、猫でも年取りますよね。眼鏡のツルを噛む女性って結構見かけましたが、あれって50’Sかなんかの、流行りのポーズかなんかですか? こうすると、ロマンティックな恋の駆け引きをする女に見える、みたいな教科書でもあったのか? というような違和感を感じましたね。デザートの後なんて、皆似たような格好するから。

 若くて気の利かない女と、年上でも優しく、思いやりのある女だと、そりゃあ後者でしょう。でも一応俺にはそれ、あんまり関係ない話題です。修行中の身なので。(苦笑) ……何の修行だよ。いや、今のところ、ネットしか出会いないから、良かった。いや、Joshinで、横田さんには出会ったな。横田さんのマスク取った顔が見たいな。(笑)

 仕事募集中@できれば自宅警備しながらできるもの

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 話は日本人に戻ります。俺の日本語、たどたどしい、とよく指摘されますが、申し訳ないですね。海外の視点で日本の方を見ると、驚くくらい「繊細にお悩み」の方が多かったです。「初恋の人探します」みたいな調査依頼とかも受けてます。(……受けてました。過去形にします。)調査はネット上だけなので、断ることも多いんです。理由によってはね……。決して何でも引き受けるわけじゃないです。むしろ、断る方が多いくらい。国際電話案件も多かった。今は日本にいるから受けられないです。日本は国際電話無料のサービスないですから。(アプリ以外はね)

 あと、「ネーミング」・「コピーライティング」みたいなのもやってますよ。社会学部卒、マスコミ副専攻だったので。どなたか仕事回してください。このままじゃ干上がってしまふ。冗談じゃなくて。面接前日に熱出て、そのままです。まさかコロナだったのかな。4ヶ月くらい調子が良くなくて、ずっと微熱もあったし、家から(念のため)出なかったです。人騒がせな俺。

 まあ、こんな感じで、やってることといえば、まったく食えない、仕事とはとても呼べない「単なる密かな趣味」みたいな感じ。その他、文章書いたり、看板描いたり、作品作ったり、子どもに勉強教えたり、大人に日本語教えたり、結構、何でもやりますよ。一眼レフを向こうにうっかり置いて来ちゃったんで、写真は撮れないけど。「何でもやりますw」って人は「何もできない」かもしれず、日本だし、自由に何でも挑戦中です。語学は苦手です。致命的。

 一番最近は「とりあえず壊す」バイトで、まずかったです。小さなプラスチックの箱とか(分電盤というのか?)解体で、倉庫で黙々と、力任せに廃棄用に壊してたんですが、ガンガン、何も考えず調子よく壊して、ペンチとか工具のせいで指に青痣が一ヶ月以上経ってから、真っ黒に浮き上がって来た。1日だけの作業で良かった。呪われたような黒い痣が突然出てくるとか、ホラー以外の何物でもないし。

 基本、生き方は「暇にしている遠山の金さん」みたいな感じが理想です。「冴羽獠」とか「こち亀」の皆さんとか。(誰だよ、それ。「少年ジャンプ」か。昭和だなあ。金さんて。昭和でさえないぞ。)

「今日から俺は!」の「三橋」とかもキャラちょっとかぶります。でも俺はグレたことはないし、半グレでさえもない、至って普通の方。あそこまで凶暴じゃないので、「伊藤」の方に近いかもしれないです。日本に普通はいないため、日本のアニメやテレビは海外輸出されてるものが中心です。でも、「サンデー」も「マガジン」も「スピリッツ」も成り行きでずっと読んでましたね。目の前にあるものは「何でも読むモード」なので。「他人の本棚、勝手に読破」とかを趣味にする子どもでした。

 海外で元気な日本アニメ

 「北斗の拳」とか、外国人と情報共有する不思議は筆舌に尽くし難い。「ワンピース」や「ドラゴンボール」、「フルーツバスケット」、「黒執事」から、「マスターキートン」までありとあらゆる漫画が海外に輸出されてますよ。「ペリリュー」も。「セーラムーン」とか言うに及びません。「松本零士」先生の評価とか、日本では案外、低い気がします。まだご存命なんですよね、こんなこと書くのも緊張します。とんでもないこと書いた?

