七成
文学フリマで販売したZINEに書いたエッセイです。
自転車がパンクした。家からちょっと走ったところで後輪からパンッという音がして、ペダルを漕ぎ出してからついに「ああ、やっぱりパンクか」と現実を受け入れた。 買ってからまだ3ヶ月も経たないが、空気が抜けてしまったのだろうか。空気入れを借りるため、近くの自転車屋へと駆け込んだ。 新代田の近くの商店街にあるサイクルショップ。その店先におばちゃんがひとり佇んでいて、「あのう…」と小さく声をかけた。 彼女は私の自転車を一瞥するとすぐに「パンク?」と気づいてくれて、やさしそうな人
そうめんは、夏にだけ食べる。そんなポリシーがあって、普段は食へのこだわりなんてほとんどないほうなのに、なぜかその季節感にだけは気を遣っていた。スイカバーは夏にしか食べられないから数段おいしく感じるように、食べ慣れて、特別感やありがたさが薄まってしまうのが嫌だったのかもしれない。 昔からそうやって、自分の中のポリシーというか、ジンクス的なものにとらわれて生きてきた。たとえば、いいことがあってもそれを人に話すとのちにうまくいかなくなる、とか、雨の日は縁起が悪いからなにもしな
友だちと青山で夕飯を食べた帰り、久しぶりに若い男の人からナンパをされて「お、やったー」とか思う。べつに遊びたいわけではなく、今までナンパについて行ったことがあるわけでもなく、それでも声をかけられるとやっぱりちょっとうれしい。 交差点の信号を待つあいだ、自分からこんなに低い声が出るんだ、ということにびっくりしながら、特に内容のない会話をつづける。 わたしの格好を上から下までじっくり眺めた彼が「仕事?」と聞いてきた。 ジャージの下にフリフリのスカートを履き、小さいショル
夏葉社の文集に随筆を載せていただきました。とてもたのしい一年間でした。 近々、下北沢の古書ビビビで販売されるみたいなので、読んでいただけたらうれしいです。
春の日記です。 3月16日(土) お昼から母が遊びにくる予定で、それまでに部屋の掃除を済ませておきたかったのだけれど、結局10時過ぎに起きてバタバタだった(なのに朝ごはんはしっかり食べた)。 差し入れに湯葉や豆腐、カニやホタテを持ってきてくれて、作っておいたカレーと一緒に食べた。パーティみたいにテーブルの上がいっぱいになって「調子に乗っちゃったね」なんて笑い合いながら、お腹がぱんぱんになるまで食べた。 今年一番の小春日和。せっかくだから外に出たくなって、近所を散歩を
生きるとは、いろんなことを自分の中で定義し直していくことの連続である。 たとえば「幸せ」について、私はよく考える。幼い頃であればきっと、「不幸な要素がない」状態のことをそう呼んでいただろう。しかし年齢を重ねれば重ねるほど、必ずしもそうではないことに気づいていく。 ”不幸”を経たあとの「幸せ」がどれだけ至福であるか、私たちは身を持って知っている。だから今、「幸せ」について定義するのであれば、私は「夜明けがいつもそばにある」状態のことであると言いたい。 いつもそんなことば
大人になるって、何かを失っていくことだと思っていた。だから私はずっと、大人になるのが怖かった。 年齢を重ねるごとに、たとえば夢とか、趣味とか、うつくしさとか、そういう「かつては大切だったもの」を徐々に手放し、つまらない人間になっていく。 近くでそういう大人をたくさん見てきたし、ただ若いからというだけでそういう人から羨まれて、嫌な思いをしたこともたくさんあった。 あんな風になってしまうのなら、大人になんてなりたくない。だからここ数年は誕生日を迎えるたび、なるべく早く
木枯らしが吹き、冬が駆け足で近付いてまいりました。卒業式の日、本当はちょっとやりたかった答辞みたいなものを読みたいと思います。 高校生活を振り返ると、本当にいろいろな日々が思い出されます。 数学のテストで100点満点を取ったこと。その次のテストで8点を取って、あまりの落差に担任から呼び出されたこと。 修学旅行で行った沖縄の、海が見える宿で、友だちが YUI の『SUMMER SONG』をギターで弾いてくれたこと。それをふたりで歌ったこと。 チアダンス部で全国大会に
