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見返りを求めてしまう悩みについて
よく「見返りを求めてはいけない」という主張がありますが、そんなことを言われたら、見返りを求める気持ちが少しでもあると、自分のことを責めてしまいますよね。
なおかつ、見返りを求める心境になっているときは、すでに疲れ果ててしまっていて、辛い気持ちになっている場合が多いんじゃないでしょうか。私自身、見返りを求める気持ちを認識する度、自分の心が弱いことに絶望していました。なんて質の低い人間なんだろうと。
⑴見返りを求める気持ちは大切
しかし、今になって思うのは、見返りを求める気持ちはとても大切だということです。なぜなら、見返りを求める気持ちがあるから、自分が一方的に犠牲になることから逃れることができているのだと思います。
もし見返りを求める気持ちがなければ、相手からの不当な要求を全て飲んでしまい、心が痩せ細ってしまうでしょう。きっと見返りを求める気持ちは、自分の負担が大きくなっていないかを知らせてくれるセンサーなのではないかと思っています。
⑵見返りの方式
また、さらに大切なことがあって、求める見返りの大きさは、その相手に費やした負担と、その相手との関係性によって変わるということに、最近になって気が付きました。
【求める見返りの大きさ】=【負担】-【各種割引】
求める見返りの大きさは、このような方式が成り立つと思っています。
負担が大きければ大きいほど、その相手に求める見返りも大きくなります。また、各種割引が大きければ大きいほど、相手に求める見返りは小さくなります。
なお、各種割引とは、例えば家族割引、友人割引、ペット割引、好きな人割引といった内容です。
仲の良い人に対して何か負担になる行動をしたとしても、見返りを求めようとする気持ちがそこまで発生しませんよね。
それは、その相手と築かれている関係性が負担を軽減させるような【割引】を発生させているからではないかと思っています。
⑶見返りが必要とならないケース
例えば、飼い猫にいろんなお世話をする場合、もし猫が好きだという気持ちがあればペット割引が入るので、どんなに負担が大きくても、見返りを求める気持ちは湧きません。
私の場合、猫がものすごく大好きなので、ペット割引がかなり大きいです。見返りではなくて、もっと与えたいという気持ちすら湧いてきます。
【求める見返りの大きさ】=【負担】-【ペット割引】
0 = 100 - 100
⑷見返りを求める気持ちが発生してしまうケース
一方で、その相手が嫌いな人であれば、気を使うので負担が大きいですし、特に割引もないので、見返りを求める気持ちが大きくなるのは当然だと思います。
【求める見返りの大きさ】=【負担】-【割引】
200 = 200 - 0
そして、その相手がたとえ肉親であっても、あまりにも負担が大きすぎると、割引を凌駕してしまうこともあり、その場合は見返りを求めてしまう心理になるのは当然です。
【求める見返りの大きさ】=【負担】-【肉親割引】
200 = 300 - 100
⑸見返りを求める気持ちが発生したときにするべきこと
ですので、もし見返りを求める気持ちが発生したとしても、自分を責めてはいけません。責めることでは何一つ問題は解決しません。
それよりも負担が大きくなってしまっていることを問題視して、なるべく負担が減るような対策をする必要があるのだと思います。
そうすれば、次のようなトラブルや苦しみは回避できるのではないかと思います。
・負担を抱えすぎて疲労がたまり、心身ともに疲れ果ててしまうこと。
→うつ病などの精神疾患の原因になります。
・見返りを求めてしまう自分に失望して自己肯定感が下がってしまうこと。
→うつ病などの精神疾患の原因になります。
・期待した見返りが返ってこないあまり、その相手を恨んでしまうこと。
→交感神経が活発になるので自律神経が乱れます。
⑹負担を減らすための対策
負担が減るような対策としては、次のようなものが考えられます。
・自分の負担が減るように、早い段階で専門家などに頼る。
・負担となっている相手と物理的に距離を取る。
・負担となっている相手と交流する回数を減らす。
・負担となっている相手に自分が辛い気持ちになって困っていることを伝える。
⑺自分を責めてはいけない
大事なことなので繰り返しますが、見返りを求めてしまう心境になっている原因は、決して自分の心の器が小さいからというわけではないので、自分を責めてはいけないと思います。そんなことをしても、自分の人生は幸せにならないと思います。
たとえ肉親や友人であっても、その関係性が作り出す【割引】を凌駕するレベルの負担なのであれば、見返りを求める気持ちが発生してしまうのは当たり前です。
決して自分が愛情の足りない人間なのではありません。
そして、見返りを求めてしまう気持ちを否定せずに感じ取り、「負担を減らした方がいいサインだな」と理解し、具体的な対策を取ることが大切なのだと思います。
⑻自己犠牲は大切な人さえも傷つける行為
なお、自分だけが見返りを求めずに犠牲になればいいと思う人もいるかもしれませんが、それはおすすめしません。
なぜなら、自己犠牲は優しさではなくて、大切な人を傷つける行為だと思うからで
す。立場を考えてみたらわかると思います。もし、大切な人が自分のために身を犠牲にしていると知ったら嬉しいですか。きっと、悲しいはずです。
なお、もしその犠牲を嬉しいと感じている人がいるとしたら、それは自分のことを大切に思っていない証拠なので、そんな人のために自分を犠牲にする価値はありません。
いずれにせよ、自己犠牲の道を選ぶことは、自分だけではなくて、自分のことを大切に思ってくれる人さえも悲しい気持ちにさせてしまことになってしまうのではないでしょうか。
⑼さいごに
少し長くなってしまいましたが、最近まで悩んできたことだったので、まとめることができてスッキリしました。
具体的には、家族の悪口や人生の不平不満を言いつづける母親のことが負担になって交流を避けていたのですが、そんな自分のことを「優しさの欠ける人間だ」と落ち込んでいました。
また、母親の対して「見返りを求める気持ち」を感じてしまったことで、自分のことが卑しい人間のように感じられて、少し鬱っぽくなっていました。
なお、だからといって、母親を責めるような気持ちもあまりありません。どう生きようその人の勝手ですからね。唯一自由なのは、それに対して、どのように対処をするかということなのではないかと思っています。それが主体的に生きるということなのでしょう。
同じような悩みを抱えている方に参考になれば嬉しいです。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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