見出し画像

君に紡げ

 何度も見る夢がある。高校最後の文化祭、チア部で立った引退ステージの夢だ。
 本番直前になって、たとえばシューズとか、衣装とか、大事なものを家に忘れてきたことに気付き、途方に暮れる。しかし刻一刻と開演の時間は迫ってきて、私はずっと絶望している。そこで目が覚める。

 なんていう夢に、8年経った今でもうなされてしまうくらい、文化祭は私にとって、良くも悪くも記憶に残るイベントだった。
 高校生活そのものがそうだったような気もするが、「楽しい」だけではとても括れない、最悪な毎日。その中に時々、最高な瞬間があって、それだけでお釣りが返ってくるような日々だった。

 今となっては信じられない話だが、私はチアダンス部でキャプテンを務めていた。
 3年生の春、新入部員がたくさん入ってきて、部員数はなんと総勢70名を超えた。ミーティングのとき、話す私を見つめる無数の目、目、目。今思い出しても心臓がぎゅっとなる。
 「いや、どういう状況だよ」と 俯瞰でツッコミを
入れないとやってられない日もあった。

 それだけ多くの若い女の子たちが集まれば、そりゃいさかいも起こる。時々自分のほうに刃が飛んでくることもあって、その度にいちいち傷付いて泣いた。
 中でも、引退のステージである最後の文化祭の準備期間はとてもつらかった。公演のプログラムから演出、練習のスケジューリング、学校側との打ち合わせまで、いろんなことを同時に進めつつ、部員のモチベーションや人間関係にも気を配らなければならない。心と身体が毎日疲弊していた。
 キラキラでクリクリの女の子たちに囲まれながら、地味でオタクな自分がなぜこんな場所の真ん中にいるのか、わからなくなる瞬間が多々あって、その度に「いや、私はチアをやりたくてここにきたんだ」と無理やり意識を引っ張り上げていた。

 特別ダンスがうまかったわけではない。入部したばかりのとき、周りよりちょっとだけ身体が柔らかくて、笑顔を作るのが得意だっただけだ。いろんなことが重なって、たまたまキャプテンになった。
 実力も下から数えたほうが早かった。かといって周りに見合う努力もしていなかった。部員たちともあまり馴染めていなかった気がする。
 向いてないし、似合ってないことを自分でもわかっていた。それでも私がチアダンスにしがみ付き、やり遂げた3年間。
 チアと私を唯一結び付けていたのは、〝言葉〞だったように思う。

 キャプテンをしていると、演技の前に円陣を組み部員たちを鼓舞する言葉を伝えたり、イベントの締めにお礼の挨拶をする機会が度々あった。
 そうとなれば何週間も前から原稿を作り、ああでもないこうでもないと推敲を重ねる。その時間が、私はとても好きだった。
 いざ練り上げた言葉を発信すれば、涙を流してくれる部員もいた。私がひとつひとつ、言葉を紡ぐたび、押し出されるように瞳に滲んでいく涙。思えばこんなにもわかりやすく、誰かを泣かせた経験は、あれ以来ないかもしれない。
 私の言葉で、人の心を動かしている。それだけが私がここにいていい理由だと思っていたし、今でも思っている。

 そういう気持ちもあって、引退ステージの最後の挨拶は、これまでで一番時間をかけて文章を練った。半年くらい前から考えていた気がする。泣きながらルーズリーフに下書きをした。
 そして文化祭当日、すべての演技を終え 人全員がステージに集まる。放心状態の子もいれば、号泣している子もいた。
 その中央に立ち、私はなぜか地に足が着いている感覚があって、この瞬間のために用意した言葉を、ひとつひとつ、大事に紡いだ。
 照明が一点に集まって、前がよく見えない。ステージの上は汗と涙で蒸し返り、熱気でちょっと苦しかった。
 あのとき見た景色を、私はいつまでも思い出すのだろう。

 最後の挨拶も無事に終わり、チア部の公演と私のチアダンス生活は幕を閉じた。
 小道具が撤去され、後夜祭の準備がはじまる。せわしない体育館のステージは、私たちの感動やさびしさをあっという間に他人事へと塗り替えていく。
 片付けをしている途中、いろんな人から「最後の挨拶よかったよ」と声をかけられた(その中のひとりに、この本を一緒に作っている美帆ちゃんもいた)。今まで部員以外の人から自分の言葉を褒められたことなんてなかったから、素直にびっくりした。
 授業中、いつもからかってきた同級生の男の子が、いつになく真剣な顔をして「本当に、かっこよかったよ」と伝えにきてくれて、言葉にならないくらいうれしかった。あの日の彼の表情や口ぶりを、今でも鮮明に思い出せる。
 多分覚えてないと思うし、もう会うこともないだろうけれど、私はきみのこと、ずっと忘れないです。

 あの日もらった言葉がたしかに、今この文章を書いている自分をつくった。
 言葉は美しい思い出をなぞる。実はダンスが苦手だったことを、素直に書き留める。言葉がなければ私はチアダンスを3年間も続けていなかったと思うし、今頃過去の自分を呪っていたかもしれない。

 これは余談なのだが、打ち上げで部員たちと行ったカラオケの中で、私はずっと泣いていた。
 はじめはみんな寄り添ってくれていたが、あまりにも長時間泣き続けるものだから、途中から誰も構わなくなった。でもそれでよかった。
 今思えば、引退がさびしくて泣いていたのではない。「やっと終われる」という安堵で泣いていた。
 キャプテンであり続けることは、あまりにもつらくてくるしかった。でもそれを本当に理解してくれる人なんて、この世のどこにもいなかった。
 私はそれが一番さびしかったし、一番うれしかった。


----------


 こちらは、文学フリマで販売したはじめてのZINE『踊り場でおどる』に収録したエッセイです。

 また売るかわからないので、noteでも公開してみました。買ってくれた方、ありがとう。ちなみに各章のタイトルは、高校時代好きだった漫画をもじっています。

 ほかにも4篇あります。

この記事が参加している募集

文学フリマ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?