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「勉強ができない」という悩みについて

勉強ができない、という悩み。学生はもとより、社会人でも同じ悩みを抱えている人も多いはず。そのせいで「自分は意思が弱い」とか「ダメ人間」だとか、自分を自分で攻撃しようとする。これは、昔誰かに同じような扱いをされたことの真似っこをしてるだけなんだけども。この悩みを解決します、的なまとめサイト的なものがあったりするけど、どれも見当違いだったりする。朝ごはんを食べれば成績が上がる?バカじゃないのか。暗記パンじゃあるまいし。

まずそもそも、その勉強はしたいことなの?ということ。したいことじゃないなら、やる気が出なくても当たり前。基本的に「やりたくないこと」にやる気を出せなんていうことに無理がある。例えるなら、嫌いな食べ物を自分から進んで毎食食べる人なんていない。それでも悩んでしまうのは、その嫌いなものを食べた方が褒められる環境に生きていて、自分自身も褒められたいと思っているということ。こっちの方が問題です。嫌いなものを食べたくない!と本能がブレーキを踏んでいるのに、食べなさい!と意識が無理矢理にアクセルを踏んでいる。だから1ミリも進んでいないのに、疲労感ばかり溜まっていく。

けど、中には勉強が嫌いなのに、成績優秀な人もいる。表面だけみれば、苦手なことにチャレンジしていて偉い!なんて褒められたりもする。バカな教師や親が言ってそうなこと。でも、「勉強ができる」は何種類かに分類できる。それぞれ実体験も交えながら説明したい。

①シンプルに天才肌
授業を一回聞いただけで理解して暗記もできるタイプがいる。進学校にはマジでこういうタイプがいる。別に勉強が好きではなさそうだけど、特に苦労せずにできるらしい。羨ましい。部活とかも余裕でして、恋人を作って、文化祭実行委員とかやりながら、理三に現役合格したりする。これは才能だから例外。

②勉強が好き
好きなことは、自然としちゃうますよね。昔、「信長の野望」というゲームがあって、それが好きな同級生が、社会だけ毎回満点っていうことがあった。別に努力しているという感覚もないので、ストレスがない。自分は料理が好きだから、昨日もスコーンを作って、妻にプレゼントした。けど、全然努力している感覚はない。あと、最近になって英会話を勉強しているけど、シンプルに楽しい。TOEICの問題集を解くのは少しだけ苦痛だけど、数学とかやるより5億倍マシ。そんな感じで勉強が好きなら、特に悩むこともない。理想的かもしれない。

③勉強の先に他の目標がある
勉強自体は好きじゃないけど、その先の目標を叶えるために必要であれば、嫌々でも実行はできる。あいつには負けたくないから、モテたいから、親を見返したいから、医者になりたいから、とか。何かしらの目的があって、それを叶えるために勉強が必要であれば、多少のストレスはあっても、それでも我慢して勉強はする。自分の場合、英単語の暗記は好きではないけど、英会話をできるようになりたいからやる。多分、この③の理由で勉強してる人が多いんじゃないかと思う。だけど、何か目標があっても、勉強できない人もいる。それはなぜだろうか考えてみた。

