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4.これはいったい、どうしたらいいんだろうか。。。(-ω-?)

いつも沢山の皆さまにお読み頂き、本当にありがとうございますm(*_ _)m

何処からかこのマガジンを見つけて読んで下さる方もいらっしゃるようで、それはもうとてつもなく有難い限りです!!

もしよかったらフォロー等もして頂けると今後書き続ける励みになりますので、重ねてどうぞ宜しくお願いします<(_ _)>


前回より1ヶ月ほど時間が経っておりますが、『Let's 前回の続き』行きましょ〜\(^ ^)/

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・・・前回、前兆というか問題が多発してその後学校に行かなくなった長男。。。

当時義父母と同居中だったので、本人の意志など全く考えずに無理強いをしていました。

今は段々通学班で登校する学校も減ってきたようですが、その頃はまだまだ通学班登校が主流。

学校に行きたくない長男の渋りと戦いながら、片や通学班に迷惑が掛からないようにとか義父母に怒られないようにとか全く別のことに気を使ってました。

私的には

『本人が行きたくないって言うんなら無理に行かせなくてもいいんじゃん?

行きたくないってよっぽどだし』

とは思ってたものの、自分の意見としてそれを実際表面上に出すことは出来ません😅

ここだけの話ですが義父母は体面・世間体をとても気にする人なので、曲りなりにも自分ちの孫が『学校に行かなくなった』なんて近所に言えないし、まして表沙汰には絶対出来ない人種です。

なので当然、『無理にでも行かせる』という選択肢しかありませんでした。

長男自身の思いは取り残され、学校に行くのが当たり前という固定概念に無理矢理引き摺られていく…

嫌がる長男を義父母の見ている前で無理矢理手を引っ張って登校班の集合場所まで連れて行く日々。

長男は勿論嫌だったでしょうが、私も毎朝苦痛で堪りませんでした。

傍から見ていた義父母に、長男と私はどう映っていたのでしょう。

一向に状況が良くならないことで、たまに義父母から叱咤の言葉もありました。

一度なんか義父が長男に手を上げたこともあり、私としては歯痒さと自分の無力さに追い込まれていく日々。。。

もちろん、義母からは心無い言葉が飛びます。

『〇〇がこんな事になったのは・・・』

『もっとちゃんと様子を見ていれば何とか出来たはず』

『そもそも〇〇(私)の育て方が悪いんだ!』

直接何度もこんな事を言われました。
育て方が・・・と言われたけど、長男を出産して半年後からほぼ強制的に仕事に出され、自分が面倒を看たいからと決めたのは(長男を奪うように連れてったのは)義母なのに・・・

理不尽に思いながらも言い返すことなど出来ず、私の自己肯定感はどんどん下がります。

私の育て方が悪かったんだ、私がもっと注意していれば・・・

・・・でも、仕事をしていて半分は育ててないんだから、『私だけ悪い訳じゃない』じゃん!!

パパに言っても全然何もやんないし!!

嫌がる長男が痛がるのも構わず、私は毎日腕を引っ張りながらこんな風に自分の中で他人に責任のなすり付けをしてました

きっとそんな私を見て、義父母はダメな母親だと思っていたんじゃないでしょうか。。。

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数日間毎朝長男を無理矢理学校に引っ張り、登校班に間に合わない時は車で学校へ送る日々が続きましたが、そんなある日義母からこんな話をされました。

「市内にある病院の小児精神科に、カウンセリングで不登校の治療をしてくれる有名な先生がいるから受診してみれば?(お隣の奥さんが)紹介してくれるって言うから、予約もすぐ取って行ってきたらいいんじゃないの?」

実際、「行ってきたらいいんじゃないの?」

=もう決定事項

で命令も同じです。

・・・わかりました・・・(。•́ω•̀。)

