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小説:ホタルが眠るまで(3)

これまでのお話

森の小川で暮らすホタルの子たちは、水中での生活を終えて地上に上がる時を迎え、ホタルのウーも上陸し新しい体を得ました。羽を手に入れたウーは、仲間のキーの助言のもと飛ぶ練習をしますが、なかなかうまく飛べません。そして羽はウーの手には負えないほど暴走し落下してしまいます。落ち込んだウーは仲間たちに1匹で練習すると伝え、森の闇の中に逃げ込んだのでした。

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ホタルが眠るまで(3)

ウーは森の茂みの真っ暗な地面を、這うように姿勢を低くして歩き続けました。
茂みを作っている木々はみっしりと葉をつけた枝を持っており、それらが厚く重なりあっていました。
地面に月の光は全く届かず、足元も見えない真っ暗闇です。
風も枝葉に遮られて通らず、湿っぽく生暖かい空気が立ち込めて、土の香りを濃く感じました。
ウーは土の香りを嗅ぎながら、地中で過ごした時のことを少し思い出しました。
地中は心地よかったな。
もう一度、この土の中で眠れないだろうか。
ウーはしっとりした地面を歩きながらふとそう思いましたが、もう地中には戻れないだろうということは分かっていました。
外の世界で生活するために作られたこの体で地中に潜ったら、すぐに死んでしまうだろう。
もう地中にも水中にも戻れないんだ。
僕はこの地上の世界で生きていくしかない。
ウーはそう思うと気が遠くなる感じがしました。
明日も明後日も、ずっと遠くまでなんの希望もない真っ暗闇を進んでいかなければいけないことが決まっているようで、悲しくがっかりした気持ちになりました。
ウーが悲しみに暮れ、ふらふらと茂みの合間を縫ってしばらく進んで行くと、茂みの奥がほんのりと明るく見え始めました。
近づいてみると、そこは高い木が大きな円を描くように並んで生えており、細長い草がぼうぼうと生えていました。
その場所は夜なのに不思議と森の緑が鮮やかに見え、草の表面についた水滴がキラキラとしています。
ウーにはまるで草木そのものが内側から光っているように見えました。
不思議に思いながら、草の根元を歩いて真ん中あたりまで進んでいくと、優しい風のサーっと吹く音が聞こえました。
風はウーの前方から長く伸びた草をゆるく押し倒し波打たせながらウーの元まで走ってきます。
まるでウーを慰めるように、風の指先が頭からお尻までスーッと優しく何度も撫でました。
そうして風に当たっていると、ウーの心の中も風が吹き抜け積もった塵を吹き飛ばすようにスーっとする感じがしました。
濡れた草の香りを含んだ空気でウーの小さな体はいっぱいです。
モヤモヤと絡まり合って胸の奥に沈んでいた不安も、解けてどこかに飛んで行ってしまったように体が軽く感じました。
少し、歩き疲れちゃったな。
ウーはフーッと息を吐いて、しばらく風に身を任せてその場で休むことにしました。
ウーは優しくしなる草の上に上りました。
すこし離れた先にある草が風になびいて、草の波がだんだんとこちらに近づいてきます。
ウーは風が目前の草を寝かせて自分が止まっていた草がしなる瞬間に、羽をブウンと動かして上空に飛び上がりました。
風はウーの下の草をなびかせて後ろに流れていきます。
風が通り過ぎるのを見送って、ウーはまた元いた草の上に降りました。

「ふふっ。」

ウーはちょっとだけ楽しくなり、しばらく風の波を超える遊びをしました。
まるで風と友達になったみたいです。
羽も暴れることなく言うことを聞いてくれましたが、まだ長く飛ぶのは怖く感じます。
またあんな風に暴走したら・・・次は大怪我をしてしまうかもしれない。
そう思うと背筋がゾッとして、ウーは風の遊びをやめました。
草の上で風になびく草に身を任せていると、サワサワという音に混ざって囁くような声が聞こえてきました。
ウーはキョロキョロと辺りを確認しましたが、誰も居ないようです。
さらにじっと耳をすましてみると、どうやら声は上から聞こえてくることに気づきました。
夜空には月が明るく輝いているだけで、何もいません。
ウーはしばらくぼうっと月を眺めて、またなんだか懐かしく、少し寂しい気持ちになりました。
僕たち1匹ぽっちだ。
僕も光を持っているけれど、お月様はホタルの仲間なんだろうか。
ホタルの仲間だったら、話ができるのだろうか。
ウーが考えていると、囁くような声で歌が聴こえててきました。

