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小説:ホタルが眠るまで(5)

これまでのお話

ホタルのウーは水中から上陸し羽を持った新しい体を得ました。仲間の助言を受けて飛ぶ練習をしますが、なかなかうまく飛べません。落ち込んだウーは逃げるように仲間の元を去りました。逃げた先で、ウーは月の歌を聴き、お月様に近づきたいと考えるようになります。そして、幼虫の頃に出会った友達のカタツムリのツムに再開し、森で一番高いおばけの木を登ることにしました。そこで危険なバケ鳥と遭遇してしまいます。

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ホタルが眠るまで(5)

「早く逃げろ!!」

どこか枝に紛れているナナフシの声がします。
バケ鳥の丸い影が月の真ん中からウーたち目掛けて落下し、猛スピードで近づいてきていました。
鳥が近くになるに従って月の光を遮り、濃い夜の闇が迫ってくるようです。
ウーがこれまで体験したどんな闇よりも濃く、体の奥から冷えるような恐怖が襲ってきました。
ウーは危険だとわかっていながら、鳥の黄色く光る目から目が離せず、体が強張って動きません。
逃げなきゃ、逃げなきゃ・・・。
頭ではわかっているのに、鳥を目で追うのに必死でした。

「ウー・・・。」

後ろから声がしてハッとして振り返りました。
ツムは逃げるのでも貝に隠れるのでもなく、ただその場に佇んで黙ってウーを見ています。
あの鳥が降りてくるまでに、ツムは逃げきれるだろうか。
そう考えると、ウーは一瞬目の前が真っ暗になった気がしました。

「逃げて。」

ツムはやっと口を開いたかと思うと息の混ざった震える声で言いました。
ツムの丸い目に光はなく、まるでもう自分は逃げられないと悟ったように体は動きを止めています。
ウーはそんなツムの顔を見ていると、恐怖と不安でぐらりぐらりと頭を揺らされているように感じました。
あの鳥は僕の光を見つけて来たんだ。
僕のせい、僕のせいで・・・このままではツムは逃げきれない。
そう思った時、ウーは思わず降ってくる鳥の方に羽ばたき飛び出していました。

「ウー!何してるの!逃げて!」
「ツムは逃げて!僕が引き付けておくから!」

羽ばたくウーのお尻が強くピカピカと点滅して何度も光りました。

「バケ鳥!こっちだ!!こっちに来い!!」

鳥はピョウと高い声をあげて、ウーめがけて突っ込んできました。
ウーは間一髪のところで嘴を避けましたが、鳥の光る目がすぐ近くでウーをギロリと見ています。
ウーはできるだけ葉と枝の多い場所を羽ばたきながら逃げ回りました。
鳥は怒り狂った様子で何度もピョウピョウと声をあげ、バキバキと枝を折りながらウーを追いかけて来ます。
ウーはツムから十分離れたところで、お尻の光を消して闇に紛れました。
木の葉の陰で鳥から隠れています。
鳥はウーの近くの枝に止まって消えたウーの光を首を回しながら探していました。
暗く枝葉の多い木の中で見つかるわけはないとウーは思いましたが、それでも鳥は諦めていない様子でじっと枝の上で気配を探っています。
我慢比べだ・・・でも、このままだともうこの木は登れないだろう。
それに、僕を諦めてツムを見つけ出したらどうしよう・・・・。

「おい、ウー。」

ウーが木の葉の陰で考えていると、後ろからしゃがれた囁き声が聞こえて来ました。
ウーはナナフシの声だと思いましたが、振り返ってもどこにいるかわかりません。

「わしにあの鳥を倒す作戦がある。お前は、もう一つ上のその少し太い枝の上に登れ。その枝の後ろにちょうどバケ鳥の嘴くらいの穴がある。そこに鳥を誘導して突っ込ませる。そしたらちょうど嘴が挟まって動けなくなるはずじゃ。お前は入り口の近くで挑発するように尻を光らせろ。そして鳥が飛んでくるギリギリで避けるんじゃ。」
「でも、そこまでどうやって鳥を誘導すればいいの?それに、かなりの速さで鳥をまっすぐ飛ばさなきゃ。」
「それはわしに任せろ。お前が穴の前で、思いっきり光って挑発すれば、あの鳥は怒りに任せてまっすぐ飛んでくるさ。」

