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(2)自分の中にいる審査員をもっと尊重する

前回の続きです。

(2)自分の中にいる審査員をもっと尊重する

何か好きなことをやろうとするとき、大抵の場合、「そんなことやって意味あるの?」という邪魔が入る。これこそ勇気挫きの呪文。その呪文にかかっていると、好きなことができなくなる。だから、まずは、この呪文を解かなければならない。

この呪文の根底には、「誰かの役に立つこと以外は無意味」という考え方がある。これは「誰かの役に立つことは良いこと」という初等教育が拡大解釈されたもの。確かに、誰かの役に立つ振る舞いができる能力は実社会では重宝される。ただ、だからといって、自分だけの役に立つこと、他の誰にも役に立たないことが、自分にとって価値が無いという根拠にはならない。なぜなら、自分のことに関して、価値があるか無いかを決めるのは、自分自身だから。きっとあなたの身の回りには、親や先生、上司など、何人も審査員がいるかもしれない。けど、一番大事なことを忘れてはいけない。それは、あなたの頭の中にも審査員がいて、その審査員の立場がもっとも高いということ。つまり、あなたの頭の中にいる審査員がリーダーで、あなたが最終的な決定権を持つ。他の審査員が「価値なし!」と判断したとしても、あなたの頭の中の審査員が「価値あり!」と判断すれば、少なくともあなたにとっては、価値があることになる。

それにも関わらず、他の審査員の判断ばかり聞いていたら、自分の中の審査員が可哀想だし、それって、本当の意味で、自分の人生を生きているの?ということにもなる。子どもの頃、外にはよく B B弾というエアガンの弾が落ちていた。子どもの頃の自分にとっては、 B B弾を見つけるとすごい嬉しかった。普通は肌色なのに、たまに透明の弾が落ちてると、まるで宝物を見つけたかのようで誇らしかった。周りの大人からすれば、外に落ちているゴミの一つかもしれない。ただ、間違いなく、子どもの頃の自分には宝物だった。きっと、その頃の自分は「好きなことをする」天才だったと思う。

それでも、大人になるに従い、周りの大人(審査員)の価値観を刷り込まれ、知らない間に B B弾はどこかに消え、自分の頭の中の審査員も、周りの審査員にぺこぺこするようになってしまった。少しでも好きなことをやろうとすると、必ず言われるのは「そんなことやっても意味あるの?」という呪文なのだ。

そんなとき、「自分にとっては意味あるんで!」と強く言えたら最高。でも、はじめはうまくいかない。だから、もう一つ、「意味」について大事なポイントがあって、「物事の意味は、今現時点で認識しているものだけとは限らない」ということ。

具体的に説明すると、何かの物事をやる前に「そんなの意味①ないよ」とやらない選択もできる。たしかに、そのおかげで、多少の労力や時間を守ることができるかもしれない。しかし、それを気にせずに、とりあえず行動してみた人には、想像もしていなかったような意味②や意味③が手に入ったりもする。行動する前は意味①だけしか見えないかもしれないけど、行動した結果、意味②や意味③、時には意味⑩以上の意味に気付くことができたりする。だから、現状、認識できている意味①だけを見て、やらない判断をすることは、場合によっては、それ以上の無数の意味を捨ててしまう可能性がある。まさしく機会損失。そして、大抵の場合、周りの審査員には、意味①しか見えていないことが多い。なぜなら、大抵の場合、その物事の経験者じゃないから。それ以上の景色を知らない。だから、意味①しかないように思い込んでいるだけ。山を登った人にしか、山頂からの景色は見えない。

こんな感じで、あれこれ口出してくる、周りの審査員に対しては、「あんたが認識している意味が全てだと思わないで!そもそもあなたは経験者なんですか!」と脳内で言えたら完璧。もはや敵なし。「そんなことやって意味あるの?」という呪文が瞬く間に解けます。端っこの方に置いやられていたあなたの審査員も、リーダーに復帰。人生の主権を取り戻せるはず。せっかく日本国憲法が国民主権を認めているんだから、自分のことくらい、ましてや自分の好きなことくらいは、主権をもって、主体性をもって、やっていきたい。そう思う。

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