まっくらなそら
とおいほし
あいさつしたら
さようなら
ちいさないのち
ほしよりひかる
いいな いいな
まっくらなそら
とおいほし

風の音に混ざって、途切れ途切れに聞こえます。
綺麗な優しい声でしたが、なんだか切なく悲しくなるような歌です。
月の歌に驚いたウーのお尻は、歌のリズムに合わせてポッポッポッと点滅しました。
しばらく月を見上げたまま、繰り返されるその歌を聴いて過ごしていると、次第にもっとはっきりその歌が聴きたくなりました。
お月様の声がこっちに聞こえるってことは、僕の声もお月様に届くんじゃないだろうか。
いや、まさか、僕みたいな小さな虫の声が届くわけ・・・でもあるいは・・・。
ウーは、届くわけはないと思いながらもお月様に声をかけてみたくなりました。

「あの〜・・・」

ウーは草の上で声をかけてみましたが、すぐに黙ってしまいました。
どう気づいてもらえば良いんだろう。
地上のウーから見たら、お月様は1匹ですが、お月様はとても高いところにいるのです。
あんな高いところから地上にいる僕だけを見つけるなんて・・・できっこないよ。
そう思うと、また悲しい気持ちが胸の奥からぶくぶくと溢れてきました。
僕はやろうと思ったことが何もうまくいかないな。
だんだんと月の光を見つめているのが辛くなり、ウーは草から地面に降りました。

「ウー?」

すると、不意に後ろから声が聞こえましたが、振り返っても何もいません。
草木が優しい風に揺れているだけでした。

「本当に?ウーなの?」

また声が聞こえました。
声のする方をよく見るとウーの近くにある木の枝の先に、渦巻きの殻を背負った生き物が、貝から二つの目を伸ばしてウーを見ています。

「本当に、ウー?」
「あの・・・僕、ウーだけど・・・どうして僕のこと知っているの?」

ウーはその声に聞き覚えがありましたが、思い出せませんでした。
もしかして、土に潜る前に会ったのかな。
ウーはそう思ってゆっくり近づきました。

「草の上で光ってる君を見て、まさかと思って声をかけてみたんだけど・・・。まさか本当に?ついに目が覚めたんだね!あぁっ!君が地面から出てくるところ見たかったなぁ。まだちょっと先かなって思ってたんだ、見逃しちゃったぁ。」
「僕さっき目が覚めたんだ。それに・・・目が覚める前のこと、あんまり覚えてなくて。」
「え!?じゃあ僕のこと、忘れちゃったの?ツム、僕、カタツムリのツムだよ。」
「うん・・・ごめんなさい。」

ツムはまん丸の目をにゅっとウーの方に伸ばして見ています。
そして「え〜」と残念そうにつぶやきながら、木をゆっくり降りてきました。

「それで、こんなところで何してるの?ホタルたちはだいたい仲間といるもんだと思ってたけど、1匹でいるなんて珍しいね。」
「ちょっと色々あって・・・。ねぇ、さっき歌が聴こえてきたんだけど。もしかして君かい?」
「歌?僕は歌なんて歌ってないよ。」
「じゃぁやっぱり、お月様の歌だったんだ・・・。」
「お月様の歌?へぇ・・・僕は聞いたことがないけど、君には聞こえるんだね。」

ツムはぐっと体を伸ばして月を見上げました。
ウーが「うん」と返すと、ツムはクスクスと笑い始めました。
ウーはなぜツムが笑い出したのかわからずポカンとしてツムを見つめました。

「ふふ。ごめんよ。前も君と会った時、お月様の話をしたんだよ。不思議だね、君は相当お月様が好きなんだね。」
「ほんとう?」
「うん。君はお月様はホタルの仲間なのかって質問してきたんだ。だから僕は、ホタルかは分からないけど、カタツムリではないねって返したの。」

