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小説:ホタルが眠るまで(1)

あらすじ

ホタルのウーは水中での生活を終えて、羽のある新しい体を手に入れました。
無事地上に出てきたのは良いのですが、地中に潜る前の記憶がありません。また、仲間のホタルのようにうまく飛ぶこともできませんでした。
仲間の元から逃げ出し、1匹になったウーは森の不思議な場所でお月様の歌を聴き、もっと近くでその声を聴きたいと思いました。
そしてカタツムリのツムとの出会いにより、自分の好きなものやりたいことを見つけたいと考えます。
ウーはお月様を目指し、森で一番高いおばけの木を登る挑戦をすることにしました。ホタルのウーと森に暮らす小さな虫たちの物語。全6話。

ホタルが眠るまで(1)

夜風が木々の間を通り抜け、草木を撫でながらたっぷりと森の香りを含ませたその体で小川の上を走って行きました。
風の集団が通り過ぎると草木は動きを止めシンと静まり、ただ小川の優しいせせらぎが夜の森に響いています。
しばらくすると、空から少しずつポツポツと雨が降り始めました。
また少しずつ風が通り始め、風は草木を優しく撫でてサワサワと揺らします。
森が雨と風の作る優しい音に包まれると、小川の暗い水の底で小さな光がポツリポツリと灯り水に揺れました。
光の粒は少しずつ浅瀬に移動し、ホタルの子どもたちがゆっくり水面から顔を出しました。

「さぁみんな、地上に上がって眠りましょう。」

1匹のホタルの子が一足早く地上に体を出して言いました。
まだ水面に顔だけを出して様子を見ているホタルの子たちは、恐る恐る地上に上がり始め、川辺は小さな光で溢れました。

「ウー、何してるの?早くおいでよ。」

水面に顔を出した1匹のホタルの子が、水の底に声をかけました。
水の底で光が揺れます。
プクプクと小さな泡を放っただけで、ウーと呼ばれたホタルの子は上がってくる様子はありません。
先に水面に顔を出したホタルの子は、小さな泡が全て弾けるのを眺めて待って、ため息をつきました。
ウーが何を言っているのかはわかりませんでしたが、また何かを怖がって言い訳をしているのだろうと思いました。

「早く上がって眠らなきゃ。僕は先に行くからね。」

そう言ってホタルの子は、前を向き直して地上に上り、その後ろで見送るようにまた小さな泡がプクプクと浮かんで消えました。
水の中で成長したホタルの子たちが、成虫になる時が来たのです。
成虫になるために、これから地上の土の中で眠らなければいけません。

水中には、まだ小さなホタルの子たちが残されており、大きく成長したホタルの子たちを見送っていました。
中には「また会おうね」などと声を掛け合うものもいましたが、多くの子どもたちにとっては今生の別れでした。
陸と水中で別れたホタルの子たちのほとんどはもう二度と出会うことはできないと思われています。
子どもたちは誰も成虫になるということがどういうことなのか、本当のことは知りません。
水の中で生きるホタルの子たちは、誰も成虫になった仲間に会ったことがないのです。
成虫になったものは、もう水に戻ってこれないか、成虫になったらこれまでの記憶が失われるか、はたまた地上に上がってすぐに死んでしまうのか。
子どもたちの答えは概ねこの3つに別れていました。
それでも、子どもたちの体は次第に地上を渇望するようになります。
脱皮を繰り返し成長するうちに、地上へ向かう気持ちは強くなり、恐怖心は薄まっていくのでした。
陸に上がった多くのホタルの子たちは、新しい体を授かり地上で生活することに希望と期待を抱いて進んでいきました。

ですが、ウーは少し違うようです。
地上の子どもたちが土に潜り始めても、まだ水中で小さな光をゆらゆらとさせています。
ウーも他のホタルの子たちと同じように、体は地上を求めていたのですが、それよりも死への恐怖が勝っていました。
地上で眠りにつきそれから新しい体を得るという話だけど、実際に新しい体を得た仲間を見たことがない。
そのことがウーを不安にさせました。
本当は、新しい体なんか無いんじゃないか。
地上に行ったら死んでしまうだけなんじゃないかと。
それでも、ウーはもう地上に向かう他ないと思っていました。
実をいうとウーはもう少し早く地上に上がらなければいけない体だったのですが、恐怖により水の中に粘って住んでいました。
そのせいか、今では少し息が苦しくなることがあるのです。
それはウーの体が早く地上に上がれと悲鳴を上げているようでした。