ナナフシは落ち着いた様子で淡々と話しました、そして「必ず成功するとは言い難いが・・・。」と申し訳なさそうに付け足しました。

「あの鳥は簡単に見つけた獲物を諦めん。このままお前が見つからなければ、ツムを探し出すぞ。お前、友達を助けたいんじゃろう。わしもあの鳥には恨みがあるんでな、協力しよう。」
「僕、やります。」

ウーには作戦もありませんでしたし、ナナフシを信じるしかないと思いました。
ウーは静かに、鳥に気づかれないよう木を登り始めました。
言われた枝に登ると、確かにウーのいる枝の少し上に真っ黒な穴が空いています。
入り口はちょうど鳥のくちばしほどで、奥に長く伸びていました。
確かにこの穴ならバケ鳥の動きを封じれるかも・・・。
ウーが穴を眺めていると、少し下でビャア!と鳥が激しく叫ぶ声が聞こえました。
よく見るとバケ鳥の足の先をナナフシが噛みついています。
鳥はナナフシを振り払おうと暴れるように羽ばたき、激しく足を揺らしますがナナフシはしつこく噛み付いて離れません。
ナナフシの細い体がブルンブルンと鳥の足の先で揺れています。
鳥は叫び声をあげ、頭で枝をへし折りながら、ウーのいる枝から少し上のあたりに飛び上がってきました。
そして怒り狂ってナナフシを嘴で攻撃しようとした瞬間、ナナフシは足から離れ近くの枝の上に落ちながら叫びました。

「今じゃ!!」

ウーは声に合わせてお尻を光らせました。
その光はこれまでで一番強く白く光り、夜の闇に紛れて黒いシルエットと黄色い目しか見えなかったバケ鳥の本当の姿を露わにしました。
全身は濃い赤色の羽に覆われ、顔の中心と羽の先だけ黒くなっています。
そして黄色い目の真ん中に、キッと縦に通った真っ黒な瞳孔がウーを捉えていました。
嘴は黒くツヤっとしており、ゆるく下に湾曲し先がキュッと尖っています。
鳥が怒って叫び声をあげると、中に真っ赤でツヤツヤとした舌が見えました。

「こっちだバケ鳥!!!」

ウーは叫んで、光りながらその場で何度も飛び跳ねて挑発しました。
鳥は、目をギラギラさせて怒っています。
ビャアア!
バケ鳥の叫び声が森中に響き渡り、虫や小鳥が羽ばたいて逃げ出す音が聞こえてきます。
それは今までで一番大きく恐ろしい鳴き声でした。
そしてバケ鳥は枝をもろともせず、バキバキとへし折りながらウーに向かって勢いよく飛んできました。
ウーは鳥の怒り狂った形相にすぐにでも逃げ出したくなりましたが、必死で足を踏ん張ってただお尻を光らせ待ちわびました。
もう少し、もう少し・・・・バケ鳥の口がウーの前でクアッと開き、小さな舌が目の前に見えた瞬間、ウーはお尻の光を消してサッと脇に飛びました。
パキッ!