 「銀河鉄道999」より、「キャプテン・ハーロック」の方がフランスでは知名度が高い。フランスではハーロックのことを「アルバトール」と言います。また「ルパン三世」はイタリアでファンサイト、「シティハンター」はフランスで実写化されてるくらい人気。日本では許される表現が、海外ではダメなものがあり、意識の違いがはっきり出てますね。日本はいろんな面で規制が緩いとか、ある。食品とか、薬とかも遅れていますね。海外では使われなくなったものがまだ販売されているとか。

 「キャプテン・ハーロック」って、自分はリアルタイムで知らないけど、海外だとすごいクールなアニメ。日本のアニメって本当にすごいです。海外でアニメーターやってた人の家で、「桂正和」先生の作品を見かけました。「世界で共有できる感性」だったんだな、やはり、と。いや、多くは語りません。どのあたりの良さが世界共通なのか、とか(笑)。神です。まさに。右に出る者はいない……。

 言っときますが、別に自分は特別に漫画好きじゃないです。たまたま環境にあれば読んでいた、観ていただけです。「グレンダイザー」って知ってますか? 日本で知ってる人はいないんじゃないかな。自分も知らなかった。未だに現役で海外でアニメ放映している。あまりにもデザインが斬新で驚きました。版権の関係で一度買ったら、ずっと放映できるのかな?「ベルサイユのばら」とかも、やってましたね。本場で違和感ないって、すごいです。しかも「オスカル・フランソワ」は架空の人物。池田先生は前世フランス人だったのか? と思わず思うほどですね。「風と木の詩」は実は全くよく知らないけれど、海外でそこにあった漫画をチラ見したら、何かすごい。どうやって下調べしたんだろう。寄宿舎とか。正直、漫画は想像力を奪うから、害悪だという考え方はあるけれど、想像力が育った後なら、良いのでは?

 じーちゃんみたいなセリフに違和感ありますが、脳の回路って「短縮url」ばかり利用させると、「長いアドレスを打ち込むことが不可になる」に近いですね。そういう意味で、海外では「インターネットを幼い子供にできるだけ利用させない」流れがありました。中学生であっても。それと同じロジックで、漫画が想像力を奪う可能性はありますが、「視覚化された知識」って、刷り込まれやすいですね。小説とかの「文字情報」は印象を残して、すぐに忘れがちになるというのに。

 日本では見かけないアニメが海外で毎日やってるとか感動ですね。怪獣系や変身系のアニメの怪獣デザインも凄いですよね。日本に住んでいるとアニメの聖地。「けいおん」とかで出てくる日本の某場所とか、石碑とか建てたら?  と思いますけどね。

 ポケモンなんて、ポケモンは世界を救うんじゃないだろうか。ポケモンGOでたむろってる外国人を見て、真面目にそう思いました。みんな熱心にやっていた。脱線しましたね。なぜアニメの話になったんだろう。「日本の良さ」とか「日本の売り」の話かな。

 当たり前ですが、宮崎駿監督とか、神みたいに崇められてる感じですね。ちっちゃい子を持つ親御さんとか、目をハートマークにそれぞれのキャラを信奉している気配があり、国境を超えた素晴らしいクリエーションというのは、いやはや、本当に胸を打ちます。日本から出て初めて、真剣に日本政府が「日本の売りはアニメ・漫画だ!!」なんて言う理由がわかるというもの。最近の作家さんもすごい。「巫女の口噛み酒」とか、海外でその描写を見ると、仰け反ります。日本の最近のアニメや邦画をたまたま見たりしたら、思わず不安に陥るくらいに異国で。今、帰って来て、しばらく日本にいて、最初「日本では家屋に入るのに靴を脱がねばならない」、そんな日本人としては当たり前なことさえ、自分は微妙に自信ない、と感じたりしてました。もし万が一、段差がない場所だと、そのまま土足で上がってしまいそうだ。日本でごく当たり前のことも、世界では、当たり前じゃないことが一杯あるんですよ。

 実は、こんな日本のアニメは案外と多く模倣されていて、隣国とかの作品が棚に混ざってるのとか、K-POPの頑張り具合を目の当たりにしたら(まだ漫画・アニメはそんなに押されてはいない。電化製品に比べたら。アイドルは負けてるかも。隣国製のテレビは隣国のアイドルの画像を売り場で流すから。)、「日本、もっと頑張れ!」と思わずにいられないですね。何もしてない俺が外野から「頑張れ!」なんて言うのも、なんですけどね。社会学的には、そういう「浮遊の層」というのは、必ずどんな社会にも生じます。そして、必死に働く働きバチが何かの原因でザバッと死んだら、そういう蜂が、代替みたいに戦力に戻って働いてます。社会というのはそもそも、そういうふうなものらしい。「怠け者の節句働き」みたいな感じですね。他の人が働かなくなったら、遊んでいたグループが、戦線に戻るというやつです。

