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「我慢」は美徳!?

こんにちは。リエコです。



皆さんは小さい頃、
「我慢が美徳!」と
言われませんでしたか?


私の小さい頃は、そう言われていました。


・自分を犠牲にしても、
       人の為に尽くしなさい。
・自分は、我慢しなさい。
・喜怒哀楽を人前では出してはいけません。
・物分かりの良い子でいなさい。
・人に迷惑を掛けない様にしなさい。
・自分で何でも出来るようになりなさい。

この様な
上記の様な事をよく言われてきました。

今考えたら、
「呪いの言葉」
「恐ろしい言葉」の数々です。


でもこれは、
私の親世代は
「当たり前」に言われてきた言葉です。


この言葉を
鵜呑みにして私は生きてきました。


でも、
上記の事を実行しても
全然、幸せにはなれないのです。


どれだけ「人に尽くしても」
「仕事で成果を上げても」
相手はもっともっとと、
際限なく要求してくるのです。


私は、
「不思議」でなりませんでした。


上記の言葉を信じて、
その言葉通りに実践をして
毎日一生懸命生きているのに、
苦しいだけなのです。

そして、毎日が辛い。

楽しいなんて思えない。

全く幸せになれないのです。

いつも不平不満で心は一杯なのです。



考えれば当たり前です。


「自分自身を蔑ろにして
    人に尽くしているのですから。」


「当たり前に」、
「我慢ばかり」しているのですから。


また、
言いたい事も言えず、
やりたくない事をやらされれば
誰でも不平不満になります。
これでは、幸せになれません。


それもそのはずです。
1番大切な筈の
肝心な「自分を置いてけぼり」にして
他人に尽くすのですから。



「何故?」
親や大人が
こんな言葉を言ったと思いますか?


・子供は親に従う物だ。
・村八分にならない為。
・人の為に生きるのは当たり前。
・人をコントロールする為。
・常識をもってくる事で統率を測るため。
・良い子でいさせる為。

こんなとこでしょう。



実際に親自身も実の親から、
その様に言われて育ったのです。


戦争の後遺症です。


戦前戦後は、
この様な状態でも仕方ありません。


何故なら、
食べる物も着る物も
「何も無かった」からです。


今現在の様な飽食の時代ではないのです。

人々を統率する為には、
「人に尽くしなさい。」
「我慢しなさい」と
「自己犠牲を強いる」のはある意味      仕方がないのです。    

ですが今現在は、
そんな時代ではありません。



食べ物にも着るものにも
困らなくなりました。
今や食べ物や着るものが
逆に余っている「過剰にある」状態です。


戦前戦後は、
「人に尽くしなさい。」
「我慢しなさい。」と
言うしかなかった時代です。

でも今現在は、
自分自身の幸せを、
第一に考えた方がいいと思います。


時代は変わりました。

これからの時代は、
「自分の幸せを考えた上で
      他人の幸せを考える時代」になったのです。


自分自身を蔑ろにしておいて、
「幸せになりたい。」
なんてできないのです。



だから、
「我慢はやめましょう!」と
何回もブログに書いています。


それは、
「大きな我慢」だけでなく、
「小さな些細な我慢」もです。


例えば、
「今、水が飲みたい。」けど
「後でいっか。」
こういう事です。


この様な些細な事を
「自分自身で満たしてあげる」のが、
自分が幸せになる上での第一歩なのです。



そして、
「我慢」すれば歳と共に
心身にも影響を与えます。


我慢した分だけ、
「身体」や「心」に
掛かる負担は大きいです。


また、
人によって「出る所」が違います。

・人によっては、「身体に。」
・人によっては、「心に。」
・人によっては、「お金に。」
・人によっては、「人生に。」

莫大な影響がでます。


何処に出るかはその人次第です。
なので、
我慢は辞めましょう。



また、
我慢をしても結局は長くは続きません。
何処かで「無理」が生じます。
「不具合」を起こします。
そんな「人間関係は長くは続かない」の
です。

我慢を辞める事は、「勇気」が必要です。


「八方美人」ではいられません。


皆に「全員に好かれる事は難しい」です。


それでも「そんな貴方でもいい。」と
言ってくれる人が必ずいます。


その様な人達といる方が幸せです。
自分を偽っていないのですから。


皆さんも今一度
「我慢している事はないか?」と
考えて見て下さい。



参考になれば幸いです。
いつもありがとうございます。
よろしくお願いします。



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