ウーは少し水の浅い場所移動して、水の中から外の様子を伺いましたが、やはり水の中からは外がどうなっているのかよくわかりません。
水から出ない程度に体を反らせて上の世界を見上げると、真っ暗な世界に、ひとつ小さく揺れる白いものが見えました。
月の光です。
月は水中から見るといつも揺れて、ゆらゆらと踊っているように見えました。
水に揺らされるだけで、その場を動かない月を見てウーは不思議に思いました。
皆がお月様と呼ぶあの光、どうしていつも1匹でいるんだろう。
時々違う場所に見えるけど、あまり動かないみたいだ。
あれはホタルの仲間なんだろうか。

「ウー、行っちゃうの?」

お月様についてぼんやり考えていると、不意に後ろの石の陰から寂しげな声がしました。
暗くて姿は見えませんでしたが、そこにホタルの子が隠れているのがウーにはわかりました。

「ミー。うん、もう行かなきゃいけない。」

ウーは陰に向かって話しました。
ミーというのは、あるとき一緒に貝を食べたのをきっかけに、ウーについてくるようになった友達です。
ミーはまだ餌となる貝を捕まえるのが下手で、ウーはミーを1匹で残していくことが心残りでした。

「これからは1匹で貝を捕まえなきゃいけないよ。もう1匹でできるだろう。」

ウーは石の陰に向かって言いました。
すると陰の奥からホタルの子が出てきてウーに近づいてきました。

「うん。ウーも立派な成虫になって・・・それで・・・」

ミーはウーを励ます言葉を考えたが、寂しさで何も言えなくなってしまいました。
ウーはそんなミーに寄り添って、自分の頭をミーの頭に優しくコツンと当てました。

「ミー寂しくなったらお月様を見るんだ。時々隠れちゃうけど、いつだって水の上にいらっしゃる。いつもお前を思って見守っているよ、お前は1匹じゃないんだ。」

ミーは小さな声で「うん。」とだけ返事をしました。
ウーはしばらくそんなミーの姿を黙って見つめました。
これ以上水中に留まっていては、ミーにとってもよくない。
どうせ自分はもう地上に上がらなければきっと死んでしまうだろう。
もし、このまま水中に留まって死んでしまった自分を見たら、ミーは深く悲しむ。
もしかすると、死への恐怖からミーは成長しきっていないのに地上に上がろうとするかもしれない。
そうなればミーも成虫になれず死んでしまうかも。
ウーは小さなミーの姿を見て、地上に向かう決心を固めました。

「それじゃあ、行くね。さようなら、ミー。」

ウーはできるだけ気持ちを出さないように別れの挨拶をしました。
あまり悲しまないように、いつか成長したミーが怖がらずに地上に上がれるように願いながら。

「さようなら、ウー。」

ミーも同じように短く単調な返事をしました。
ミーにも寂しさはありましたが、水中で生きづらくなってしまったウーをこれ以上引き止めてはいけないという気持ちの方が強かったのです。
地上で生きていけるのか確証はないけれど、このまま水中にいては子どものまま死んでしまう。
そんなウーの姿は見たくありませんでした。
ミーはウーがこれからも生きてくれることを信じ、地上に送り出すことにしたのです。
ウーもそんなミーの気持ちには気づいていたので、それ以上何も言いませんでした。

ウーはミーに背中を向けて、緩やかな上り坂を上がり始めました。
まだ後ろに感じるミーの存在に尾を引かれながら。
振り返ってはいけない。
もし振り返ったら、ミーも一緒に行くと言いだすかもしれない、引き止められるかもしれないと思いました。
それに、ウー自身もミーの姿を見たらまた水中に戻ってしまいそうなくらい怖かったのです。
絶対に振り返ってはいけない。
何度もそう思いながら、地上へ向かいました。
少しずつ浅くなった水の流れを体で感じ、体のかぎ爪で踏ん張りながら進んでいると、不意に頭が水面に飛び出しました。
ウーはびっくりして水中に戻りそうになりましたが、後ろにいるであろうミーにそんな姿を見せたくありません。
ぐっと体を強張らせて何とかその場にとどまりました。
初めて感じる空気が、ウーの頭を撫でます。
水とは違って体が乾き、肌がピリッとする感じがしました。
ウーは初めての感覚に怯えながらも、ゆっくりゆっくり前に進み、ついに地上の空気に全身を晒しました。