 日本の漫画の模倣、すごい。日本のものかと間違えたこともある。ただ、文化的な違いが作品に出てることが多いですね。海外から見ると、各国の文化、慣習の違いって、かなりクリアにくっきり違いが浮き上がって見える。同じアジアでも。まあ、住めば都、どの国も「一長一短」あるでしょうね。

 海外にいたら、自然に日本の立ち位置が見えてくるから、どうしても応援しないとまずい戦局に見える。日本人はすっかり骨抜きになった、と。なんというか、自分も含めて残念なことなので、もうちょっと頑張りたいところです。

 海外時間で生きるということ

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 自分は「忙しくて」とか、人に言い訳を言わなきゃいけない状態は、必死過ぎると感じ、性に合わないです。逆に「いつも暇そうだね」と思われたい。そんなこと実現できるのか、謎だったけれど、結局、実現していたので、人生ってそういうものかもしれない。「求めよ、さらば与えられん」というやつですね。振り返ると、そうでした。かといって、良いことばかりじゃなかったことは確かですね(苦笑)。物事には「振り幅」がある。「人生楽ありゃ苦もあるさ」なんて、歌にもなってるあのことわざ、誰が考えだしたのか、知りませんが。

 「忙しい」ことを美徳にする傾向は「リア充アピール」的にSNSの台頭で流行った。不思議なんですが「優越感を感じたい」、「羨ましがらせたい」心理なんだろうか? 世界的にSNSでリアルタイムに自分の写真を発信、どこにいて何をしているのか、アップロードしたり、つぶやいたりすることで、世界は確実に変わった。自分は比較的興味がなかったのは「何故にこれ以上、人と競争する必要がある?」と感じていたせいかもしれない。

 美味しそうなお店や、珍しいプロダクツ、高級で上質な商品、友人の行く思いがけない旅行先、綺麗な風景などを見ることは楽しくとも、そこに競争は要らない。だから、滅多にリアル友人のいるSNSを利用せず、ネット徘徊を続けていた。でもそれは真逆に、日本の情報から、状況から取り残されることにも繋がったし、海外の友人の最新情報から微妙に取り残された。まさに一長一短です。

 自分がめちゃくちゃに忙しかった時期、スケジュールを無茶な詰め具合にして、先のアポイントの人と、後のアポイントの人が重なるように予定を入れて「時間を節約」することがありました。今の日本の感覚だと「失礼なやつ」となるんだろうか。友人、知人同士の紹介を兼ねる。だから自分の友人は皆、たいてい「顔くらいは見知った感じ」になる。今の中国人がたまにそういうことをしている。「生身の何気ない情報交換」って、すごく重要ですよね。フランス人、イタリア人なんかも、文化的にそういう時間がある。日本人とはちょっと違う。そのことについても、今、日本に来て半年経って、微妙に戸惑いがある。やっと日本に慣れたけど、ずっと果たして住み続けられるかな、と。これが「根無し草」ってやつなら、かなりまずいですね。実のところ、どこにも所属しない状態な気がする。

 日本に一時帰国で帰って来て忙しくて、新幹線で移動してて、在来線で45分を新幹線なら早いだろうと、何となく使って、時間短縮できず、怒られたことがあります。せっかく切符持ってたから、使いたかった。飛行機をタクシーがわりに使っていた時期もあり、被爆が気になりました。あんまり頻繁に乗ったらダメですよね。フライトアテンダントの友人は何人かいて、だいたいどれくらいの頻度で乗っているのか、参考にしました。すごいキツい体力仕事ですよね、フライトアテンダント。現地で長居できないけど、バカンスでいろんなところにいけるのはいい。そんなふうに海外にいても、日本と繋がり続ける仕事をしてる人はまだ良いですよ、きっと。そんな気がする。