ウーはツムの話を聞いて笑いました。
今ちょうど、同じことを考えていたのです。
それに確かに以前同じような話をして笑い合ったような気がして、懐かしさで胸の奥がふわっと暖かくなる感じがしました。
そして、ウーはツムと話しながら、ある名前を思い出しました。

「ミー・・・?」
「あれ?思い出したの?ミーって君の友達だろ?」
「僕の・・・友達?」
「うん、君そう言ってたよ。水中で別れて地上に来たんだって。でもミーの名前が出てくるってことは・・・本当にウーなんだね。」
「うん。多分。ねぇツム、僕が君に会って話したことを教えてくれない?僕自分のことが知りたいんだ。」
「うん、いいよ。そうだ、僕のお家に来なよ。」

そうしてウーはツムに連れられて、草の生えた中心からすこし離れた場所にある岩の下の穴に案内されました。
小さな穴をくぐり岩の中に入ると、中は真っ暗でした。
ウーがお尻をポッと光らせて中を照らすと、岩の下は丸く弧を描いて窪んでおり地面との間に広い空間がありました。
色とりどりの落ち葉や小さな木の実などツムが集めてきたものが隅に寄せて置いてあります。

「わぁ、君のお尻、便利だねぇ。夜でもこんなに中が見えるなんて。あっ、そうだ。ちょっとそのままでいてもらっていい?」

ツムはそう言いながら、ウーの脇を通って落ち葉の山になっているところへ向かいました。
そして落ち葉の間に体を入れてガサゴソと何かを探しています。

「何か探し物?」

ウーはそう言いながら、ゆっくり近づいてお尻をツムの方に向けました。
その方が見えやすいと思ったのです。

「おっ、助かるよ。」

ツムは落ち葉の間からそうつぶやいてまたガサゴソし始めました。
しばらくすると、「あったあった!」と言って、ゆっくり後ずさって出てきました。

「それ何?」

ウーはツムの方を向いて聞きました。
ツムは口に何かふわふわした白いものをくわえています。

「ふぇはふぁんひょふはぇ。」
「へ?」
「ふぁんひょふふぁんひょふ。」
「はんひょふ?ぷっ・・・くくっ」

ウーは思わず笑い出してしまいました。
ツムが白いふわふわをくわえたまま話したので、何を言っているのかさっぱりわかりません。
つられてツムも白いものをくわえたまま「ふふふ」と笑いました。

「ふいふぇふぃへ。」

ツムはそう言って岩の外に出て行きました。
ウーも「ついてきて?」と呟きながら後を追って外に出ました。
ツムについて岩の裏側に行くと、そこには黄色い花がたくさん咲いていました。
優しい夜風に揺れて右に左にゆらゆらとしています。
ツムは花の近くの地面に体を押し付けるようにしてゆっくり穴を掘り、白いふわふわのものをそこに落として埋めました。

「これは、たんぽぽの花。この白いのは種だよ。」
「たんぽぽ・・・。」
「そう。この種を植えると、芽が出て成長して花が咲くの。そしてまた種ができる。」

ウーが頭上で揺れる花を眺めていると、ツムは種を地面に植え終え、岩の側面を上へと登り始めました。
そして丸い岩の頂上に登って「きて!」とウーに言いました。
ウーは岩をじっと見て、羽を羽ばたかせ飛び上がり岩の上に上がりました。
驚いたツムが「おーっ!」と声をあげて少し後ろに後ずさるのを見て、ウーは少しだけ嬉しくなりました。

