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おかしぞうし(お菓子草子)

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忘れられないお菓子にまつわる思い出をまとめたエッセイです。
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#エッセイ

プリンと、卵と、おつかいと。

プリンと、卵と、おつかいと。

コロナウィルスのワクチン接種2回目が終わった。

聞き及んでいたとおり、2回目後の副反応はそれなりに辛いもので発熱が続き食事も喉を通らない。それでもまだ私はましなほうで、妻は3日会社を休み、その後もどことなく元気がない。副反応の症状は女性が強く出るらしく、抵抗力が弱ったせいか膀胱炎にまでなってしまった。

食欲の戻らない彼女が食べれるものはと何かと考えて、初めてプリンを作ってみた。クックパッドのレ

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南京糖と、老いのゆくえと。

南京糖と、老いのゆくえと。

「墓参りをしよう」と思い立つことがやけに増えた。無数に立ち並ぶ墓石や卒塔婆を見ていると、不思議と心が穏やかになる。若い頃は怖くて、不吉で、陰気で、親戚の法事でもなければ行くことのない場所だったが、最近はとりつかれたように墓所に親近感を感じてしまう。さすがにまだ「お迎え」という年齢ではないが、それなりに、歳をとったということだろうか。

母方の墓所は麻布山善福寺にある。平安時代に弘法大師によって開山

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横濱 ハーバーと、縁(えにし)と。

横濱 ハーバーと、縁(えにし)と。

突然の雨に、急いで愛犬を抱っこして家に戻った。身体を拭きながら、妻が「おじさん 大丈夫かな」とつぶやいた。

おじさんとは、このマンションに越してきてから言葉を交わすようになった初老の男性のことだ。数年前に卒中で倒れられて身体が不自由になり、歩行器なしでは満足に歩くことができないが、時には介助のヘルパーさんと、時にはおひとりでマンション前の公園で歩行訓練をしている。

きっかけは忘れてしまったが愛

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草餅と、閉ざされた下町と。

草餅と、閉ざされた下町と。

所用があり、およそ3年ぶりに橋を渡った。浅草の対岸にある墨田区の向島である。15年ほどこの地に住み、別の家族を持ち、そして捨てた。

向島界隈は古くより花街として知られている。もっとも今では料亭の灯りと黒塗りのタクシーがひしめく風情は失われつつあるが、隅田川沿いには毎年満開の桜が咲き誇り、夏には花火大会が催され、行楽シーズンには往時の賑わいを取り戻す。堤防に沿った墨堤通りに向じま 志”満ん草餅(じ

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ビスケットと、マリアのこだわりと。

ビスケットと、マリアのこだわりと。

森茉莉をご存じだろうか。

文豪、森鴎外の長女であり、50歳を過ぎてから作家としてデビュー。エッセイや小説を中心に異彩を放つ。食への欲求が人一倍強く「貧乏なブリア・サヴァラン」と自身を称した。そんな彼女は著書の中でビスケットについてこのように記している。

”ビスケットには固さと、軽さと、適度の薄さが、絶対に必要であって、また、噛むとカッチリ固いうえに脆く、細かな、雲母状の粉が散って、胸や膝に滾(

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マドレーヌと、生きづらさと。

マドレーヌと、生きづらさと。

「生きづらさ」という言葉がよく用いられるようになって久しい。だが、その正体が実のところ何なのかを私も知らない。さりとて言葉だけが一人歩きしているともいえないし、やっぱり「生きづらさ」はあるのかもしれない。だが…。

西ヶ原という都内ではあまり耳慣れない場所にCADOT(カド)というフランス菓子店があった。JR駒込駅から旧古河庭園の方角に向かって坂をくだり、霜降橋交差点を左に曲がり少し歩くと丸みを帯

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芋ようかんと、母の食べてきたものと。

芋ようかんと、母の食べてきたものと。

芋ようかんといえば浅草舟和がまず思い浮かぶが、最近は家の近所にある土佐屋のものを特に常用している。どちらも甲乙つけがたいけれども、「芋感」という点では土佐屋に軍配があがるのでは、と個人的には思う。

土佐屋は焼肉屋のとなりにある間口の小さい店舗で対面売りをしている。夕刻前には芋ようかんを始め、あんこ玉、栗蒸しようかんなど、ほとんどが売り切れてしまっている繁盛ぶりでこれまでも何度買いそびれたことか。

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苺のショートケーキと、凡庸と。

苺のショートケーキと、凡庸と。

ショートケーキが苦手だ。けれどもこれまでもっとも多く食べてきたのは間違いなく苺のショートケーキだ。

色とりどりのケーキが並ぶ店のショーウィンドウの前で、私はどうしていいかわからず、いつも立ち尽くしてしまう。
「食べたいケーキはこれ!」とすぐに決めることができない。あたふたとしている間に他の客が私の後ろにつく。さっきまで楽しかったケーキ選びが瞬く間に苦痛を伴う時間に変わる。早くこの場から逃げ出した

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