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1月10日 『同志少女よ、敵を撃て!』を聴いて

 毎日朝起きて部屋を暖める時間に聴いていた、『同志少女よ、敵を撃て!』を全て聴き終えたので感想を書こうと思う。ストーリーについての感想というよりは、私がこの小説を聴いて考えたこと、思ったことを綴るのでネタバレなどはない。また、例によって作品の紹介自体も私は話をまとめるのが至極苦手なのでやらない。

 まず、私がこの本を選んだのは今の国家情勢とふと重ね合わせて読んでみたいと思ったからだ。私は過度な刺激により、うつ状態やパニック発作が起きないように普段はニュースを見ないようにしている。心の準備なく入ってくる悲惨な事件や事故のニュースが入ってくると、「私が犯人になったかもしれない」「なぜ被害者は善良な市民で、罪深き私ではなかったのか」と簡単に心が壊れてしまうからだ。

 それでもこの小説を読んで、そしてその感想を書きたいと思ったのは、ニュースにも詳しくない、教養があるわけでもない、精神疾患を持ってる私がそれでも私から考える戦争について書くことは私にとって必要だと感じたからだ。うまく回らない頭で、そして何にも気を配れないので私の文章で不快に思ったり、怒りを感じる人もいるかもしれない。それでも書きたい。そしてそのような気持ちになってしまったらごめんなさい。

 戦争と人の心は密接に関わり合っていると思う。私の心は、毎日コップのギリギリのところでなんとか保たれている。心を乱されるようなことがあると、そこから簡単に水が溢れ出し、どうしようもなくなる。ああ、人はこういう時に犯罪を犯してしまうことがあるんだろうなと思う時もあり、どうしようもなく自暴自棄に似たような諦めのような感覚で心がいっぱいになる。そして自傷や自殺未遂で済めばいいが、人に危害を与えそうになることもある。精一杯、それだけは避けるように心と体とものを保っている。保ちきれてないけど、なんとかそこの一線は越えないように全身全霊をかけている。

 国と国の関係はとても複雑だ。政治、宗教、思想、文化、お金数えきれないくらいのことが混ざり合っていつ何が起きてもおかしくないくらいピンと張っているように思える。それこそ、コロナウイルスが全世界に蔓延して大きな影響を及ぼしたように、私の心と同じように「何か」が入ることによってその関係がコップから水が溢れることがあり、それが戦争につながることもあるのかもしれないと考えた。国はそこに住む人によってできているものだから、その人たちの心のコップが溢れてしまったら戦争が起きてしまうのかもしれない。いつもギリギリのところで止まっている水も、何かの衝撃があれば耐えられたり、耐えられなかったりするのかもしれない。

 耐えられる時は、私がそうであるように、周りの人たちにうまく支えられている時、自分で自分をなんとかコントロールし直せる時、偶然にも幸運が重なって状況が良くなった時だろう。そうでない場合は、水が溢れ出て、国の首が締まり、自傷で済めばいいが、他国へその暴力を振るうことも起きてしまうかもしれない。これが、私が考えた戦争と人(私の)の心との関係だ。当たり前のように感じる人もいれば、それは間違っているという人もいるかもしれない。でも、正しいか正しくないかは関係なくて、私の考えをただ書きたいだけだ。

 小説の中で、女性という性に焦点が当てられているところが多い。タイトルも、同志少女よ、と入ってるので意図的に書きたいところなのだろう。主人公セラフィマから見える世界を追体験できて素晴らしく、とても心が動かされる小説だ。

 小説の中で、女性が敵兵士に乱暴される描写がある。私は自分の受けた性暴力を思い出して、フラッシュバックし、本当につらくなった。性暴力を受けた人はそれを口に出せないとも描写されていた。本当にその通りだ。私は幼くその行為が性暴力だと気づかないでただただ不快に感じていた時のこともあれば、成長して性暴力を受けた時に感じた屈辱、ただただ死にたいという思いでいっぱいになったことを思い出した。そしてその話をこの10年以上も誰にも相談できずにいた。今この文章を書いているだけでも涙が止まらなくなる、手が震える、体が死にたいと叫ぶ。性暴力を受けたことも大変つらい体験だけれども、それを語るのはそれを追体験し、自分の心をズタズタにするようだから口に出せず、相談できないのだ。だから「性暴力を受けた人はそれを口に出せない」という言葉に共鳴し、ただただ受け入れるだけだった。前に述べたように素晴らしい小説心が不安定な時は、読むのをお勧めできない小説だと思った。まとまりがないが感想文は以上だ。辛かったけど自分の言葉で書けてよかった。考えられることができてよかった。この小説に出会えてよかった。