「ウー!飛べるようになったんだね!すごいじゃないか・・・本当に君たちホタルは不思議だねぇ。」

ツムはまん丸の目をつやつやと光らせながらウーを見つめて言いました。
ウーは少し照れて「へへっ」と笑いました。

「見て、ここのたんぽぽは僕が植えたんだよ。」
「へぇ、すごいねぇ。」

ウーとツムは2匹で並んで岩の下を見ました。
たんぽぽの黄色い花が上を向いて咲いています。

「普通、たんぽぽは暗くなると花を閉じるんだ。でもこの場所は明るいから夜でもたんぽぽがこうして上を向いて咲くんだよ。」
「へぇ、そうなの。不思議だね。」
「うん、不思議だよね。僕、あんまり昼間、特に晴れた日に動くのは得意じゃないから、たんぽぽの咲く姿は見たことがなかったんだ。ある夜ここで初めて見て、すっかり夢中になっちゃった。なんだか見てると元気が出るんだよね。」
「うん、ちょっとわかるよ。」

黄色い花が風に揺れて左右にゆらゆらとしている姿は、こちらを見て楽しそうに笑っているように見えました。
でも、さっき目を回している時に感じたような嫌な感じはしません。
ただこの場所にいることが幸せだと言っているようです。
それを見ていると胸の中がぽわっと暖かくなりました。

「僕、ここに大きなたんぽぽの花畑を作りたいんだ。花がタネになれば自然と増えるんだけど、こうして植えるのも好きなんだよね。花を育てるって楽しいよ。」
「君は1匹でやってるの?1匹でここに住んでるの?」
「うん。僕ね、カタツムリにしてはせっかちなんだ。体はゆっくりなんだけど、おしゃべりがせっかちなの。だからみんなと馴染めないんだよね。」
「そうなの?普通だと思うけど。」
「カタツムリだとそうじゃないんだ。みんな動きもおしゃべりもすっごくゆっくりなんだ。くぉ〜んなぁふぅ〜にぃ〜」

ツムはわざとらしくゆっくりと少し野太い声を出し、ウーがそんなツムがおかしくて思わず吹き出して笑いだすと、ツムも一緒に笑いました。
ウーは少しだけツムは自分に似ているように感じました。
ツムも仲間と違うところがあって、1匹でいるんだ。
でもツムは好きなものを見つけて楽しそう。
そう思うと、ウーはちょっぴりツムが羨ましくなりました。
自分もツムみたいになれるだろうか、何か好きなこと、やりたいことが見つけたい。
ウーは自分の好きなものって何だろうと考えました。
できないこと苦手なことはあるけど、僕にはやりたいことはまだない。
そう思うとウーはまた少し気が重くなり、しばらくこれまでのことを頭の中で思い返して考え込んでしまいました。
うまく飛べなかったことを思い出すと、胸の奥が重くなる感じがします。
思い出すと辛いのに、ツムには自分を知って欲しいと思うのは何でなんだろう。
ウーは自分の気持ちが不思議でした。
そしてしばらく考えて、ハッとしました。
いけない、考えるので夢中になってた。
ツムはきっとそんな自分を変に思っただろうと、ウーは恐る恐るツムの方を向きました。
ウーの不安をよそに、ツムはウーには目もくれずただたんぽぽを見つめています。
そして、風に揺れるたんぽぽに合わせて体を左右にゆらゆらとさせていました。
耳をすますと、何だか楽しそうな鼻歌が聞こえてきます。
ツムもすっかり自分の世界に入り込んでしまっていました。
ツムと可愛いたんぽぽの幸せな世界です。
ウーはそんなツムに呆気にとられてポカン見つめた後、プッと吹き出して声をあげて笑いました。

「え?なに??ふふっ・・・」

ツムは急にウーが笑い出したので、一瞬驚いて、つられて笑いました。

「いや・・・ふふっ、何でもないよ。」

ウーはそう言って、ツムに合わせて体を左右に揺らしました。
ツムはそんなウーを見て「あぁ」と言って、声をあげて笑いました。

「つい一緒に体が動いちゃうんだ。何だか楽しくなっちゃって。変だよね。」
「ううん。素敵なことだよ。君みたいに好きなものを僕も見つけたい。やりたいことを見つけたいな。」
「本当?ふふっ、きっと君にも見つかるさ。」

2匹は月の光に照らされ、しばらくたんぽぽの花と一緒に左右に揺れて風に吹かれて過ごしました。
そしてツムはウーが小川から上陸し地中に眠るまでのことを話し、ウーは地上に出てきてからの話をしました。

続く。