<補足:目標があるのに勉強できないのはなぜ?>
目標があるのに勉強できないとしたら、きっとその目標設定が間違っているのだと思う。これは実体験だが、私は高校生の頃、医者になりたかった。だけど全然勉強しなかった。そんな自分を「努力ができないダメなやつ」だと自己否定して、生きている意味がないと考えていた。でも今思えば、医者になりたかったわけではなくて、医者になれば、立派な人間になれると思っていた。誰かに褒められることで、生きている価値を実感したかった。ほんとの目標は「生存価値を自分に与えること」だったんだろうね。だけど、そのために勉強をすることは、「自分には生きている価値がない」ということを認めてしまうことにもなってしまう。だから、勉強しなければならないのに、何かに後ろ髪を引かれているような重い気持ちに襲われてしまい、全く勉強が手につかず、その代わりに遊ぶわけでもなく、ただ布団にくるまって、自殺願望に襲われていた。きっと、その時に一番求めていたのは、「ただ生きているだけで100点だよ!」「あなたは無価値なんかじゃないよ!」って誰かに言われたかっただけなんじゃないかと思う。本当に求めていたのはそれだった。その後、これ以上この実家にいたら頭がおかしくなると思って、適当な大学を選んで受験。久々にペンを握って手が震えたのを覚えている。劣等生だったが腐っても進学校の学生ということで、医学部受験のために1浪したにもかかわらず、全く関係のない学部の、東京の中堅大学に無事に合格。逃げるかのように地元を飛び出した。それからすぐにパチンコ屋に入り浸り、女遊びをはじめ、自由気ままにダメ人間生活を謳歌。「ダメ人間でも生きていい」という許しを自分に与えることに必死だった。ある意味実験だった。復讐でもあった。「ダメ人間だけど、俺生きているじゃねーか。ほら、殺してみろよ!」と言う喧嘩でもあった。そうやってダメになればなるほど、初めて呼吸ができたような清々しさがあった。ちょっとだけ非行に走る少年の気持ちが分かったりもした。その後、晴れて留年することになったが、その時に出会った女性が今の奥さんだから、人生何があるかわからない。

④褒められ欠乏症
実体験を話すと、中学生の頃、学習塾に行っていたが、そこの先生がすごい綺麗な女性で、本当に褒めるのが上手だった。自分の親から褒められた記憶があまり無かったので、初めて誰かに褒めらたことが本当に嬉しくて、その先生に褒められたくて勉強している内に、やがてその地区で1位になり、高校は全国でも有数の進学校に合格した。けど、その後、そこは中学生向けの塾だったので行かなくなり、勉強のモチベーションがゼロになり、成績はガタ落ち。ほぼ最下位に近い状況になってしまった。このように褒められ欠乏症の問題点としては、承認欲求がやたら高くなってしまうということ。心理的にはいつも喉が渇いているような感覚になってしまい、その渇きを埋めるために、誰かに褒められたくて、その誰かの顔色を伺ったり、その誰かの価値観に合致する行動を取ることを優先させてしまうということ。まるで、ダメ男に貢ぐ女のようになってしまう。また、その褒めてくれる存在や、他人が作った評価制度がなければ、何もする気がなくなってしまうということも問題。つまり、自分の人生は、自分以外の誰かを喜ばすためだけに存在してしまい、自分自身を喜ばすことを無視してしまう。だから、誰かに少し嫌われたり、不仲になってしまうだけで見捨てられ不安を発症してしまい、寝込んでしまうほど落ち込んでしまう。自分じゃ自分の価値を認められないから、自分で呼吸できずに酸素吸入機を付けているような心理状態を作り出してしまうのだ。きっと、自分は褒められるという経験が圧倒的に欠乏していたので、「褒められること」「批判をされないこと」が何をするにも目的になってしまっていた。だから、自分の気持ちに反していること、好きではないこと、やりたくないことでも、無理をしてやり続けている内に、その「本当の自分」の逆襲にあって、身体が動かなくなって、双極性障害になってしまったのではないかと思う。褒められ欠乏症の人は、きっと「そのままの自分」「心臓が動いているだけの自分」「誰の役にたってない自分」には価値がないと考えている。だから、つい自分に価値を感じたいから、生きる許可証のようなものが欲しくて、有名になりたいとか、医者になりたいとか、良い大学に行きたいとかって言うことを目標設定にしてしまう。だけど、その目標は「自分には価値がない」という自己否定に基づいているから、やればやるほど首を絞めてしまうという構造になっていて、だからやる気なんか起きるわけない。本当はそんなことを求めていなくて、ただただ「そのままの自分には価値があるんだ」と誰かに言ってほしいだけ。もっとシンプルに言うと、愛してほしかった。失敗した時や、悲しい時に、最優先で寄り添って欲しかっただけ。励まして欲しかっただけ。「生きているだけで100点だよ!」って言われたかっただけ。今になって、そう思う。だから、褒められ欠乏症の人は、タイミングよく勉強することを誰かに褒めてもらえれば、めちゃくちゃエンジンがかかる。だけど、その存在がいなくなったり、良い大学に合格した途端、新たに「良い会社に入ること」なんて目標を課されたり、急に「コミュ力上げて飲み会の中心人物になること」みたいな目標を達成する人物がもてはやされるようになって、混乱し、絶望し、燃え尽きてしまう。酸欠状態になってしまうんだから、文字通り燃え尽きて当たり前。だから、褒められ欠乏症を治すためにも、自分で自分を褒める練習をするしかない。もしくは、何者でもない自分を愛してくれるような、そんな存在と出会えることを祈っている。