「わぁっ」

水を含んだ柔らかな風が、その指でふわっと頭からお尻の先までウーの体を優しく撫で、思わず体をピッと三日月のように反らせました。
地面はしっとりと湿っていて柔らかく、触れているお腹がひんやりとして心地良く感じます。
体が早くこの中に潜れと言っているようだとウーは思いました。
ボロンッビシャッ!
ウーがそんなことを考えていると、近くの枝から大きな雫が地面に落ちてきて、ウーは跳ねた泥で体がビシャビシャに濡れてしまいました。
体の上を濡れた土がドロリと溶け落ちます。
ウーは一瞬のことで何が起きたかわからずその場に固まっていましたが、その後もあちこちでボロンボロンビシャっと繰り返す音を聞いて、先ほどより雨が強くなってきたのを感じました。
森の中は雨のリズムでいっぱいです。
雨の雫が大きな葉を上から下にボロンボロンと跳ね落ちる音、地面にビシャビシャと落ちる音、水の上にポッポッと落ちる音、それらが組み合わさって森の中に響いています。
ウーは初めて感じる空気の振動に体の内がドクンドクンと波打ち、内側からこれまで感じたことのない力が湧いてくるのを感じました。
湿気を含んだ風も心地よく、雨音を感じながら体を震わせて前に進んでいると、どこまでも地上を進んで行ける気さえしてきます。
ウーは体の上半分を仰け反らせて、頭上のずっと遠くにある月を見上げました。
白く輝くまん丸の月が、木々の隙間から見えました。
まるで小さなウーを覗き見ているようです。
ウーは水中よりもはっきりと見える月に見とれてしまいました。
ウーのお尻にも光はありますが、月の光はホタルの光とは違って見えます。
水の中で、もしや月はホタルの仲間なんじゃないかと思ったのですが、地上で見る月はもっと神秘的で、ウーにはなんだか寂しそうに感じました。

「ねぇ君、そこで何をしてるの?」

ウーの少し右の方から声がしました。
月に夢中になっていたウーはその声を聞き逃しそうになり、ハッとして声の方を向きました。
そこには体に貝を持った生き物が木の枝に逆さまにひっついて、二つの目を体から伸ばしてこっちを見ています。
ウーは水中の貝に少し似ているなと思いましたが、今ではあまり美味しそうには見えませんでした。
それより、どうやって逆さまにひっついているのだろうと不思議に思って眺めました。

「君は誰?」

ウーは驚いてじっと見つめて言いました。
相手も飛び出た目玉でじっとウーを見つめています。

「僕はツム。カタツムリのツム。君、ホタルだろう?君の仲間はさっきみんなこの辺の土に潜っていったよ。君は随分遅く上がってきたんだねぇ、そこで何をしているの?君は地面に潜らなくていいの?」

ツムは体の縁をゆっくり波打たせながら枝の下を移動して、ウーの真上近くまできて止まりました。
依然逆さまのままです。

「僕はウー。ねぇ君、お月様のこと知ってる?どうしていつも1匹なんだろう?」

ウーは初めての地上の生き物にドギマギして、質問に答えることも忘れて言いました。

「あぁ、お月様。うーん、確かにいつも1匹だね。僕よくわかんないけど、太陽もいつも1匹だしそういう虫なんじゃないかな。時々1匹でウロウロしてる虫はいるよ。僕みたいに。」
「じゃあ、ホタルではないってこと?」
「うん、多分ね。」
「そっか・・・・」