私はそう言うのが精一杯。

私が話を聞いた時にはもう段取りがある程度なされ、あとは予約の日時を確認するだけになっていました。

確かにどうしたらいいのかも判らないし専門家が居るなら相談もしたいと思ってはいたけど、私より先に話を進めている義母にはちょっとうんざりしたのも事実。

『またこのパターンかよ・・・』

・・・そう。

義母はいつも私の事など考えずに勝手に物事を決めてしまう。

あるいは事後報告で私の選択権は全くなし。

すぐ病院に電話し、受診の予約を入れて義母&お隣さんにその場で報告しました。

…当時、この診療科の予約は数ヶ月待ちでした。実際診療に当たるのは一人で、地元のみならず隣県からも診察に訪れるほどの先生だったようです。

予約の日が来るまでの数ヶ月は自分で知識を得るには丁度良い待ち時間になりました。

引きこもりや不登校・発達障害という言葉がメディアにも上り始めた頃で、図書館から数冊一気に借りてきたりもしました。
書店にも関連書籍がちらほら見かけられるようになり、私は数多の本の中から小松信明先生著『心の病の診療室』と言う本を購入したりして勉強を始めました。

実はこの本を書かれた小松先生は偶然にも同じ町内で開業されており、地元でも有名な方のようでした。
私はこんな事態になるまでそんな有名なお医者さんがいることもその方がめちゃくちゃ近所なのも全く知らなかったけど、万が一受診する可能性があるなら小松先生の所にお伺いしようと考えていました。

・・・しかし、義母に訊くと・・・あまりいい顔をせずσ(∵`)?

やはり世間体を気にしてる様子もみられます。

結果、小松先生には一度も受診することはありませんでした。

後で義母が受診する私や長男がご近所さんにみられるのがイヤだから…と理由を聞きましたが、『あぁ、やっぱりそういうことだったか・・・』と義母のその考え方にがっかりしたのを覚えています。

当時、何度もこの本を読み返しましたが正直今はもう内容に関しては遠い記憶の彼方です😅

あの時は本を読み返しては心に留め、何とかこの状況を打破する為にとメモを取ったりしたのに。。。

でも実は関連書籍や教育関係の本を読んだりしても、生活に自分自身が飲み込まれて余裕が無くなっていった結果、
それを活かしたり対処出来ない無能な自分に何度も凹む様な感じだったのです。

当時はいろんな事が重なっていき、だんだん自分が追い込まれていくのを自覚することさえ出来なかった。

前年に次男坊が生まれ、義母の『もう孫を看るのはイヤだから仕事辞めて自分で面倒みろ』という宣言でそれまで続けていた仕事をきっぱり辞め、初めて専業主婦&嫁として過ごすことになります。

長男のことを含めた子育てや同居生活の大変さからか自律神経失調症で通院したり、数年落ち着いていた気管支炎を発症して救急~入院することも。

そんな私が不甲斐無いと思う義父母は「そんなんだから・・・」と心身の不健康さを何かとつついて嫌味を言います。

自分では精一杯してるつもり。

なのにちゃんと出来ていないと言われ、尚且つそんな自分は家事や子育てを完璧に出来ないと責められる。。。

自分ではどんなに頑張っても、本を片っ端から読んでも報われない。

誰にも評価してもらえず、相談も出来ない。

家の中で私ひとり孤立して闘っている。。。

すごく孤独で、誰も信用できず、そして信用しようともしなくなりました

そんな私も長男の事はやっぱり自分ひとりでは解決出来ない。。。

だから隣の県に有名な霊媒師がいるから一緒に行こう、とママ友に誘われて視てもらいに行ったこともあります。

著名な教育評論家が市内で講演をすると市報で知り、申し込んで話を聴きに行ったこともあります。

無謀にも高度な専門知識を得ないと解らない学術誌もなんとかして理解しようと試みたこともあります。

けれどどれもピンとこなかった

これは私個人の考えなので一概には言えず、また反対される方もいらっしゃると思いますが

どれもこれも役にたったかと言われたら・・・

・・・答えは『NO』

なぜなら、数ヶ月予約を待った病院を受診し続けてみての結果論ですが

そのどれもが一般論でしかなく、

必ずしも自分の子供がそれに沿った改善をすることはほぼあり得ない

という結論に達したから。

その子独自の、とかその子に適した方法です、と提示されても役に立たないことが多々あったんです。

『世間で言われてる一般論はうちの長男には通じない』

『いくら試して実践してみても改善がほぼみられなかった』

『どんなに著名な先生が唱えている方法も役には立たなかった』

だから尚更、どうしたらいいのかわからなくなるんです。。。

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本に書いてあったり先生方が仰っていること。

確かにそれは沢山の臨床結果や実際受診した患者さんの症状や先生方の経験が集約されてのデータではあると思います。
そのデータが全て間違っているとは私も思わないし、それを参考に出来たことはとても有難いことでした。