⑤批判や暴言が怖い
勉強しないと暴言を吐かれたり、テストの点数が低いとあからさまに不機嫌になったり、ご飯抜きにされたりする。その場合は、必死で勉強するでしょうね。生きるために。だけど、これ虐待。昔、秋葉原で通り魔があったけど、その犯人は幼少期にテストの点数が低いと、ご飯を床に敷いてある新聞紙の上にぶちまけられ、その上で食べさせられたらしい。これは恐怖政治。スケールは違くても、ポルポトやヒトラーとやっていることは同じで、もはや人類の敵。力で誰かに言うことを聞かせようとする奴がいるから、戦争が無くならない。あなたの親が、リトルヒトラーの可能性もあるけど、そんな奴の言うことは無視して、早いとこ自立しよう。あなたは生きているだけで価値があるし、誰かの欲望を満たすための道具なんかじゃない。あなたはあなた自身の人生をより幸せにするために、やりたいことや好きなことをたくさんすればいい。きっと成績優秀な子どもにも、このタイプの可哀想な子達もたくさんいると思う。成績悪かったら追い出すぞ!とかね。「お前の育て方が悪い!」だなんて夫婦喧嘩が始まったりね。辛いよね。それでも、学校ではバカな教師が表面だけを見て褒めるから、余計にエスカレートするんだよね。バカな親が、自分が褒められたわけでもないのに、勘違いして、さらに子どもを追い詰めるんだよ。それで子どもを進学校に入れて、「将来教育本でも出版しようかしら」だなんて考えているんだろうね。気持ち悪いね。勉強したきゃ自分でしろよってね。

というわけで、5種類くらいに分類してみたけど、「勉強できる」という表面だけ見ても本質は分からない。「勉強できない」という悩みも、実は「自分には生きている価値がない」と勘違いしていることが本当の悩みだったりする。かなり根が深かったりする。自分は進学校に行ったのでそれなりに勉強してきた方だけど、その後、だいぶ壊れた経験もあるから、「勉強したいのにできない」と言う気持ちが痛いほどわかる。その後、大人になってから躁鬱病と診断され、必要以上に自分に向き合ってきたし、心身の不調の原因は何なのかを、毎日研究するかのように生きてきたし、今も闘っている。その中で、自分の悩みの本質が、実は違う部分にあることがわかったりする事も多くて、特に「勉強できない」という悩みには、その人の価値認識の誤りが表出してきたり、意外と根深い問題があることがわかった。だから、もし「勉強できない」という悩みを抱えている学生がこの文章を読んでくれたのなら、声を大にして言いたい。

「あなたは生きているだけで100点だ!最高だ!誰かがあなたのことを条件を満たした時にしか評価してくれないかもしれない。褒めてくれないかもしれない。勉強しないあなたには価値がないかのように接してくるかもしれない。あなたの親もそういう人種かもしれない。けど、それはあなたの問題ではなくて、その人の問題なんだ!だから、あなたは自分の価値を求めるために勉強なんかしなくていい。だって、もうあなたには価値があるんだから!」




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