「うっ!」

羽ばたいて脇に避けた瞬間、ウーの羽から嫌な音がしました。
ウーは枝から飛び落ちていきます。
なんとか必死で羽ばたきながら下の枝にしがみつきました。

「鳥は!?」

ウーが足で枝にしがみついて上を見上げると、鳥は思惑通りに穴に嘴を突っ込んでいます。

「気絶しとる・・・やったぞ!」

しばらくして、鳥の近くまで来たナナフシがウーに向かって声をあげました。
バケ鳥は激しく頭を木にぶつけ気絶してしまったようです。
ウーは立ち上がってナナフシに返事をしようと思ったのですが、その場にへたり込んでしまいました。

「あれ・・・?」

うまく足に力が入らず、体が持ち上がりません。

「ウー!!」

ウーの後ろから、ツムが寄ってきました。
ツムはウーの隣に来て、目をウーの方に垂らして見つめています。
そのすぐ後ろにナナフシも降りてきてウーを黙って見つめました。
ツムはポトリポトリと大粒の涙をこぼしながら震えています。

「ツム、無事だったんだね。どうして泣くの・・・・?」
「ウー、君・・・羽が・・・。」

ウーは鳥をギリギリまで寄せ付けようとしすぎて、羽と体の一部がバケ鳥の嘴に触れてしまったのです。
あの嫌な音は、羽が折れてしまう音でした。
ウーの右羽は半分以上がちぎれ、内側の薄い羽は半分がちぎれかけた状態で力なくぶら下がっていました。
そして背中の真ん中から右側の3本目の足のあたりまでヒビが入って割れています。
ウーは自分の体を確認して「あぁ」とつぶやきました。
もうだめだ。
そう思うと体から力が抜け、ガクリと枝の上に横に倒れました。

「ウー!ごめん・・・僕の、僕のせいだ。」

ツムはウーに顔を寄せてすすり泣きました。

「違う、違うよ。僕がやりたくてやったことだ。鳥を引きつけてやっつけようって僕ならできるって思ったんだ。」

ウーはなんとか顔をあげて言いましたが、ツムは「ちがう、ちがう」と言い続けました。
違うってどういうことだろう?とウーは思いました。

「僕、考えてたんだ。どうしてホタルの成虫が幼虫の頃のことを忘れちゃうのか・・・・。」

ツムは泣きながら震える声で話しました。
ウーは横になったまま顔だけをあげて聞いています。
ナナフシも少し離れた場所でそんな2匹を眺めていました。

「忘れちゃうのは、思い出さない方がいいことがあるからなんじゃないかって。どんなに水中が好きでも、水中に大切なものがあっても、もう成虫のホタルは戻ることはできない。だから、過去が後を引かないように、前を向いて生きれるように忘れちゃうんじゃないかって。そう思ったら・・・僕、君に過去を教えちゃいけなかったんだ。僕が君に水中の頃のことを教えたから、君は余計に何か、地上で生きることを何か特別にしようと思いつめてしまった。」

そこまで一気に話して、ツムは息を整えるように深く吸い込みました。
喉がひくひくと痙攣し、吸い込まれる息が震えています。

「教えちゃいけなかったんだ。このおばけの木のことだって言わなきゃよかったのに。僕、でも僕、僕のこと思い出して欲しくて、友達として何か役に立ちたくて、一緒に居たくなって・・・・。僕のせいだ。ただ君をホタルたちの元に帰してればよかったんだ、ホタルたちと、新しい仲間とうまくやるようにあの時に言えばよかったんだ。」

ツムの大きな温かい涙が、ウーの体にポトリと落ちて、体を伝ってゆきました。
あぁ、僕ツムのこと何にもわかってなかった。
このまま僕が死んでしまったら、ツムはずっとこのことで傷ついてしまう。
ウーは、大切な友達にそんなことはできない。
そう思うと体に力が戻ってくる感じがしました。
グッと足に力を入れて、震えながらなんとか立ち上がりました。

「ウー、無理しちゃダメだ。」
「羽はダメになった、けどっ・・・足は大丈夫。ちょっと疲れちゃっただけさ、僕はこの木を登るよ。この木を登ることだって、僕がやりたいからやるんだ。」
「ウー・・・。」