・・・でも、そうじゃないんです。それだけじゃだめだったんです。

人はすべて一人ひとり違った生き物です。

なら、ひとのカラダもココロもみんな全く違う。

そして、今回の様な状況になった時の対処方法だって全く違って当たり前なはずです。

『あの人はこれをやって改善しました』

『この症状はデータでこうすれば治ることが解っています』

『それはその人には合ったやり方だったってだけで

だから全員がそうなるとは限らないんじゃないか?』

・・・私はあるときからそんな風に思うようになりました。

穿った見方と言われるでしょう。

そもそも、言われたことや本で書かれていたことを一から十までちゃんとやってみての結論だったのかと言われると自信がありません。

なにか私がやり足りないことがあったかもしれないし、認識不足や理解の仕方が違ってたから結果が出なかっただけと言われたらそうかもしれない。

でも、あの時私は隅から隅まで本を読み漁り、大事だと思ったことはメモを取ってノートにまとめ、一語一句間違えないように解らないところは聞いたり調べたりしました。

受診の際にこうしたほうがいい、明日からこうしなさいと言われたらすぐ実践したし、とにかく『良いといわれることや効果が出ること』は片っ端からやりました。

それでも長男の状況に改善はほぼ見られず。。。

そんな状態がここから数年、

いや、結局は高校中退までの間ずっと続く羽目になりました。

その後引きこもって定職に就かずに十数年過ぎ、結局現在に至るのですが。。。

今でも何か他に良い方法があったのならそれを教えて欲しいくらいです!!

何が良くて悪かったのか、誰か教えて欲しい!

最善策があったのなら今すぐにでも知りたい!

まだそんな思いがあります。

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先日そんな長男とLINEで話をしていたのですが、たまたま『毒親』の話になったので、恐々聞いてみました。

『私は毒親だったか』・・・と

10代後半、よく「なんで俺なんか産んだんだ」とか「こんな世の中に産まれて来たくなかった」とか散々言われた私にとって、長男が私の事をどう思ってるのかは恐怖でしかありません。
きっと嫌われてるんだろう、親らしい事などしていないと自覚もしてるのでそれはそれで甘んじてどんな言葉でも受け入れる覚悟はいつもしています。何を言われても私は仕方ないと思っていました。

でも彼の返信内容は違っていました。。。

「そういう意味では俺は大変両親に恵まれたわ。

やっぱ俺を俺として見てくれたから今こうして前向きになれたんだと思うよ。

学校行かんからどうとかそんなんじゃないやん

ただひとりの息子として育ててくれたから今こうして改めてやっていけるのよ」

予想外の言葉に朝の勤務前から涙が出そうになりました(´TωT`)

あれだけ散々いろんなことがあってもこんな事を言えるようになったんだ・・・

長男本人も苦しんで彷徨っていたっていうのに・・・

本当はまだまだ自己肯定感も完全に高まってはいないだろうに、彼の言葉に『前向きになれた』という文字が出てきたのがすごく嬉しかった。

そして、私の苦労は無駄じゃなかったんだな。。。

それが救われた気がした一番の部分でした。

私がやったことの最終結論は死ぬまでわからないし死んでも判らないけど、
それで良かったのか間違っていたのかも今はまだわからないままだけど。。。

それでもちょっと、『間違っていなかったのかも・・・』と思えるような長男の嬉しい言葉で元気が出ました。

(その日、仕事はお陰で絶好調!!笑)

いまそんな風に言ってくれる長男ですが、当時は理解も制御も不能でした。

数ヶ月待ってやっと受診できた児童精神科医との文字通り『二人三脚』がここから数年続いていきますが、
この数年は一番私自身の精神も揺らいでいた時期だった気がします。それはきっと、この『二人三脚』に絶対起因するのですが・・・

次回はここから端を発した受診の日々についてお話していこうと思います。

今回は間が空いてしまったので、これからはコツコツ日々書き溜めて少しでも早く皆様に読んでいただけるように頑張ります!!(先はまだまだ長いし~笑)

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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