 たまたま友人が乗り合わせてて、国際線のコックピットに招待されたことあります。自動操縦で優雅そうだった。飛行機が落ちる責任を鑑みて、その重圧、責任を思うと、パイロットの給料は比例して高くあるべきですね。今の自分の場合、「無責任を絵に描いた状態」。いやはや「どう生きるか」というのは「どう生きたいか、どうありたいのか」という選択と思いましたね。

 危険な海外に出た理由

 日本を出たのは「みんなが必死に自転車操業」の国だから。とにかく、日本が息苦しかったんですよね。チャンスもなかったし。海外で一旗上げてやろう、と。でも、命あっての物種でしたね。「悪運だけは強い」というのがよくわかりました。結局、危なそうな目に遭いそうで、結局いつも、良いポジションに置いてもらえてる感じで。これは「感謝」しないといけない気がしますね。それくらい、何というか、「すり抜けてばかり」でした。

 でも、もう今、日本に一年くらいは多分いることになるので、「身の振り方」を考えているところです。コロナって、すごいですね。世界を変えてしまった。自分は、今の日本、とてもこんな場所で普通に生きていける気がしない。清貧を絵に描くような感じに型に嵌められつつある国になってる。すごいですね、かなり無理矢理に強制される感があるのに、誰もそのことについて意識してないっていうのが。自分には違和感がありありなんだけど。

 日本の皆さんは優しい、それはポテンシャルだけれど、必死に生きないと生きられない国って、発展途上国です。そのガス抜きのために、もっと発展途上な国を見ろ、と言われてるみたいで抵抗ある。アジアで井戸を掘ってきた大学生とかに、家に普通にプールがある欧米は贅沢すぎる、と怒られたり。確かにそうなんだけど、いつまでたっても、この世界の不均衡が是正されないのを見ると、逆に「そういう設定の『ゲーム地球号』」なんだろうか、と思ったりする。良いとか悪いとかでなく、結局、「全ては魂の修行のためのゲーム設定にすぎない」という考え方で生きてます。だから、成功とか、地位とか、名誉とかあまり興味ない。あまり自分の意見を言うと怒られる。「地を這えよ!泥を啜って生きろよ!!」と各方面から罵られる半年でした。(ごもっともです)

 「仏のような日本人」が住む「地獄のような社会」の日本

 日本は普通に生きてると、自然とそんなふうに流れて行く恐ろしい国の気がしますね。これは案外、真実を突いているかもしれない。だから、ギリギリに追い詰められて日本を出た。パタンとちょっとでも休めば倒れる自転車を必死で漕がなきゃならない未来の閉塞感に耐えきれず。選択肢があってしかるべきと思うのに、選択肢がない状態。海外に出て確信しました。日本は物質的に恵まれているけれど、ストレスない便利な先進国のはずなのに、ごく普通に人間らしく生きていくには厳しすぎる国だと。アジアやアフリカとは違うのに、なぜそうなのか、今はその答え、知ってますけどね。言えない。

 日本に戻って来たけれど、これから地獄が始まるのかもしれず、NHKの朝ドラを見ても、このノスタルジックな感じは、国民の洗脳に使われてるのかもしれないな、と思ったり。まあ、既に死んでるような俺なので、何でもいいですけどね。とりあえず、日々、身を張ったボランティア状態で思考しています。海外でごく普通のことが、日本では有効でない。ごく普通に意見を言っただけで、生意気だと言うことになる。ディベートってアイデアが日本にはないらしく、必ず感情的な結末を迎えるので、ズバリ言えない。俺は言うけど、だから雇ってもらえない気がする。「雇って」と日本で言うと、驚くことに未だ「滅私奉公」みたいな空気ありますね。システムをよくするために普通に意見言うことがまるで「反逆」、意味不明です。

 今の俺の特殊な立場ですが、何でこんな羽目になったのかは、いろんなところで書き散らかしてる。迷惑かけるわけにいかず、書くと言っても結構、フェイクを入れざるを得ない。noteに書くことで、発見される率が上がってしまうけれど、時々、「自分の知ってる人に似ている」と問い合わせがあります。(実際はたいてい別人です。)顔出ししても、世界中に「俺のことをちゃんと知っている人」はいません。その確信があるから、なんつーか、普通に思ったことを書いてみました。天涯孤独って寂しくない?と言われたら、それが普通だと思ってきたから、何ともないですね。

その2に続きます。


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