ツムは涙でウルウルとした目でウーを見つめました。

「今なら、あの道を通れる。」

後ろで黙って2匹を見ていたナナフシがボソリと言いました。
あの道とは、左右に枝が別れた月の歌が聞こえてくる道のことです。

「バケ鳥も今は大人しくしておる。今なら、あそこを上がって頂上まで行けるかもしれんぞ。」

ウーはその話を聞いて歩き出しましたが、すぐに前のめりに倒れこんでしまいました。
すると、不意に体がグッと持ち上げられ、お腹の下がひんやりしました。
ツムがウーの体の下に潜り込んで、持ち上げているのです。

「ウー、一緒に行こう。」

ツムは泣くのをやめて言いました。
ウーはツムの首と貝の間に横に挟まれる形で捕まりました。

「ナナフシさん、ありがとう。僕たち行くね。」

ツムがそう言うと、ナナフシはただ静かに頷いて枝の間に紛れて消えました。

「わしはここでお前たちを待っているよ。」

サワサワと風に揺れる木の葉の音に混ざって、ナナフシの優しい声が聞こえてきました。
2匹はその声を聞いて、まるでこの木自体と会話しているような気持ちになりました。
そしてツムは、ウーが落ちないようにゆっくりと移動して、枝の別れた道のある枝まで進んできました。

「ウー、登るよ。しっかりつかまっててね。」
「うん。」

ウーは少し体を動かして姿勢を整え、足でツムの背中に捕まり直しました。
ツムはウーが動きを止めるのを待ってから、ゆっくりゆっくり登り始めました。

ツムの体につかまっていると、ひんやりとして心地良く感じました。
体の縁を波打たせながら進むツムの緩やかな振動がウーの体に響きます。
その振動は今にも止まりそうなウーの心臓を励まして動かしました。
不意にまた、なんだか懐かしい感じがしてきました。
あぁ、懐かしいな。
でもなんでこんなに懐かしくなるんだろう。
ウーが背中の上でぼんやり考えていると、波打つツムの体の振動に合わせて、頭の中である音が響きました。
ボロンボロンビシャ
ボロンボロンビシャ
そして黒く重い記憶の蓋が開き白い光を放ちながら、失ったすべての思い出が洪水のように頭の中に溢れてきました。
ウーは思わず「あぁ」と小さく声を漏らしました。

水中は心地良くて、外に出るのが本当に怖かった。
あぁそうだ、僕、こどもの頃貝を食べてたんだ。
ツムには言いづらくて嘘ついちゃった。
でもこれは言わなくていいよね。
水中で見たお月様はいつもゆらゆらしてたな、地上に出たらまん丸で不思議だった。
そして、小さくて可愛いミー。
一緒に貝を食べて育った、僕の方が先に大きくなったから水中で別れたんだ。
ミーが不安にならないように、僕、強がっちゃったな。
本当はすごく怖かった。
初めて空気に触れてびっくりして、逃げて水中に戻りたかった。
でも逃げなかったじゃないか、あの時の僕も、頑張ったんだ。
風と湿った地面が気持ちよくて、雨の降る地上にワクワクしてどこまでも進めそうに感じた。
あの雨のリズム、思い出すと今でも楽しくなってしまう。
そんな中でツムに出会ったんだ。
小さい貝だって思って。
逆さまにひっついてるのが不思議だった。
それで初めてホタルの成虫のことを聞いて、本当に体が変わるって知れて嬉しかった。
ツムのおかげで地中に潜る決心がついた。
希望を持って眠れたんだ。

「そうだ・・・そうだった・・・。」

ウーはツムの背中の上で呟くと、不意にツムが止まりました。
我に返ったウーは、ツムの頭の方を見上げました。

「ウー。ついたよ。」

ツムがそっとつぶやきました。
少し先に一本の枝がまっすぐ伸びて揺れています。
ついに、この森で一番高いおばけの木の頂上に着いたのです。

続く。