何度も見る夢がある。高校最後の文化祭、チア部で立った引退ステージの夢だ。 本番直前になって、たとえばシューズとか、衣装とか、大事なものを家に忘れてきたことに気付き、途方に暮れる。しかし刻一刻と開演の時間は迫ってきて、私はずっと絶望している。そこで目が覚める。 なんていう夢に、8年経った今でもうなされてしまうくらい、文化祭は私にとって、良くも悪くも記憶に残るイベントだった。 高校生活そのものがそうだったような気もするが、「楽しい」だけではとても括れない、最悪な毎日。そ
人生で一度も、男の子と花火を見たことがない。クリスマスを一緒に過ごしたこともないし、ディズニーランドに行ったこともない。 と言うと、憐れみの目を向けられたり、変に気を遣われたりするのだが、なぜそうなるのかが私にはずっとわからない。 記憶をたどったとき、花火や、イルミネーションや、シンデレラ城を背景に、大好きな友だちの笑った顔がセル画みたいに重なって見える。 愛のかたちは違うかもしれないけれど、恋人や元恋人と行った場所やその思い出と同じように、友だちと過ごしたあの、ま
放課後、私は時々女優だった。 今思い出しても笑ってしまうのだが、「やる気がないなら帰ってください」という台詞を一度だけ言ったことがある。とある平日、部活のミーティング中でのことだ。 過去の自分とはいえ、こんな絵に描いたような〝部長〞っぽい言葉を、同じ口から発していたのかと思うとびっくりする。 さらに笑ってしまう話、あれ全部、台本だった。 数日前に言おうと決めて、ルーズリーフに一言一句書き、家で練習していた。なるべく不意を狙って、大事なところは低めの声で。 生ま
「死ね」という言葉を言われたことがあるし、言ったことがある。小学6年生の頃の話だ。 目立ちたがりな性格だった私は、クラブや委員会のリーダーにガツガツと立候補していて、それをよく思わない子たちがいたようだった。 「(◯◯ちゃんが)〝死ね〞って言っといてだって」とクラスメイト伝いに暴言を吐かれたり、「死ね」と書かれた手紙が道具箱の中に入っていたこともある。 今思えば、私もそう言われるような行動をしていたのかもしれない。だけど当時は、自分が言われたひどいことに対して、悲し
※フィクションです! 婚約を機に、自転車を買った。2万7千円の赤い自転車だ。私はこれからこの自転車に乗って、元カレの家をめぐる。 私には3人の元カレがいる。橘さんと、弘平くんと、修ちゃん。なぜこんなことがしたいのか、自分でもよくわからない。復讐?マリッジブルー?それともただの好奇心だろうか。 わからないけれど、とにかくやらないと気が収まらなくて、私はペダルを漕ぎ出した。 一軒目は橘さんの家。両国にある3階建てのマンションだ。 彼はバイト先の映画館で知り合った2つ
明日、11/11(土)東京流通センターにて開催の文学フリマ東京37に出展いたします🕊️はじめての文フリ、はじめてのZINE販売です(どきどきだ〜)。 高校の同級生・美帆ちゃんと一緒にエッセイ本をつくりました。タイトルは「踊り場でおどる」です。ブースは【E-13】です。 美帆ちゃんとは高校時代にはほとんど喋ったことがなく、仲良くなったのはこの1年くらいです。だけど私は学生の頃から美帆ちゃんのつくるものがずっと好きだったし、美帆ちゃんが持っているあたたかくてやわらかい雰
椎名林檎の『ありあまる富』がリリースされたとき、私は小学6年生だった。 「もしも彼らが君の何かを盗んだとして それはくだらないものだよ 返して貰うまでもない筈」。当時、私はこの歌詞の意味がさっぱりわからず、母に尋ねるとこう言われた。「いつかわかる日がくるよ」。 歌詞の意味をなんとなく理解できるようになった、25歳。実家を出て、ひとり暮らしをはじめた。 井の頭線沿いの駅にある築37年の1DK。本棚の漫画を全部持って行きたくて、ちょっと無理して広めの部屋を借りた。
貸した本が返ってくるとき、まるで踏み絵みたいだな、と思う。 感動の再会を果たした一冊の本を見て、ときめいたり、傷ついたりする気持ち、本を愛する人ならばわかってもらえるだろう。 これまで、そんな踏み絵を何度も踏まれてきた。特に覚えているのは、大学生の頃、人生のバイブルである漫画を、クラスメイトに返してもらったときのことだ。 半年ほど貸していて、早く返してほしかったけど読んでもらいたいからなかなか言い出せず、どうしたものかと思いあぐねていたとき、それは起こった。あれはた