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就職氷河期の氷河を彷徨った自分③

前回は大学時代に鬱での入院の話をした。今回はその反動について書きたいと思う。
休学が決定して、退院した後にやることがない自分。何かやりたいことはないのかと両親に問い詰められ、写真とバイクが浮かんだ。写真は現像代がかかりすぎるので却下された。そしてバイクの免許を取りに行った。免許を取る過程で向いていないということは重々分かった。しかし免許は取れた。このころからだんだんハイになっていった。兄貴が仕事に行っている間にやることがなく自分を持て余していたので、衝動的に兄貴に無断で兄貴のバイクを運転した。そういう時は悪いことが起こるもので、帰り道でコケた。傷もつきました。兄貴は激怒。父親も激怒。学校や会社ではありませんが無期限の謹慎処分です。病院以外外出禁止。もしかしたらこの時も抗うつ剤を飲んでいたかもしれないのでその反作用でハイになったかもしれません。
写真もダメ、バイクもダメとなった自分に浮かんだのはサーフィンでした。
というのも高校も海の近くだったので高校をさぼって海を見てました。
高校の時に入院、通院していた病院も海の近くで、よく帰りに海を見たいと両親にお願いしていました。そんなある日、大切なバイクをコカされて激怒した兄が
「そんなに海が好きだったらサーフィンやってみたらいいじゃん」
と声をかけてくれました。
しかし条件としてサーフィンはバイトをして自分の金でやること。
バイト先までの通勤手段は兄貴の車を借りていいという寛大な兄。
そんなこんなでバイト探しをして、ほどなくリゾートホテルのプールの監視員に採用された。バイト期間はいわゆる夏休み。7月~9月。バイトでもいろいろあったがバイトの最終日。これからサーフィン三昧だ「やほー」と兄貴の車をぶっ飛ばし、自損事故。。。水門に激突。頭部をフロントガラスに強打。サングラスをかけてなかったら失明してたかもしれないと救命医に言われるくらい、ガラスの粉がサングラスにびっちりついていたそうだ。
この辺で気づくべきだったが、まだ抗うつ剤を飲んでいたかもしれない。自分に必要なのはむしろテンションを下げる薬だったと思う。
今振り返るとすべての根源は不安だったと思う。
その不安は「これからどうやって生きていこう」という不安だ。
この不安が解消されないと自分の人生は安定しないのだろう。
それは今でも同じかもしれない。

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