 ここからはいつもの日記。
 今日は23時に寝て、3時に起きた。中途覚醒は1時に一回だけあっただけ。最近のと比べると、睡眠時間は少し足りないものの、まだましになっていた。起きた感じも、少しぼんやりはするけど、昨日のようにどうしようもなく眠くて何もできないという状態ではない。

 『同志少女よ、敵を撃て!』を聴きながら、部屋が暖まるのをまつ。空腹をいったん我慢して、今日はヨガができそうだったので、60分ヨガをゆったりとやった。適度に伸ばされる体が気持ちいい。本当は毎日やりたい。

 ヨガを終えた後は、お楽しみの朝食だ。今日はシチュー、パン、バナナ、プロテインバー、コーヒーをいただいた。シチューは彼が昨日作ってくれたもので、シャケ入りでおいしかった。ほっこりする味だった。ここで、これ以上食べたい気持ちが湧いてきたが、「私はもう満腹だ」と何回も心の中で唱えていたらいつものように無茶な食べ方はしなかった。また、何年かぶりにあすけんのアプリを使って、カロリーのコントロールをしはじめた。ダイエットのはじまりはじまり。

 今日も眠気がひどく、11時頃までは眠っては起きての繰り返しでつらかった。そこからはなんとか起きて、早めのお昼を食べることにした。お昼ご飯はカレーライスとホット牛乳青汁だ。おいしかった。

 昨日、うっかり手を滑らせてコーヒーを毛布と着る毛布にこぼしてしまったので、初めてコインランドリーを利用することになった。よく説明を読まずに1番大きな洗濯機に入れてしまったが、そんなに多くなかったため、ワンランク下のものにすればよかったと今後悔しながら記事を書いている。よく読まないでやってしまうのは私の悪い癖だ。治したい。

 コインランドリーで待っている時間に、社労士さんからいただいた資料への書き込みをする。自分のことを書くのはnoteで普段やるようになってたから、多少は上手く書けているのかもしれない。でも、思い出せない感じが多くてスマホの変換で何回も確認して書く。そしてとても疲れる。面談まで、少しずつ埋めていこう。

 家へ帰ったら、とてつもない痛みの頭痛に襲われた。偏頭痛予防の薬は毎日飲んでいるが、今日はそれと合わせてカロナールを飲んだ。カロナールは効いてるか効いてないからよくわからないけど、気休めにいつも飲んでる。早く治りますように。スマホの画面を見るのも辛いのでとにかく休む。薬を飲んで1時間ほど寝た。

 起きたら頭の痛さは多少はよくなっていた。気持ちが落ちている。涙がなぜか止まらない。つらい。つらい。つらいで頭がいっぱいになる。やはり面談用のシートを書くために振り返ったのが効いているのだろう。私はまだ心にかさぶたがある状態。少し引っ剥がしてしまったようだ。落ち着いて。大丈夫。このお家には誰も危害を加える人はいない。そこにいるだけでいい。何もできなくても存在していても大丈夫。ゆっくり深呼吸をする。「温泉」をイメージする。カウンセリングでやっているみたいに繰り返し自分を労る言葉をかけ続ける。つらくてもいい。受け止めよう。

 しばらくすると薬の手助けもあってお風呂に入れるまで落ち着いた。スキンケアや髪の毛を乾かすのもできた。そして、『同志少女よ、敵を撃て!』の感想文も書くことができた。よくやった。よく今日という1日を生きた。少しメンタルヘルスマネジメント検定と英語の勉強をしたら寝よう。おやすみなさい。がんばったね。

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