ウーもなんとなくわかっていましたが、少しだけ残念な気持ちでした。
ウーが少し俯いてしょんぼりしていると、ツムがゴホンと咳をしました。

「でも、わかんない。もしかしたら君の仲間かもね、実際君は1匹で行動してるし。」

ツムはウーの様子を見て少し励ますように言い、「カタツムリじゃないことは確かだね。」と付け足して笑いました。
ウーも少しだけ「ふふっ」と笑いました。

「しかし、今夜は雨なのに雲に隠れずにお月様が見えているから本当に不思議な日だね。こんな不思議な日はなんだかいいことがありそうだなって思って外に出てきたら、君を見つけたんだよ。僕、ホタルの子と話すのは初めてだ。」
「僕もカタツムリと話すのは初めてさ。」
「だろうね。」

そうして2匹はまたクスクスと笑い合いました。
ウーはなんだか気持ちがふわふわとしました。
あんなに地上が怖かったのに、今ではここにいるのが少し楽しく感じています。

「ねぇ、雨が降ると、お月様は隠れちゃうの?」
「そうだよ。知らないのかい?雨は雲から落ちてくるんだ。雲は月や太陽を隠しちゃうんだよね。僕はそんな日の方が過ごしやすくて好きなんだ。」

それからツムは地上の世界のことを、ウーは水中の世界のことを教え合いました。
ツムは地上にいる虫たちのこと、虫を食べる鳥のこと、季節によって色を変える草木のことを教えてくれました。
どれも初めて聞く話ばかりで、ウーはしばらく眠ることを忘れてツムの話に夢中になりました。
ツムは水の中でどうやって生活してきたのかを聞いてきたので、水の中の虫のこと、魚のことや、友達のミーのことを話しました。

「へぇ、それで、ごはんは何を食べてたの?」
「えっとー・・・小さな魚。」

その質問だけは、ウーは嘘をついてしまいました。
君に似た貝を食べてた。なんて、言えないよ。
と、ウーは思いました。
そしてウーはツムの話を聞いて初めてホタルの成虫の姿を知りました。

「じゃあ本当に、僕たち体が変わるんだね?」
「うん。僕前に一回見たんだ。君そっくりな子が地面に潜っていくところ。今日と同じような雨の日だったよ。それで、気になって時々見にきていたら、ある日違う姿で出てきたんだよ。びっくりしたなぁ。」
「それってどんな姿?」
「羽って言って、空を飛ぶものが付いてたよ。それでブゥンって空を飛ぶの!今とはまるっきり違う姿さ。でもお尻は同じように光っていたよ。」
「空を?じゃあ僕も成虫になったら飛べるのかな・・・お月様まで行けるかな?」
「きっと飛べるようにはなるだろうけど、お月様まで行けるかはわかんないなぁ。お月様ってすっごく遠くにいるみたいなんだ。」

ウーはツムの話を聞いて、早く地中に潜りたくなりました。
これまで這って移動するしかできなかった自分が、空を飛べるなんて想像するだけでもワクワクしてきます。

「それじゃあ、僕もそろそろ眠らなきゃ。色々教えてくれてありがとう。」
「そうだね。僕も君たちホタルのことが気になってたから友達になれて嬉しいよ。」
「友達・・・僕も嬉しい。それじゃあ、また会おうねツム。」
「うん、また会おう。おやすみなさい。」
「おやすみなさい。」

ウーはツムの下の地面を掘って進み、すっぽりとその中に収まりました。
地中は初めはひんやりとしましたが、次第に体が地面に溶け出て一つになったような感覚になりました。
ウーは水の中の世界、ミーとの別れ、初めての空気の感触、ツムから聞いた話を思い出しましたが、それも次第に真っ暗な闇に消えました。

地上に残されたツムは、しばらくあたりを見渡しました。
相変わらず雨は降り続いています。
そして近くの小さな木の葉を口で噛み切り、ウーの眠ったあたりにふわりと落としました。
雨がウーの真上に直接落ちないようにしようと思ったのです。

「これで少しはマシかなぁ。」

ウーの潜った地面をしばらく眺めた後、今度は枝の上に上がり、月を見上げぐーっと体を上に伸ばしました。

「どうかウーにまた会えますように。」

ツムは月に願うようにそうつぶやいて、ゆっくりと元来た枝を戻って行きました。

続く。

ホタルが眠るまで 全6話

ホタルが眠るまで 1話

ホタルが眠るまで 2話

ホタルが眠るまで 3話

ホタルが眠るまで 4話

ホタルが眠るまで 5話

ホタルが眠るまで 6話